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「それでも、小松さんと一緒に何かが出来るのは嬉しいです。これで、私も恩返しをすることが出来ますから。ずっと、励ましてもらえて、ここまで頑張ってこられたんですから。アメリカに留学している時も、小松さんの手紙があったから、頑張れたんです、手紙にも書きましたが、本当にその恩返しがしたいです」 ゆきは、恩返し以上の感情を小松に持っていることは、十二分に解っている。だが、それを表立たせてしまったら、きっと小松に迷惑をかけてしまう。それは、ゆきにとっては出来ない相談と言っても良かった。 「ゆきくん、君は本当に恩返しだけなの?」 「え?」 小松が、ゆきの心を見透かすように訊いてきた。胡麻化そうと思っても出来ないぐらいに、小松はゆきの瞳を真っ直ぐ射抜くように見つめている。 「……それは……」 「君はもっと聡い子だと思ったけれど?」 小松はほんのりと苛立っているようにも思えた。小松は、ゆきを視線でとらえて離さない。逃げられないと、ゆきは感じた。 「ゆきくん、君の気持ちはどうなの?私に恩返しをするために頑張るの?それだけなの?」 小松はゆきから決定的な言葉を引き出そうと、言葉で、視線で、攻め立ててくる。 ゆきは息苦しくなる。本当の気持ちを小松に吐露してしまったら、困らせやしないだろうかと。 「……あ、あの、私……」 ゆきは言葉を詰まらせながら、小松を無意識で上目遣いで見つめる。 「そんな眼差しをしても、私は君を許してはあげないよ? ちゃんと言いなさい」 「わ、解っています、そ、それは」 ゆきは大きく息を吸い込む。 「……私はやるべきことをやらなければならなと解っています、そして、それを成し遂げるつもりでいます」 「私は君のそのようなところを気に入っているよ」 「有難うございます……」 ゆきは小松の”気に入っている”という言葉に、鼓動が甘く揺れるのを感じながら、小松に改めて向き合った。 「……また、手紙のやり取りをしていた時のように、小松さんに傍にいて、励まして頂けたらと思っています……。それは……」 話しているうちに、ゆきの喉はからからに乾いてゆく。それほどまでに、緊張していた。 「それは?」 「……それは。そうすれば、私は精いっぱい、持っている力よりも発揮できるような気がするからです」 小松は薄く笑った後、ゆきを柔らかな瞳で見つめてくる。艶のある小松の瞳には、ゆきは到底、逆らえないと感じた。 「どうしてかな……?」 「あ、あの……。あなたは大切な八葉で」 「私に、八葉として、支えて貰いたいと、君は思っているの?」 「それもありますが……」 小松の表情を見ると、もどかしいと思われているのは解る。だが、なかなか言葉に出来ないのだ。 きっときちんと言わなければ、いつまで経ってもこの問答は続いてしまうことになるだろう。 ゆきは腹を括るしかないと観念した。 「小松さん、私は、八葉としてだけではなく、小松清廉帯刀さんとしても、支えて頂きたいと思っています。あ、あの、私を龍神の神子としてだけではなく、蓮水ゆきとして支えて貰いたいと……」 こんなことを言っては、小松が困ってしまうだろう。小松が困惑している表情を見る勇気はなくて、ゆきは、小松の表情をきちんと見ることが出来なかった。 だが、次の瞬間、小松に思い切り抱きしめられた。 「……あ……」 「良く出来ました」 小松は低い声で呟くと、ゆきを更に強く抱すくめてきた。こんなに強く抱きしめられるなんて思わなくて、ゆきは驚きの余り、ほんの一瞬、固まってしまった。 「……私は、君を、小松清廉帯刀として、ひとりの男として、支えたいと思っているよ……」 小松は低い声で艶やかに呟くと、ゆきを更に抱きしめてきた。本当に息が出来ないほどに激しく抱きしめられてしまう。 小松の男らしい腕の中でしっかりと抱きしめられて、ゆきは瞳から大粒の涙を零した。 こんなにも誰かに支えられていると感じたことが、今まであっただろうか。 小松の力強い抱擁を受けていると、世界で一番幸せな女の子なのではないかと、思わずにはいられない。 「……私も、君には、龍神の神子としてではなく、蓮水ゆきとして、私を支えて欲しいと思っているよ……」 小松の声は、とても艶やかでしっかりとしていると同時に、透明感のあるとても美しいものだった。 小松は自分の腕の中で、ゆきとしっかりと向き合う。 「私もね、ずっと激務で、ただ、薩摩の為に、藩士の為に、領民の為に頑張ってきた。今はもう治ってしまったけれど、脚の状態が芳しくなことがあって、追い詰められそうになった時に、君の文を見つけたんだよ」 小松は懐かしそうに目を細めると、フッと優しい笑みを浮かべた。 小松の繊細で美しい指先で、頬を撫でられる。 そうされるだけで、ゆきは甘い気持ちで胸がいっぱいになるのを感じた。