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気持ちを切り替えよう。 ゆきは前向きに考えることにした。 今日も、ゆきは怨霊退治に奔走しながらも、龍馬や高杉たちに力を貸すために奔走しようと、張り切っていた。 朝一番に、龍馬と高杉が迎えに来ると聴いて、ゆきは準備をして待っていた。 だが、朝一番に、ゆきを迎えに来たのは、高杉でも、龍馬でもなく、小松帯刀だった。 「……小松さん……」 「君に話がある。龍馬と高杉には、君を借りることを伝えている。今日は、龍神の神子と八葉としてではなく、小松清廉帯刀として、蓮水ゆきくんに話をしに来た」 小松は、いつものような他人行儀ではなく、初めてゆきのことを名前で呼んでくれた。よそよそしさはなかったが、どこか、ぎこちなさあった。 「一条堀川の私の邸まで来てくれないかな?」 「はい。解りました」 ゆきは緊張しながら背筋を伸ばすと、小松にしっかりと頷いて見せた。 「有難う。じゃあ、行こうか」 「はい」 ゆきは小松の後を着いてゆく。その背中を見つめていると、本当に重いものを背負っているのだと言うことを感じずにはいられない。 だが、小松はそれを見事に背負って、支えている。 本当にすごい人だと思う。 文を交わすようになり、そして、こうして、一緒に戦うようになって人となりに触れて、ゆきは、小松帯刀は、素晴らしい人間だと、感嘆する。 だから、この人にかかわれただけでも幸せなのだと、ゆきは強く思った。 「私の馬で行くからね。君は一緒に乗りなさい」あ、は、はい」 小松はいつもよりもずっと優しい。だが、その優しさは、いつも他の女性に向けているものとは違って、艶はなくどこかその名前と同じ無私の清廉な優しさがあった。 ゆきを馬に先に乗せた後、自分も乗る。 小松と馬を二人乗り状態で乗るなんて、ゆきは思っても見なくて、緊張のあまりについぎこちなくなってしまう。 本当に恥ずかしくて、どうして良いのかが解らない。 「しっかりつかまっていて。市中だから、早く走らないけれど」 「あ、あの、こんな状態で馬に乗っても大丈夫なんですか? こ、小松さんは、薩摩藩の御家老様だし……」 薩摩藩の家老が女性を馬に乗せて、一緒に市中を走っているところを見られてしまったら、色々とまずいのではなかろうかと、ゆきは思った。 だが、小松はクールにしらっとしているだけだ。明らかに問題ないとばかりのスタンスだった。 「別に私は、何を言われても気にしないよ。それとも君は、気にするの?」 「あ、あの、わ、私も、気にしないです」 「そう……、だったら構わないでしょ?」 小松はさらりと言うと、そのまま、一条堀川に向けて馬を走らせる。 本当に大胆だとゆきは思う。今まで、ゆきに対しては、これほどまでの大胆な行動はしてこなかったというのに、本当にどのような心境の変化だと言うのだろうか。 小松につかまりながら、ゆきは甘いときめきが止まらないことに気付く。 諦めなければならない人だと言うことは解っている。 文を交わし始めた時から、好きになったとしても、決して報われる相手ではないことを、ゆきは解っていた。 あの時は、物理的に離れているからこそ、一緒にはなれなかったのだが、今は、物理的に離れていないが、気持ちは遠い。 どちらも切なくて辛い状況には違いないと、ゆきは思う。 馬で歩いている間、小松とは話さなかった。 だが、その落ち着いた香の匂いや、逞しい小松の背中を意識しながら、ゆきはときめかずにはいられなくて、とてもこころは華やいだ忙しさに満ちていた。 解っている。このような感情を抱いても、全く無駄なことぐらいは。 だが、無駄だと思えば、思うほどに、こうして離れがたくなってしまっているのも、また事実だった。 一条堀川の小松邸に到着すると、直ぐに馬から下ろして貰えた。 小松がゆきを抱き上げて下ろしたものだから、恥ずかしさとときめきは最高潮となり、つい、耳まで真っ赤に してしまった。 「ゆきくん、行くよ。私の執務の部屋に」 「はい」 ゆきは小松の後に着いてゆく。本当に、この後に、何を言われるのだろうかと、緊張せずにはいられない。 小松は、私室にゆきを通してくれる。 小松の私室は、その清廉な人柄を示すのか、とても簡潔な部屋だった。