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だが、そもそも、“小松帯刀”なる人物はどのような人物なのだろうか。聞いたことがあるような、ないような、それぐらいの知識ぐらいしかゆきにはなかった。 「ウィキペディアとかに載ってるのかな。まさか、載ってるなんて、思わないけれどね ゆきは、自分のパソコンを立ち上げて、“小松帯刀”で検索をしてみた。すると本当に、ウィキペディアに載っていたので、ゆきはびっくりした。 小松帯刀は、維新十傑のひとりで、若くして亡くなった、幕末の薩摩藩家老であったこと。明治維新は彼の影の尽力によって、成ったこと。そして、彼が生きていれば、明治政府は良い方向に進んだだろうと言われていること。坂本龍馬が一目を置いていた人物であることが解った。 ただ、表舞台には立たず、常に誰かを立てるために活躍した人物であるが故に、歴史に埋もれてしまったこと。 高潔でありながら、人望があり、柔軟な人物で、優しい人柄と書かれており、ゆきは、小松帯刀に逢いたいと強く思った。 「この手紙を届けてあげたいなあ。本当に好きだったのかな? ”龍神の神子”のこと……。これほどまでのひとに愛されるなんて、きっと素敵な女性なのかな……」 ゆきはひょっとすると、小松帯刀と龍神の神子の悲恋がウィキペディアに載っているかもしれないと、検索をしてみたが、全く載ってはいなかった。 がっかりして、ゆきは溜息を吐く。 ゆきはどうすれば、龍神の神子に手紙を届けられるのか思案するが、中々良いアイディアが見つからない。 もし、小松帯刀に手紙を書くことが出来るのであれば、龍神の神子を探し出せないことを伝えるのに。 ゆきは、届かないのは承知の上で、小松帯刀に手紙を書くことにした。手掛かりが全くないのだから、しょうがない。 小松清廉帯刀様 はじめまして、私は、あなたよりも百年は未来にいる、蓮水ゆきと申します。 偶然にも、あなた様が使っていた文箱を手に入れて、あなたが隠していた恋文を見つけてしまいました。 きっと、あなたが、お相手の”龍神の神子”様に、届かないことを解っていて、書いて、こっそり忍ばせた恋文なのでしょう。 あなた様のような、素晴らしい方が恋する女性がどのような方だったのか、興味があったので、恋文を渡したくなりました。 龍神の神子様に渡せないかどうか、探してみましたが、私の力では無理のようでした。 何の手がかりもないので、どうしたら良いのか解りません。 もし、手掛かりを教えて頂いたら、私は探してみます。名前が解れば、ひょっとしてどうにかなるかもしれません。 こんな手紙を書いても、これもまた、所詮、戯言なのかもしれませんね。 この手紙をあなたの手紙に重ねてこの文箱に入れておきます。文箱はずっと大切にして使いますね。 蓮水ゆき ゆきは手紙を書くと、小松帯刀の手紙に重ねて文箱に入れた。想いだけでも届くと良い。ただ、それだけを思っていた。 その不思議なことが起こり始めたのは、ゆきが手紙を文箱に入れてからしばらくしてからだった。 文箱の底板が、いつもよりも少し浮き上がっていることに気づいた。 ゆきは、父親の精密ドライバーを使って、ゆっくりと蓋を開ける。するとまた、黄ばんだ半紙に書かれた手紙が入っている。ゆきは、あの手紙の半紙が、空気に触れてしまったことによって、パリパリのゴワゴワになって、膨らんでしまったのだろうと思った。だが、宛名を見て、 ゆきは目を見開く。 蓮水ゆき殿 小松清廉帯刀 まさか、自分の名前が書かれているとは思わなくて、ゆきは驚いてしまった。手紙を取る手が、震えてしまう。 ゆきは鼓動が激しくなるのを感じながら、手紙を開いた。こんなに緊張することなんて他にないと思ってしまうぐらいに、緊張をしてしまった。 あの手紙が届いたのだろうか。そんな不思議なことがありえるのだろうか。だが、ゆきに過去の手紙を届けた文箱だ。何でもありなのかもしれない。 ゆきは深呼吸をしながら、慎重に手紙を開いた。半紙の乾燥した感触が、時間の流れを感じさせた。 ゆきは手紙に書かれた文字に視線を落とす。紙は随分と褪せているようにもかかわらず、まるで昨日にでも書かれたかのような、鮮やかな墨が美しかった。 蓮水ゆき殿 君からの文を興味深く読ませて貰った。