*夫婦しぐれ*


 

 食事のあと、ゆきは、平田殿と一緒に小松を見送る。

 殿方を送り出すというのは、寂しいが何処か華やいだ気持ちにもなった。

 ドキドキしてしまう。

 初めての妻としての仕事だ。

 小松の背中を見送っていると、ゆきは幸せな気持ちになる。

 こんなにもほわほわとした素敵な気持ちは他にはないのかもしれない。

 たっぷりと甘い気持ちを、ゆきは十分に味わった。

 小松が仕事に出てしまうと、ゆきは何もすることがなくて、どうして良いのかがよく分からなかった。

 ゆきは、やることを思い付かなくて、思わず女中に訊いてみた。

「あの、なにかお手伝い出来ることは、ありませんか?」

 ゆきの言葉に、女中は驚いたように息を呑んだ。

「そんな、奥さま!とんでもないことでございますわ!」

 女中は滅相もないとばかりに首を振る。

 ゆきは少しでも手伝えればと思っていたのだが、全く何も出来そうになかった。

 ふと、足首に平田殿がからみついてくる。

「奥さま、平田殿が奥さまと遊びたいと申していますよ」

 誰もが忙しくしているから、平田殿も寂しいのだろう。

「じゃあ、平田さん遊ぼうか」

 ゆきが手を差しのべると、平田殿は嬉しそうに喉を鳴らしていた。

 ゆきは、猫じゃらしになるようなものが何処かにあるか探してから、平田殿の遊び相手になった。

 何もさせては貰えそうにない以上はしょうがない。

 ゆきは、平田殿の相手をしながら、のんびりとすることにした。

 小松の奥方として、ゆきは何をどうして良いのかが、全く分からない。

 小松が妻に選んでくれた理由は何があったのだろうか。

 何も出来そうにないのに。

 家を取り仕切るなんてことが、出来るのだろうか。

 ゆきは、益々どうして良いかが分からなかった。

 小松のことであるから、ゆきには自分で考えろと言ってくるかもしれない。

 それが容易に分かる。

 ならば、もう一度、女中に言って、一日にどのようなことをしているのかと、身をもって知る必要があると思った。

 平田殿が遊びに飽きた後、ゆきはすぐ、女中を取り仕切る頭の元に行くことにした。

「何でも良いのでお手伝いをさせてください。この家のことを色々と知りたいのです」

 ゆきは思い詰めたように言うと、女中頭は困ったように溜め息を吐いた。

 だが、直ぐに僅かに笑みを溢すと、頷いてくれた。

「しょうがありませんね。奥さまの願いですから、致し方ございませんわ」

 女中は溜め息を吐きながらも、何処か笑顔で頷いてくれた。

「では、先ず、簡単に出来ることといえば、縁の拭き掃除でしょうか?」

「有り難うございます」

 ゆきはどのような仕事であったとしても、与えられた仕事はきちんと行おうと思っていた。

 それ故に、女中たちは最初は戸惑いを隠せなかったが、直ぐにゆきを受け入れてくれた。

 縁の拭き掃除は、思った以上に大変であると同時に、楽しむことも出来た。

 他の場所の拭き掃除も終えて、ゆきが総てを終える頃に、平田殿がのっそりと起きてきた。

 ゆきは、直ぐに平田殿の世話と遊び相手になる。

 また平田殿が寝てしまい、どうしようかと思っているところで、奥向にある書物棚を見つけた。

 沢山あり、ゆきは読みがいがあると思い、しっかりと読むことにした。

 これもまた勉強になるだろうと、夢中になって読む。

 本当は名家の奥方などではなく、自分で地に立つことが出来る仕事がしたかった。

 だが、なかなかそのようなことが出来る環境ではないことは、解っていた。

 だが、小松帯刀ならば、地に立つゆきを認めてくれるかもしれない。

 厳しい目を持っているのは解ってはいるが、小松ならば信頼できると思った。

 小松ならば羽ばたけるような気持ちにすらなる。

 このひとについて行けば大丈夫だ。

 そんな気持ちになれた。

「奥方さま、殿が間もなくお帰りでございます」

「有り難うございます」

 女中が呼びに来てくれたので、ゆきは慌てて玄関へと出て行く。

 勿論、平田殿もご機嫌そうにゆきと一緒に着いていった。

 玄関先に出ると、小松がちょうど帰ってきたところだった。

 その姿を見るだけで、ゆきはドキドキしてしまう。

 仕事帰りの小松は、艶やかで危険だとすら思う魅力をたたえていた。

「お帰りなさいませ、小松さん……」

 相変わらず、“小松さん”としか言えないゆきに、小松は苦笑いすら浮かべながら、優しく頷いてくれた。

「奥方さま、殿のおめしかえでございます。お手伝いを」

「はい」

 小松のために何かが出来る。それだけでゆきは嬉しくて、つい勢いよく返事をした。

 ゆきは小松の後をしずしずと着いてゆきながら、部屋に入った。

 そこには、平田殿も同行する。

 平田殿は、小松のことが本当に好きなようだった。

 ゆきは見ているだけで、微笑ましいとすら思った。

 「奥方さま、殿のお着物をお受け取り下さいませ」」

「はい」

 小松の着物を受け取る。ゆきはそれだけで緊張してしまい、カチカチになった。

 小松は苦笑いする。

「そんなにも固くならなくて大丈夫だよ、ゆき」

 小松の感情のない声に、ゆきは一瞬、びくりとする。

 だが、しょうがない。

 緊張しているのは、確かなのだから。

 ゆきはドキドキしながらも、まだしゅんとしていた。

 小松の着替えの手伝いが終わり、ゆきはもっと頑張らなければならないと、更に気持ちを固くしてしまう。

「ゆき、夕げに行きなさい。私も直ぐに向かうから」

「はい」

 小松に言われて、ゆきはほんのりとしょんぼりしながら、食事をする部屋に向かった。

 

 小松は女中頭とふたりになる。

「今日のゆきの様子を聞かせて」

「奥方さまは、自分でやるべきことを模索しておいでですわ。この家を取り仕切るためには、どのようなことをしているのか、お知りになりたいご様子で、今日は拭き掃除をなさっていましたわ」

「……そう」

 小松は慎重に女中頭の話に耳を傾ける。

「後は本を熱心に読んでいらっしゃいましたわ」

「解った」

 小松は女中頭の話にを、無表情に聞きながらも、内心はほくそえんでいる。

 ゆきは、やはり見込み通りの女だと思った。

 小松はゆきを妻に選んだことを満足しながら、話を聴く。

 まだ、見極めなければならないところがあるが、それでも一日目にしては合格だと思った。

 これ以上の妻を望んでも、来ないだろう。

 小松はそう強く感じずにはいられなかった。


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