「座って。君に渡したいものがあるから」 「はい」 ゆきは言われたとおりに正座をし、背筋を伸ばす。 小松は静かに、あの文箱を取り出すと、ゆきの前にそっと差し出した。 「これを君に差し上げるよ」 「小松さん……」 小松はただ実直で清廉たる眼差しをゆきに向ける。その瞳に映る光は、厳しさと同時に優しさも滲んでいる。 ゆきは眼を逸らすことが出来なかった。 「文は読ませて貰ったよ。この文箱は、君が持っていることが望ましいと、私は思ったから」 「有難うございます」 ゆきは文箱を愛しい気持ちで撫でる。この文箱は、小松とゆきをしっかりと繋いでくれたものなのだから。とても大事なものだ。 小松は少し小首を傾げ、切なそうな表情を浮かべる。どうしてそのような表情を浮かべるのか、ゆきには解らなかった。 「文箱には妬けるね。君にそんなに大切にされて」 小松はフッと自嘲気味に微笑むと、落ち着いた清水のような声で呟いた。 清廉 名前の文字と同じように清らかな水のような声だと、ゆきは思った。 「君なら、きっと大切にしてくれるね。その確信があったからこそ、この文箱を君に渡したかった」 「大切にします」 「そして、君が、本当の意味で元の世界に戻る時には、この文箱を私に戻してほしい。それが条件だよ」 「はい」 元の世界に帰れば、ゆきの文箱はある。小松に返すのが筋だろう。 「解りました。それまではずっと大切にします」 「有難う」 小松は静かに頷くと、穏やかに微笑んでくれた。こんなに優しい微笑みは、今まで見たことがない。だが、この微笑みが、きっと小松の本質を見せてくれる微笑みなのだろう。 ゆきはそう感じずにはいられなかった。 「私は出来る限り、君に力になるつうもりでいる。君がすべきことと、私がなすべきことは、重なってきている。これからは、君の八葉として、全力を尽くそう」 「有難うございます」 ゆきもまた穏やかな笑顔を浮かべて、小松に頷いた。だが、本当は、心の奥でもやもやとしたものを感じずにはいられない、 龍神の神子と八葉として。 それだけでは物足りないことは、ゆきには充分卓ぐらいに解っていた。 小松が全力を尽くしてくれることは、ゆきにとってはこれ以上ないぐらいに嬉しい。 だが、それはあくまで、ゆきの八葉として、薩摩藩家老、小松清廉帯刀としてのやらなければならないことが、重なったにすぎない。 小松の傍にいられる。 小松が八葉として一緒に闘ってくれる。 それだけで良いと望んだのは自分なのに、ゆきは気持ちが重くなるのを感じた。 まるで心という名の空に、厚くて灰色の雲がかかったような感覚だっ。 「これからも、宜しくお願いします。あ、あの、八葉として、宜しくお願いします。私も龍神の神子として、精一杯力を尽くします」 ゆきは深々と小松に対して頭を下げる。胸が痛い。良いことのはずなのに、瞳から涙が出そうだ。まるで恋を失ったかのような感覚に、ゆきは胸が詰まりそうになった。 「……ゆきくん、私が”神子殿”と君を呼んでいないのに、気付いていないの?」 「え?」 小松の声に導かれるかのように、ゆきは顔を上げた。すると、小松が呆れかえるような表情をして、溜息を吐いていた。 「あ、あの。そういえば、です」 「全く……。君って子は……」 小松はもういちど深々と溜息を吐いた。あからさまにゆきには失望したのだと言いたげだった。 「あ、あの……」 ゆきはすっかり不安になってしまい、更に心に暗雲を抱きながら、小松を見た。 「覚えていないの? 今日、私は、君に小松帯刀として逢うと言ったでしょ? 君の八葉であるという立場で逢うとは、一切言わなかったはずだけど?」 そう言えばそうだ。 小松は、小松帯刀として、逢うと、朝、キッパリと宣言してくれたのだから。 「小松さんが、八葉として、これからも手を貸して下さるのが嬉しくて」 「それは当然でしょ? 私は、君の八葉であるし、何よりも、目指すところが同じだからね。薩摩は、藩としての組織力を活かして、新しい時代を作ろうとしているんだから、当然だよ。薩摩藩家老としても、龍神の神子殿のご助力が欲しいところだからね」 小松は、いつもの冷たい表情に戻ると、怜悧なまでに呟いた。仕事の話をしている時は、本当にとことんまでに冷静な表情になる。 |