息が出来ないぐらいに甘い感情が、ゆきの心と魂の中でいっぱいになった。 「君の文は最初、イタズラかなんかだと思ったよ。妙な紙に入っていたし、明らかに筆ではない物で書かれていた。しかも、私が大坂で死ぬなんて書かれていた。全く、頭がおかしい子からの手紙だと思ったよ。大坂には、勝殿と面会に行ったり、龍馬を拾ったりしたから、馴染みのある土地ではあったけれど、それでも、荒唐無稽な話だと思った」 小松は、今思い出しても笑えてしまうのか、フッと甘やかな笑みを浮かべたままでいる。 「だから、面白いと思って返事を書いて、作らせたばかりの文箱に文を入れた。なぜだか、この文箱を使えば、君に届くと、そう確信したからね。それから、君からの返事がまた届いた。君と文を交わすのはとても楽しくて、私は、いうしか楽しみになっていた。そして、君に逢いたいと思うようになった」 「小松さん、私も小松さんに逢いたいと、ずっと思っていました」 小松と自分が同じ気持ちであることが、ゆきにとっては、何よりも嬉しいことだった。 ふたりの想いは、手紙を通じて、しっかりと重なっていたのだ。本当の意味で出会う前に。そう思うと、この奇跡への感謝と感動に、ゆきは泣きそうになった。 「不思議なことに、君と文を交わし始めた途端、私の脚の具合は良くなって、健康状態も回復してしまった。これには奇蹟だと、正直思ったよ。薩摩で執務に明け暮れていた頃と同じように、私はすこぶる健康になった」 小松は嬉しそうに微笑むと、もう一度ゆきの頬を愛おしげに撫でてくれる。 小松に頬を撫でられるだけで、ゆきは、全身が蕩けてしまうのではないかと思うぐらいに、甘い幸せに満たされた。 「……だから、私も、君にはずっと、癒され、励まされ続けていたんだよ。君は文で様々なことを私に教えてくれた……。それが楽しみで、楽しみで、私はしょうがなかったんだよ。その文があるから、私は頑張れた。君がいつも、まるで私の傍にいるかのように、支えてくれたのだよ……。だから、私は、ここまで困難を乗る越えてゆけたんだよ」 小松の眼差しからゆきが解けて、温かな川のような透明で美しい光が宿った。 「小松さん……。嬉しいです……」 こんなに嬉しい告白なんて他にない。ゆきは涙ぐみながら、小松を泣き笑いの表情で見つめた。 「ほら、泣かないの……」 小松は苦笑いを浮かべながら、ゆきの瞳からほんのりと滲んだ瞳を指先で拭う。 「……私もここまでやってこられたのは、君のお蔭なんだよ。君が、絵葉書という名の、とても綺麗な色つきの写真で色々と教えてくれたから、私も大きな視野で色々と考えられた。本当に、君には感謝しているんだよ」 「私だって同じです。小松さんに支えられたから、頑張ってこられた」 「……私たちはお互い様だと言うことかな? お互いに、文を通じて、お互いを支え合っていた。そういうことになるかな?」 「はい。それが本当に嬉しいです」 「私もだよ」 ふたりはお互いに、とびきりの笑顔で微笑みあうと、ごく自然に互いの額をくっつけて、微笑みあった。 温かな笑みに、お互いにくすりと笑い合う。 小松は、ゆきの顔をもう一度しっかりと見つめると、唇を重ねてきた。 最初は、ゆきが驚かないようにと気遣ってくれたのか、柔らかな優しいキスだった。 その後、何度も軽いキスを繰り返しては、お互いに微笑みあう。 何度も、何度も、フェザータッチのキスをする。 恥ずかしいけれども嬉しい。 こうして唇を重ねていると、本当に幸せだと全身で感じることが出来る。 キスを重ねて、お互いに、支え、支えられていることを、改めて感じることが出来た。 小松のキスは少しずつ、深くなってゆく。深くなるにつれて、甘さが、激しさへと変わってゆく。 お互いの情熱を交換するように、何度となく唇を重ね合った。 いつしか、互いにしっかりと抱き合う。 恥ずかしいのに、幸せで、こうしていると、全身から喜びが溢れてくる。更に頑張ろうと、ゆきは思わずにはいられなかった。 小松の舌が口腔内に入ってきて、ゆきは驚いて思わず目を開けた。だが、そんな驚きをかき消されてしまうかのように、小松のキスは更に深みを増してゆく。 甘くて、そして激しいキスに、ゆきは小松以外のことを考えられなくなってしまう。 本当は、お互いにこのようなことはいけないと言うのに、ゆきは小松に溺れてしまう。 キスも、抱擁も、そしてとても艶やかな香りがすることも、優美な雰囲気なのに、精悍で男らしいところも。 総てにおいて、ゆきは小松に溺れずにはいられなくなった。 肌が震えて、今まで感じたことのないような気持ちよさに、背中がざわつく。 このままでは、もっと激しいキス、いやそれ以上のものを求めてしまう。そう思ったところで、小松の唇が静かに離された。 「……これ以上は、私も、君も、止めておいたほうが良いかもしれないね……」 小松は苦笑いを浮かべながら、ゆきからそっと離れた。 