まるで伽噺草紙のような、滑稽な話だったからだ。 そもそも、この文箱に隠し棚があることを知っているのは、私と作った職人だけ。 なのに、西洋の文を書く紙で書かれた文が入っていた。面妖だとも思ったが、何だか面白くもあった。 龍神の神子だなんて、それこそお伽噺話のなかにいる。私は龍神の神子に恋をするような、幼子ではないよ。 君は、龍神の神子を探して、私が書いたらしい文を届けてくれるらしいけれど、それは出来ないだろうね。 龍神の神子なんて、雲の上にいるだろうから。 いくら百年後にいるらしい君にも無理だろう。 どのような手紙を読んだのかは解らないが、礼は言っておこう。有り難う。 楽しませて貰った。 この文を、底板の下に入れておけば、未来の君に届くかもしれない。 そう託そう。 君が百年もあとの世界にいるならば、その話を聞かせて欲しい。文を届ける気になったならね。 それと、私は死の床になどついていないよ。すこぶる健康だから安心して良い。 文久二年 小松清廉帯刀 手紙を読んで、ゆきは愕然とする。明らかに小松清廉帯刀は、死の床になどついていないことが解る。 日付を見ると、明らかにこの前の手紙よりも古いものだということが解る。 あの手紙への返事を書いたはずなのに、受け取った小松は、ゆきが知っている手紙を書いている人物が、それよりも前に受け取ったということになる。これ以上に不思議なことがあるのだろうか。時間軸が狂っている。 ゆきは、この前に受け取った手紙が、まだ文箱に入っている筈だと探してみた。だが、何処にも入っていなかった。 ゆきは思わず眉を寄せた。こんなにも不思議なことがあるのだろうか。 ゆきは何度も小首を傾げた。 今度、ゆきが手紙を書いたら、いつの小松帯刀に届くのだろうか。そんな興味もあって、ゆきは再び手紙を書くことにした。 小松清廉帯刀様 御手紙有り難うございます。死の床にいるあなた様が、大坂から龍神の神子に書いたものは恋文だと思っていました。 でも、私の手紙を目にしたあなたは、恋文を書かれたあなたよりも過去のあなたでした。不思議すぎます。 とても不思議な文箱です。 この文箱は、京都の骨董屋さんで見つけました。京都は、京のことです。 とても綺麗な細工がされていて、気に行って買ったのです。 私が百年以上後の人間であるという証明として、京都の絵ハガキを同封します。 だから、今度は、小松さんが、私に龍神の神子について教えて下さい。どのような方なのか、とても興味があります。 また、お手紙を書きます。 蓮水ゆき ゆきは手紙を書き終えると、京都の絵ハガキと共に封筒に入れて、また文箱の下板の下に忍ばせた。 どうか、小松帯刀に届きますように。今度は時間軸がおかしくなることがなく、この手紙が届きますように ゆきは強く願った。 あれから、文箱の中が気になって、気になってしょうがない。 小松帯刀からの返事をひたすら待っている自分がいる。まるで恋文を待っているかのようだ。 文箱での文のやり取りしかしていない、逢ったこともない人物であるにもかかわらず、ゆきは小松からの手紙が楽しみでしょうがなかった。 楽しみ過ぎて、毎日のように文箱を覗いてしまう。それは、手紙を楽しみにして、ポストを毎日覗きこんでいるのと同じだった。 過去のひととの文通。だから、手紙はいつ届くかが解らない。それでも、ゆきは、待たずにはいられない。 今日こそはと思い、ゆきは文箱を覗き込む。するとまた、”御印”のように、こんもりと下板が浮きあがっていた。 ゆきは慌てて下板を外すと、また、パリパリの黄ばんだ半紙が出てきた。 小松帯刀かならの返事だ。嬉しくてしょうがなくて、ゆきは手紙を開いた。 蓮水ゆき殿 君が、本当に百年後のひとであることを、同封してくれた、写真で確認をしました。最初は、絵だと思ったけれど、違うのだね。色のついた写真であることに気付きました。 京の町は随分と変わったようだ。 きっと、江戸も、薩摩も変わっていることでしょう。 この目で確かめたいと、思ってしまいました。 しかし、君は面白い子だね。気にすることなく、過去の人間に文を認めることが出来るなんて。 私は未来に行って、君に逢いたいとすら思いました。無理な話だろうけれどね。 ”龍神の神子”とは、今まで、何度か、私たちの世界を救った異世界の未来から来た娘のことだよ。