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女性にも男性にも聞こえる。 「……ああ。彼女に子供が出来てしまってね。予定は変更だよ」 小松は事務的に話すが、何処か想定外だとばかりの色を滲ませている。 ゆきには、それが嫌だった。 胸が苦しくなる。 やはり、子供のことは、受けいられない事実なのだろうか。 そうならば、こんなにも哀しいことは他にはない。 ゆきにとっては、お腹のなかの子供は、何よりも大切な命だからだ。 小松は産むようにと、言ってはくれたが、それを本当は心から望んでいなかったらどうなのだろう。 ゆきはベッドの上で膝を抱えて、まるで子供のように座った。 電話の相手は、女性なのだろうか。 今まで、何度も話していた相手と同じような気がした。 小松は電話を終えたようで、ベッドルームに入ってきた。 既にきちんと身支度が整えられている。 隙のない、成功した実業家そのものだ。 惚れ惚れとするほどに素晴らしいが、ゆきは重い気持ちになった。 「ゆき、起きていた?」 「はい、起きていました……」 ゆきは気分が愁いでいっぱいになりながら、小松を見上げた。 「どうしたの?」 ゆきの切ない表情に小松は直ぐに気付き、その瞳を覗き込んできた。 小松は、本当に切なそうな表情をする。 「……何でもないですよ」 ゆきはさらりと小松をかわすように言う。すると、小松は明らかな不快感を表した。 「どうして君は、そんなに投げやりな表情になるの?」 小松は明らかに怒っていた。それもかなり怒っている。 ゆきは驚いて、その顔を見た。 「……ゆき、私たちは、誤解をして、離れ離れになってしまう事態になってしまった。私は同じ轍を踏みたくはないよ」 小松は厳しく言い切ると、ゆきを真っ直ぐ見つめる。 「ゆき、君は、本当にバカだ。きちんと伝えあうと昨日、ふたりで話し合った筈だよね?だったらちゃんと言いなさい。わだかまりを残しておいても、ろくなことはないからね」 「……小松さん」 小松には嘘を吐けない。 「……ちょっと嫉妬しただけです」 「嫉妬?」 小松は訳が解らないとばかりに、眉を寄せる。 「先ほど、電話をされているのが聴こえて、女性の方と親しげに話していらっしゃったようで、ほんのり胸が痛かっただけです。前も同じように親しげに話していらっしゃったので、その時も、恋人と話していらっしゃるのかと思っていました……」 ゆきは、オブラートに包むのではなく、ストレートに言った。 嫉妬なんてバカな感情は、きっと小松は嫌がるに決まっている。 ゆきは重い気持ちになった。 小松は呆れたのか、眉を神経質に上げる。 信頼していないのかと思われたかもしれない。 愛されているのは分かっている。 だが、不安だ。 男の人を真正面から好きになったのは、初めてだったから。 「……ゆきくん、君はそんなことを気にしていたの?」 「はい」 小松は呆れているだろう。 「後で、嫉妬や勘違いが出来ない事実を教えてあげる。ご両親に挨拶に行く前に、少し寄らなければならない場所が出来たからね。そこに寄ってからだよ。その時に解るよ」 「はい」 いったい、何がわかるのだろうか。 ゆきは不安と期待が入り雑じりながら、頷いた。 「残念ながら、私は今から出なければならないけれど、君は?」 「今日は授業はないので、うちに一旦、帰ろうかと……」 「君のうちには一緒に行きたいからダメ」 小松は微笑みながら呟く。 「ダメですか?」 「勿論。ご挨拶の前に行かなければならないところかあると、言ったでしょ?」 「分かりました。では、ここで待っていたら良いですか?」 「待っていて。君は、余り無理をしてはならない体だからね。ここで休んでいなさい。以前と同じようにして構わないから」 「はい」 小松は、名残惜しいとばかりにゆきを抱き締めたあと、額にキスをして、仕事に向かう。 「小松さん、いってらっしゃい」 「行ってくるよ、ゆき」 小松を送り出しながら、ゆきはくすぐったい気持ちになる。 大好きなひとを、ベッドに入ったまま、しかも裸で送り出すなんて、かなり不作法だ。 だが、これも幸せだ。 ゆきはにんまりと微笑みながら、暫くは余韻に浸っていた。 夕方まで少しのんびりとした。 流石に、つわりもあり、身体がとろとろとして重いので、ゆきは横になったりしていた。 妊娠が分かってから、こんなにものんびりしたのは、初めてなのかもしれない。 ゆっくりさせて貰えて、ゆきは有り難いと感じていた。 それでも、小松と一緒に暮らしていた頃のルールを守って、やるべきことはきちんとした。 小松との約束だからだ。 夕方、早い時間に、小松が家に戻ってきた。 「ゆき、出掛けるよ。支度は出来ている?」 「はい」 ゆきが立ち上がると、小松は手をしっかりと握り締めてきてくれた。 こうしていると、本当に幸せな気持ちになる。 「先ずは、君が喜ぶところに行くかな?」 「私の?」 「まあ、行けば解るよ」 「はい」 ゆきは、小松に手を引かれて、駐車場へと向かう。 ゆきが望む場所というのは、いったい、何処なのだろう。 車に乗せられて、ゆきはまるでマジカルミステリーツアーに参加したような気持ちになった。 車は高級ブティックが並ぶ場所に向かう。 有名デザイナーのアトリエなどもある。 小松の車は、ブティック街の駐車場に停められた。 「さてと。行くよ。君が好きなところだと思うよ」 「はい」 小松に手を引かれて、ゆきは歩いて行く。 確かに憧れの街。 だが、ゆきは、何だか気後れしてしまう。 それほどまでに立派な場所だと、ゆきは感じていた。 「ゆき、ここだよ」 小松が指差したのは、婚礼衣裳で有名なデザイナーのアトリエだった。 ファッションショーも華やかに開催されている。 ゆきが知っているほどに有名なのだ。 小松に導かれて、ゆきはアトリエのあるビルに、緊張しながら、入った。 「まあ、小松さま、ようこそ!今朝の電話で仰っていた、婚約者さまですね?」 出てきた女性は、中年の優しい雰囲気のデザイナーだった。 今朝の電話の主。 ゆきは、自分が明後日な方向で嫉妬していたことに、今更ながら気付いた。 なんて恥ずかしいのだろうか。 小松をちらりと見つめると、涼やかに艶やかに微笑まれた。 |