小松に離れて欲しくなくて、ゆきの胸は切なく締め付けられる。喪失の甘い痛みに、ゆきは思わず深い溜息を吐いた。 「ゆきくん、君から貰った文も、絵葉書もちゃんと、とってあるよ、いつもこれを眺めて、この国を繁栄に持っていこうと誓ったよ」 小松は、書斎の奥にある錠のかかる引出しから、ゆきが送った手紙を取りだしてきた。 「これだよ」 小松はゆきに手紙を差し出し、絵葉書を見せてくれた。何もかも懐かしい。 逢ったこともない人に恋をして、手紙をつづった。その証がここにある。 ちゃんと届いて、大切にしてくれていた人が、目の前にいるのだ。 「大事にして下さっていて嬉しいです」 「当然でしょ? あの文のやり取りは、私にとってもかけがえのないものだったからね……」 小松はしみじみと呟くと、愛が滲んだ目をスッと細めた。 「君と初めて逢った時に、その名前を聴いて驚いたよ。まさか、あの文を交わしている相手なのかとね。すぐに、君が本人であることは解ったけれど、私は告げられなかった」 小松はフッと微笑むと、ゆきを見た。 「君に告げたところで、私の想いは満たされるかどうか解らなかったからね。それに、君は、いずれ私の元から消えてしまう運命であることも、薄々解っていた。だから、生身の君に決して深入りするまいと、私は思った……」 小松は寂しそうに笑う。こちらの胸が痛むほどの愁いの帯びた笑みだ。 ゆきが帰ること。それは、再び、ゆきと小松が時間を隔たれてしまうことを指す。 そうなればお互いに、身を引き裂かれると同じぐらいに辛くなる。 「一度逢ってしまって、心を更に通わせてしまった後に、離れ離れになって、君がいなくなったら、それは重いね……」 小松は言葉にするのも辛いとばかりに、表情を歪めた。 「深い入りしてしまえば、私は君を離せなくなると思った。けれど、もう遅いね。君に深入りしているのは、今でも間違いないのに」 小松はゆきに柔らかい笑みを向ける。本当に優しい笑みに、ゆきは胸が詰まるような想いになる。 「だけど、後悔はしていなし、あの文で君が私に伝えた未来は、私たちの手で変えることが出来ると、そう感じたからね。君が、薄緑の紙で私にくれた文で、そう感じた」 小松は、もう迷わないとばかりに、ふっ切った表情を浮かべる。 「結末は私たちふたりで作ろう」 「はい」 あの文の結末を、ゆきは詳しく知っている。だが、きっと、あの通りの結末にはならない。今はそう信じられる。 小松とは離れることはない。 「……これからも君をずっと支えたい。また、支えて貰いたいと思っているよ」 「私もずっと小松さんを支えたいです、そして支えられたいです。二人が夢見る結末を私たちで作りましょう」 今ならゆきはきっぱりと言い切れる、。小松とならば、どのような未来も作って行けると。 小松は真っ直ぐゆきの瞳を真摯に見つめてくれるこれほどまでに誠実で清らかな眼差しはない。 この眼差しならば、心から信じられるとゆきは思った。 「ゆきくん、君を愛しているよ。今までも、これからも……」 小松の心のこもった愛の囁きに、ゆきは胸がいっぱいになって涙がこぼれおちる。 小松にしっかりと抱きつくと、ゆきの心も身体も包み込むように、抱き返してくれた。 小松の腕のなかほどドキドキして、そして安心出来る腕はないと、ゆきは確信する。 「……私も、小松さんのことが大好きです……。あ、愛しています……」 「ゆきくん……」 小松は眼のふちを赤らめながら、本当に幸せそうに、ゆきに笑みをくれる。 小松の笑みを見つめるだけで、ゆきは幸せな気持ちになった。 「私たちが離れないために、考えよう。きっと方法があるはずだから。ひとつ、思いついてはいるけれど、それをするには、やはり、今、目の前にある、やらなければならないことを、乗り越えてゆく必要があるからね」 「小松さん……。そうですね、今はやらなければならないことを優先します。きっと、私たちの大儀が為れば、私たちが離れなくて済む方法がおのずから解るでしょうから」 「そうだね」 「それがどのようなことかは、教えては頂けないのですか?」 ゆきは、小松の考えが知りたかった。そうすれば、自分がやるべきことが解るような気がした。 「今は、少し早いかな。君のことだから、きっとすぐに解るようになるよ。私も、そうなるように、今の大儀をなし、その準備をする。だから、私たちは大丈夫だよ。絶対に離れないから」 「はい!」 再び、ふたりは軽く口づけると、誓い合うように抱きしめ合う。 小さな文箱が起こした大きな奇跡。 ゆきはこの奇跡に感謝をしながら、愛するひとをしっかりと抱きしめる。強く抱きしめて、もう二度と離れないことを、ゆきは宣誓せずにはいられない。 「ゆきくん、離さないから。しっかり掴まっていて」 「はい、私もしっかりと、離れませんから」 二人は笑顔で誓い合うと、もう一度、その誓いを明確にするために、唇を重ねた。 |