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ゆきはドキドキせずにはいられない。この紙を使用しているのならば、ゆきの小松帯刀は、八葉の小松帯刀かもしれない。 そんなことがあるのだろうかと思いながらも、ゆきは、少しずつ信じたくなる。 小松は、ゆきと文通してくれていた、小松帯刀そのものなのだろうか。まだ謎が残ってしまう。もしそうならば、ゆきが、文通相手であることを、途中で気づいているはずだ。ならば、あんなにも冷たい態度は取らないだろう。 この紙は、ゆきの世界の過去にもあった可能性はあるから、ひょっとするとその紙を使った可能性も考えられる。 全くの別人だ。ゆきは必死にそう考える。同じ働きをしている、同じ名前を持つふたり。片や病弱、片や健康で強靱な肉体を持つ。 二人が違うのは、そこと、ゆきに対しての”優しさ”だけではないかと、思った。 ゆきは紙を大切に持つと、そのまま店を出ようとした。 「小松様のところに、紙をお届にあがってきます」 店の奥から声が聞こえて、ゆきは思わず振り返る。すると、店の下働きの者が、大きな荷物を持って出かけるところだった。 小松様。まさか、小松帯刀のことかもしれない。ゆきは勇気を振り絞って、声をかけた。 「あ、あの!」 「何でしょうか?」 「小松様って、薩摩藩のご家老のことですか?」 「ええ、そうですよ。あなた様は、小松様のことをご存じで?」 「はい、少しだけ……。あの、小松さんは、この紙を愛用されているということはございませんか?」 ゆきは、先ほど買った紙をそっと差し出して見せた。 「ええ。この紙は小松様に是非と頼まれて、作った紙でございますよ。何でも、百年は持つ紙を作って欲しいと……」 小松が百年持つように作らせた紙。 ゆきの心は大きく揺さぶられる。文を交わしていた、小松帯刀は、やはり、ゆきの八葉である小松帯刀ではないのか。 ゆきは逸る気持ちを抑えることが出来ずに、そのまま、一条堀川にある、御花畑と呼ばれる、小松邸へと駈けだしていった。 「おい、ゆき! どこに行くんだよ!」 小松の邸は、龍馬と一緒に、一度、邪魔をしたことがあった。だから、だいたいどこにあるかは解る。ゆきは必死になって走ってゆく。 体力がないだとか、そんなことは関係ない。今は、小松帯刀が、本当にゆきの知る、小松帯刀かを確かめたかった。 小松に逢って、きちんと確かめたい。 蓮水ゆきという女の子と、文を交わした覚えはないかと。 ゆきは息を切らしながら、一条戻り橋付近にある、小松の邸へと急いだ。 小松の邸まで来ると、ゆきはその前で息を激しくさせる。 走りすぎたからだろうか。かなりくらくらして、どうしようもない。ふらふらし過ぎて、ゆきは思わず深く瞳を閉じた。 小松に逢いたい。逢って話がしたいのに、力が尽きてしまいそうになる。 小松に逢いたい余りに、走りすぎたのだろうか。 くらくらする。頭が痛くて、気持ちが悪い。折角ここまで来たのに。ゆきの視界は真っ黒になり、意識もいつの間にか遠のいた。 目を開けると、全く見慣れない天井が視界に入ってきた。 「ここ、どこなんだろう」 ゆきは急に落ち着かない気持ちになって、飛び起きた。とても良い布団が敷かれている。香の良い匂いがする。 ふと障子戸に目をやると、背筋の綺麗なシルエットが見えた。すぐに誰かが解る。小松帯刀だ。そう認識した途端、ゆきは緊張のあまり背筋を伸ばす。鼓動がおかしくなるぐらいに早くなった。 「神子殿、起きているの?」 小松の人を突き放したようなクールな声が聴こえてきて、ゆきは更に胸を張った。 「は、はい」 「御邪魔させて貰うよ」 「どうぞ」 小松は静かに部屋に入ると、ゆきの前にシャンとして腰を下ろす。ゆきを見つめるまなざしは厳しくて、とても冷たい。 「神子殿、うちの前に倒れていたところを、出入りの紙問屋が発見したのだけれど、あなたは何か用があってここに来たの?」 小松はまるでゆきに尋問をするかのように言う。怜悧な小松の眼差しから、一瞬、逃れようと思ったが、それも出来なかった。 「神子殿、用は何なの? あるなら言って。こう見えても、私は忙しいからね」 「はい……。この紙で、文を書かれたことはありませんか?」 ゆきは、小松にそっと、先ほどの紙を見せた。小松の表情が一瞬変わる。目をスッと細めて、より厳しい表情になった。 「それはあるよ。この紙は、私が紙問屋に命じて作らせたものだからね」 「この紙で、手紙を書かれたことはありませんか? 蓮水ゆきという、百年後にいると言った女の子に……」 小松はひゅっと息を呑んだが、それは一瞬のことで、直ぐにいつものクールな表情に変わった。 「ここから百年経った異世界にいた神子殿に私が? そんな不思議なことがあるというの?」 小松は失笑すると、ゆきをまるで小さな子供のように見つめる。 「そんなこと、あり得ないでしょ?君は解っているの? そんな御伽草子のような話はあり得ないよ。龍神の神子の存在自体も、八葉の存在自体も、御伽草子の中の話だと言ったでしょ?」 小松はあきれ果てるように言うと、立ち上がった。 御伽草子の中の話 確かに、そんなことを、手紙の中で小松が認めていたのを覚えている。だが、小松は言葉で、ゆきに伝えてきたことはなかった。 