*愛人契約*


 小松に直ぐに引っ越してくるようにと言われて、ゆきはその準備に終われていた。

 解っている。

 これを受け入れなければならないことは。

 重い気持ちではあるが、奮起してやるしかないと思っていた。

 重いのに、嫌ではない。

 なんて不思議な感情なのだろうかと、ゆきは思う。

 その理由は、未だによく分かってはいない。

 自分のなかで上手く感情が整理出来ていないというのは確かだった。

 ゆきは必要なものを詰め込み、引っ越し会社に委ねる。

 引っ越し会社の手配も、総て小松がしてくれたので、ゆきは特にすることはなかった。

 家具も持っていかなくて良いと言われて、本当に服や教科書等を運び入れるだけだ。

 ゆきは引っ越し会社の車に乗り込み、小松の家に向かう。

 引っ越し会社も、やはり薩摩グループの関連会社で、ゆきは丁寧に接客してもらい、かなり恐縮してしまった。

「もうすぐCEOのご自宅です」

「はい」

 小松の自宅は、雰囲気の良い、高級マンションだった。

 凄いお屋敷に住んでいるとばかり思っていたので、ゆきには意外過ぎた。

 車は静かにマンションの正面に乗り付けられた。

「では、お部屋にご案内します」

「有り難うございます」

 明らかに引っ越し会社の幹部の初老の女性が、ゆきを小松の家へと案内してくれる。小松がかなり信頼しているだろうということは、直ぐに分かった。

「荷物はこちらに運んでおきますから。あなた様のお部屋はこちらでございます」

 女性は静かにドアを開けて、部屋を見せてくれる。

 そこは、15畳はある、ゆきだけが使う部屋のしつらえだった。

 ドレッサー、ベッド、ライティングデスク、本棚、クローゼット、パソコン、テレビ、DVDと、ありとあらゆるものが揃っている。

 しかもどれも高級そうで、しつらえがよい?。

 本当に使うのが勿体無いぐらいだ。

 ゆきは暫くは部屋を見つめるしかできなかった。

 ここまでしてくれるとは、思わなかったのだ。

 流石は、小松帯刀だ。

「ドレッサー、ベッド、ライティングデスク、本棚、クローゼット、パソコン、テレビ、DVDは用意済みですから、ご自由にご利用下さいませ。後、冷蔵庫の中には、お飲物や夕食が準備されています」

「何から何まで有り難うございます」

 本当に至れり尽くせりだ。

「後、こちらはカードキーです。私たちが帰りましたら、キーのセキュリティが変更され、今日だけは、小松さまが帰られるまで、そのキーでは、開きません。明日以降は普通にお使い頂いて大丈夫ですよ」

 女性は淡々と必要事項だけをゆきに伝えると、カードキーを手渡してくれる。事務的だった。

「有り難うございます」

 ゆきはカードキーを受け取りながら、とうとうこれで、この状況から、小松帯刀からは到底、逃げられないのだということを悟る。

 それも覚悟の上で、ゆきはカードキーを受け取った。

「では、私どもはこれで。荷物の整理を頑張って下さいませ」

 女性と、引っ越し会社のスタッフは深々と頭を下げると、家から出ていってしまった。

 これで本当に新しい人生が始まるのだ。

 ゆきは腹をくくるしかなかった。

 小松は、ゆきのために、なるべく過ごしやすい環境を作ってくれた。

 これには感謝するしかない。

 今日だけは、小松の家から出られない。

 ゆきは、荷物の整理をすることにした。

 ゆきが、小松の家に来ても、何一つ困ることが内容にと、きちんと準備をしてくれている。

 なんてありがたい事なのだろうかと、ゆきは感謝した。

 小松が事前に準備をしてくれていたので、ゆきの荷物整理は直ぐに終わった。

 部屋を見渡すが、まだまだビジターな気分で、今日からここで暮らすなんて、ゆきには想像もつかないことだった。

 本当にホテルに泊まっているような気分にしかならない。

 それぐらいに、小松が用意してくれた部屋は、生活感がなかった。

 片づけが終わると、これといってすることがなく、ゆきはベッドの上に横たわる。

 やはり見える天井が違う。

 それがゆきを切なくさせる。

 家ではないのだ。

 ここは、ゆきが今日から暮らす場所なのだ。

 あくまで家じゃない。

 それに、何時までここにいるのか、いられるのかも分からないのだから。

 小松の愛人。

 頭のなかで繰り返す言葉としては重いものだと、ゆきは思う。

 ゆきは溜め息を吐く。

 いつまでこうしているのだろうか。

 ゆきは切なく感じる。

 ベッドに横たわっても、寝返りを何度も打って、落ち着かない。

 今夜、このベッドで、小松に抱かれるのだろうか。

 そんなことを苦しく考えてしまう。

 ドキドキしてきた。

 嫌なリズムではなくて、甘くて柔らかなリズムだ。何処かときめきすら感じるものだ。

 意識してしまうと、全身の血が、顔に集まったのてまはないかと思うぐらいに、ゆきの顔は真っ赤になってしまった。

 キスすら経験がないし、どうして良いのかが分からない。

 ゆきは、両手で自分の頬をしっかりと包み込みながら、その熱さに思わず目を閉じた。

 不思議な感覚だ。

 小松のことを意識すればするほど、ゆきは息が出来なくなる。

 腹を括って小松のところに来たつもりだったのだが、結局は、それほどの覚悟はいらなかったのではないかと思った。

 こんな感覚はかなり不思議なのだが。

 ミイラ取りがミイラになる。

 そのようなフレーズが、ゆきの頭に浮かんだ。

 どうして、小松のことを嫌にならないのだろうか。

 どうして、小松のところにやってきてしまったのだろうか。

 ゆきも根本的なところは全く分からなかった。

 

 いつの間にか寝ていたらしい。

 ゆきが目を覚ますと、既に夕方になっていた。

「夜ご飯が、冷蔵庫にあるってことだよね」

 今日は外には出られないから、ゆきは用意されていた食事をすることにした。

 ローストビーフとサラダ、暖めるだけのスープ、暖めるだけのパン、そしてデザートが用意されていた。

 きちんとした食事に、ゆきはときめきながら食事をした。

 

 食事の後も、小松は帰って来ない。

 ゆきが待っていると、小松から素っ気ないメールが届き、先に風呂に入り、眠るようにと書かれていた。

 ゆきはメールの通りにすることにし、先ず、眠る準備をした。

 やはり、契約が契約なだけに、緊張してしまう。

 バスルームに向かおうとしたタイミングで小松が戻ってきた。

「お帰りなさい、小松さん」

 ゆきが笑顔で出迎えたと同時に、甘く抱き締められた。



マエ モドル ツギ