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仲居たちが料理を並べる時間すらもどかしいと、ゆきは思う。 かなり高級料亭だから、並べられた数々の日本料理は美味しいのだろうとは思う。 だが、ゆきが一番、“美味しい”と感じるのは、きっと小松自身だと思った。 早く話したい。 早く続きが聞きたい。 聞かなければならないと思った。 食事が運ばれた後、再び二人きりになる。 ふたりはお互いに向き合う。 向き合わなければならないと、お互いにわかっていた。 「話の続きをしなければならないね」 「そうですね」 ふたりはこれを乗り越えなければ未来はないと、分かっていた。 「ゆき、私が、エントリー用紙を破ったのは、君をただのうちの従業員としてそばに置きたくはなかったんだよ。もっと違う意味で、そばに置きたかった」 小松は淡々と話してはいるが、いつものような歯切れの良さは全くないと言っても、良かった。 「違う意味……ですか?」 ゆきは、上手く考えがまとまらなくて、小松が何を言いたいのかが、予想出来なかった。 「そう、私は、君を、ただの仕事のパートナーとは、見てはいないよ」 「……愛人……ですか?」 ゆきは胸がチクチクと痛むのを感じながら、小松をちらりと見た。 確かに、今までは、恋人でもなく、仕事上のパートナーとしてではなく、ただの愛人として生活をしていたのだから。 ゆきの言葉に、小松は苦笑いを浮かべた。そこに自嘲するような色も含まれていた。 「……確かに、君には、そのように言ったし、契約書にも、サインさせてしまったからね」 小松は苦々しい表情を全く崩さなかった。 「……確かに、そのようなものはあったけれども……、私は、今までで一度として、君を愛人と扱ったことはないよ。そんな気持ちで、君とは対峙したことはないよ。真っ直ぐ、誠実に対応しようと、努めたつもりだよ」 確かに、一度として、吉羅がゆきを愛人だと扱ったことはなかった。 恋人のように、ゆきに向き合ってくれたのは、事実だった。 「……小松さんは、いつも紳士に対応して下さいましたから……」 ゆきは頷く。 愛人として最初から扱われていたのなら、結ばれるまで、あんなにも時間がかかることはなかった。 いつも、ゆきの気持ちを一番に優先してくれた。 これには本当に感謝をしている。 「……それは、有り難いと思っています。だって、小松さんは、私の気持ちを一番に考えて、いつも接して下さいましたから……」 ゆきはそれは心から認める。 「私は、いつも君とは誠実な気持ちで向き合いたかったんだよ……」 「……小松さん……」 甘い苦しさで胸がいっぱいになる。 「君を愛人として最初から扱っていたら、私は無慈悲に君を抱いていたよ。ただの欲求を満たすケダモノと同じようにね。まあ、結果的には、君を抱いてからは、ケダモノのように抱いてはしまったけれど……、だが、君を大切に思っていたよ」 小松は苦笑いを浮かべたが、その後の眼差しは翳り、何処か切なそうだった。 「君の気持ちを考えながら、時期を伺っていたつもりだったけれど、なかなか上手くはいかなかったね……。私のほうが限界だった。君が欲しくて、欲しくて、堪らなかったから……」 小松は、こちらが切なくなってしまうぐらいに、胸に迫る声で呟く。 「ゆき、私は、本当のことを言うとね、君を一度も、愛人だと思ったことはなかったよ」 小松に真っ直ぐ見つめられる。 眼鏡の奥の眼差しは、とても誠実で、真剣だということは、直ぐに感じ取れた。 小松はきちんとゆきと向き合ってくれている。 ならば、自分も小松と正しく向かい合わなければならないと、ゆきは思った。 なにも隠し伊達は出来ない。 揺れていた意志が、ピタリと止まり、強固になった。 腹を括る。 腹を括って話をしなければ、ゆきのほうが不実だと感じたのだ。 ゆきは深呼吸をする。 こうするとかなり落ち着いた。 「……小松さんは、私のことをどのように思われていたのですか?」 一番知りたかったこと。 ゆきは率直に訊いた。 「君のこと……、ね」 小松はフッと寂しげに笑う。その表情がとてもきれいで魅力的で、ゆきは思わず引き込まれてしまった。 「……君はどうなのかな? 私を嫌な男だと思ってた? 嫌な上司、援助と引き換えに、身体を欲求するような、最低な男だと、君は思っていた? まあ、実際に、私が、欲求したことは、最低なんだけれどね」 小松は目を伏せる。 とても哀しそうな視線に、ゆきは胸が軋むほどに痛んだ。 小松を心ごと抱き締めてあげたい。 そう思わずには、いられなかった。 「……そんなこと、一度も思ったことはありません……」 ゆきはふわりと、小松を抱き締めるような笑顔を向けた。 「……え?」 小松は驚いたように目を見開き、息を呑む。 「私は、小松さんのことは、厳しくて、冷たくて、冷静で、物事を見極める目を持った、素敵な人だと、ずっと思っていました……」 ゆきは誠実に素直に、自分の気持ちを、小松に伝えた。 それが一番だと思ったからだ。 「……ゆき……」 小松は信じられないとばかりに、ゆきを見つめる。 「小松さんが、私にとても気遣って下さっているのは、気付いていました。だって、小松さん、私の気持ちを汲んで下さっていたから……」 ゆきは泣きそうになりながら、小松に気持ちを伝えた。 「……だったら、どうして、私のそばから離れたの?」 「……もうそばに置きたくはないと思われていると、感じたからです」 言葉にするだけでゆきは辛く思う。 こんなに苦しいことなんて、他にない。 「……あり得ない。そんなこと」 小松は苦し気に呟く。 「……だったら、どうして、あのとき、突き放したのですか? ……私は、小松さんに完全に嫌われていると思いましたから……」 「君は困った子だね……」 小松は困ったように呟くと、ゆきを、真っ直ぐ見つめてくる。 まるで、心を矢で射抜かれるような気持ちになった。 「……それはね、私も、君が私を嫌って離れたいと思っていると、感じたからだよ……」 小松は透明感のある声で、切なく呟いた。 「……小松さん……」 小松の告白に、ゆきは胸が軋むほどに苦しくて、涙がこぼれ落ちた。 お互いに、お互いを気遣いすぎるが故の結果だったのだ。 まだ遅くない。 ゆきは小松に笑みを向けた。 |