白龍に遣わされた娘だ。娘には八葉という、男の守護者がついていて、世界を救うのだけれど、私には、お伽噺としか、思えないけれどね。 私が答えられることはこれぐらいだ。君が気にいると良いけれど。 また、君から面白い話を聞かせてもらえることを、私は期待している。 また、気が向いたら文をくれると嬉しい。 小松清廉帯刀 小松の手紙にゆきはこころから温かな気持ちになる。今度はちゃんと届いて、時間もそれほど経過していないように思えた。 ゆきはすぐに返事をする。 今度は、東京、そして、鹿児島から絵ハガキを取りよせて同封することにした。 小松清廉帯刀様。 お返事有り難うございました。とても嬉しかったです。 龍神の神子というのは、伝説やお伽噺話の中のひとなのですね。八葉という男性を束ねるなんて、ちょっと素敵かもしれません。 有り難うございました。 お礼に、現在の薩摩、鹿児島県の様子を写した絵葉書と、現在の江戸、東京の様子を写した絵葉書を同封します。 小松さんがいらっしゃる今と、この絵葉書にある私の世界に今と、見比べてみて下さい。 ちなみに小松さんは、私の時代でも素敵な方で有名です。 こうして手紙を書けるのが嬉しいです。 私はまたアメリカの学校に戻りますが、いつか、小松さんについて勉強が出来ればと思います。 この手紙が届きますように。 届かなくても、また、手紙は書きます。 親愛をこめて。 蓮水ゆき ゆきは、小松に手紙を書いている間、不思議な幸福感に包まれていた。本当に恋文を書いているような気分になる。 そもそも、恋文というものを書いたことがないから、ゆきにはどのようなものかが、わからなかった。 ひょっとするとこの手紙は、ファンレターに近いものかもしれない。 小松への純粋な憧れが込められているのだから。 出逢って話をすれば、きっと素晴らしいのだろう。ゆきは、叶わないと思いながらも、小さく願っていた。 また、文箱の下板が膨らんでいた。 ゆきは、小松が返事をくれたのだろうと思い、半ば興奮しながら、下板を外す。 すると、また、黄ばんでカサカサに乾いた半紙が入っていた。 ゆきは嬉しくて、つい笑顔で文を開く。 どのようにして、小松に手紙が届いたかは分からない。だが、こうして返事を貰えた事実がとても嬉しかった。 蓮水ゆき殿 文と絵葉書という絵を有り難う。京の未来の写真といい、今回のものといいこんなにも綺麗な写真は見たことがない。色つきの写真を見たのが、そもそも、君に貰ったものが初めてだ。未来の技術なんだろうね。 こんなにも技術が発展したなんて、本当に驚きだ。 良いものをどうも有り難う。 君が、亜米利加に留学をしているとは、興味深い。君の時代には、女子も留学をし、勉学に勤しむことが出来るのも、驚きだ。 君が通訳をしてくれるのならば、英吉利との交渉が有利に進むかもしれないね。 君が未来の人間であることは、少しだけ信じても良いのかもしれないね。 私が未来でどのように語られているかは、気にしないよ。私は、後世で何を語られているなんて、全く気にはならない。知りたくもないから、話さなくても良いよ。 私は、私の時代にいる今が大切だから。 物なんて届かないかもしれないけれど、文に鈴を入れておくよ。 お守りになるようだよ。 魔避けでも使ってくれたら良い。 また文をくれたら嬉しい。 願わくは、君に逢いたいとは思うけれど、それは決して真っ当な考えではないと、私は、考えているよ。 この文のやり取りすら、摩訶不思議なんだから。 小松清廉帯刀 小松の手紙を読んでいるだけで、ゆきはにんまりと笑いたくなるぐらいに、幸せな気持ちになった。 本当にこんなにも暖かな気持ちになる手紙は、他にないのではないかと思う。 ゆきは鈴を取り出すと、耳元で鳴らしてみた。鈴は経年のせいか錆びていて余り良い音色が響かない。だが、心にはきらびやかな澄んだ音色が響き渡るような気が、ゆきにはした。 鈴の錆を出来る限り取って、ゆきはそれをお守りとして持ってゆくことにした。 また、アメリカに戻って勉強する日々が始まるのだから、この鈴はきっと護ってくれるはずだ。 小松帯刀と心を通わせた証として、この鈴は、ずっと持っていたいとゆきは思う。 ゆきは、かけがえのない宝物だと強く感じる。 小松との文のやり取りはこうして始まった。 |