やはり、あの手紙の相手は、ゆきの八葉である小松帯刀に間違いはない。 ゆきは勇気を持って、小松に向き合う。きちんと糺さなければならない。 「小松さん、私は手紙の中でその話を小松さんから伺いましたが、その話は、この世界では、小松さんから直接伺ったことはありません」 ゆきがキッパリと言い切ると、小松は、一瞬、立ち止まる。 「具合が良くなったら、あなたの宿に送らせるよ。少し休んでいなさい」 小松は何事もなかったかのようにそれだけを言うと、静かに行ってしまった。 小松はどうして否定をしてしまうのだろうか。ゆきはその意味が解らなくて、益々重い気持ちになる。思わず溜息を吐かずにはいられなかった。 このまま、ここにいてもしょうがない。 ゆきは立ち上がると、敷かれていた蒲団だけを畳んで、部屋を出ることにした。 下働きの者に声を賭けておけば、誰かが小松に伝えてくれるだろう。 ゆきはそっと部屋を出ると、きょろきょろと周りを見ながら歩き出す。勝手の知らない屋敷なので、どうすれば玄関先に辿り着くのか、ゆきには全く解らなかった。 「あら、神子様、どちらに行かれるのですか?」 小松の家にいる下働きの女性に声を掛けられて、ゆきは歩みを止めた。 「あの帰ろうかと」 「では、送らせて頂く手配を」 「あ、良いんです。私ひとりで帰れますから、大丈夫です」 ゆきは笑顔で恐縮しながら伝えた。だが、女性は、益々困ったような表情をする。 「困りましたわ。それですと、私たちが御家老様に叱られてしまいます」 「本当にひとりで大丈夫ですよ。ここまでもひとりで来たんですから」 「ですがねえ、最近の京は、随分と物騒になりましたからねえ……」 女性は本当に困ったように溜息を吐いた。 「そこまで気にされないでください。本当に大丈夫ですから。ひとりで帰れますよ」 「そう申されましてもねえ……」 すっかり困り果ててしまった女性は、眉を顰めてしまった。ふと、女性の手に持たれた、艶やかな文箱に目を奪われる。 ゆきが持っているものよりは若干色が薄いが、照りのある艶のある文箱。 まさか。あの文箱かもしれない。 「あ、あの、その文箱、見せて頂けませんか?」 「ああ、構いませんけれど。御家老が捨てると仰っていたので……」 「え……」 ゆきはその事実にショックを受けながら、女性から文箱を受け取った。 箱をじっくり見れば、見るほど、あの文箱であることが確信できる。素晴らしいほどに見事な細工も、全部同じだ。 「あ、あの、この、文箱、素晴らしいですね」 「ええ。御家老も大層大切にされていたのに、急に捨てると仰って。何かあったのかとこちらが勘繰りたくなるぐらいに、本当に急に捨てると仰ったんです」 「そうですか……」 小松が大切にしていた。それは、ゆきからの文を心待ちにしてくれていたということなのだろうか。それならば、こんなにも嬉しいことはない。 「あの、この文箱を頂いてもよろしいですか?」 「それは、構わないですけれど……。御家老にお伝えしませんと」 「あ、小松さんからは、私が伝えておきますから」 ゆきは早口で言うと、文箱を抱きしめる。 女性は、ゆきがあまりにも気にいったのだろうと判断したのか、しょうがないとばかりに溜息を吐いた。 「解りました。どうせ捨てるものですから、神子様、お持ち帰り下さい」 「有難うございます」 ゆきは嬉しくて、つい明るい笑顔を女性に向けた。ゆきにとっては、とっておきのプレゼントを貰ったような気持ちになった。 「では、頂いてゆきますね。あ、ひとりで帰れますから。失礼します」 ゆきは再度女性に頭を下げると、そのまま廊下を駈けてゆく。 小松に見つかったら、また、嫌な顔をされるかもしれない。それならば、その前に、帰ってしまったほうが得策だ。ゆきは、玄関がどの方向かが解らないのに、バタバタと走っていった。 幸い、適当に走ったら玄関を見つけられ、玄関先の使用人に履物を出して貰って、ゆきは小松邸を出た。 一条堀川の小松邸から、宿に向かって歩いていると、都が走って近づいてきた。 「ゆき!」 その後ろには瞬がいる。きっとふたりとも心配してくれたのだろう。特に、都との買い物中に、飛び出してしまったのだから。 「おい! 小松の使者から連絡を貰ったんだぞ! 小松のところに行っているって!」 やはり、ゆきが抜け出して帰ってしまうことは、小松にとっては想定内だったのだろう。ちゃんと、都たちに連絡を入れてくれていた。 「ごめんなさい……。迎えに来てくれたんだ」 「あたりまえだろ!? お前のことが心配なんだから」 「有難う、都、瞬兄」 「さあ、帰りましょう」 瞬は静かに言うと、ゆきを先導するように、先に歩いて行く。 「ん? その箱? ゆき、お前、同じの持っていなかったっけ? すごく大事にしていただろう?」 「うん。多分、同じものだと思うんだけれど……」 「多分?」 「あ、う、うん。こっちのことだよ」 ゆきはごまかすように笑うと、もう一度、文箱をギュッと思い切り抱きしめた。 「やっぱりそれが大事なんだな。確かにアンティークで良い物だったからな。だけどそれ、ちょっと、新しくないか?」 「うん、新しいよ。これ。小松さんから頂いたの」 「ふ〜ん」 相性の悪い小松の名前が出たからか、都はあからさまに不機嫌になる。 ゆきは都を見て笑顔になりながら、文箱を抱きし、胸がいっぱいになった。 |