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余り体調が良くない状況で、ここまで頑張ってくれるゆきに、深く感謝している。 その上、笑顔で出迎えてくれたことが、本当に幸せだ。 ゆきの笑顔を見つめるだけで、小松は最高に充たされて、世界で 一番幸せな男は自分なのではないかと、強く思うほどだ。 それほどまでに、小松は幸せを感じていた。 なのに、つい冷たい態度に出てしまう。 ゆきには特に厳しくしてしまうのだ。 女性をこのように扱ったことなど、小松には一度としてなかった。 いつも花は優しく愛でるものだと、ずっと思っていたからだ。 それも、ひとときの退屈しのぎの。 だが、ゆきは違った。 小松に退屈しのぎにはさせなかった。 前を見て、やがて自分で自分の道を切り開いてゆけるタイプだった。 今までとは違う花だったから興味を持ったのだ。 何とかしたいと思ったのだ。 小松としては、ゆきに神子として自覚を持った行動をして欲しいと切に願う部分があるのと同時に、甘やかせたいとも思う。 だが、薩摩藩家老としての理性が、ギリギリのところで、流されないようにと、小松を踏みとどまらせる。 今のゆきには甘やかせることは出来ない。 その理由は、小松が一番よく分かっているのだ。 苦しい。 ゆきにはもっと安心して守られる環境にいて欲しい。 だが、ゆきが一番願うことを成就させるには、厳しくするしかないのだ。 龍神の神子としての強い自覚を促さなければならないのだ。 八葉の中で、それが自分の役割であることは、小松にはよく分かっている。 だからこそ、厳しくするのだ。 だが、そうすると自分の胸がチリチリと痛くなるのも分かっている。 しかし、そうしなければならないのだ。 そして、あの華やかで優しいゆきの笑顔を、独り占めすることが出来ないことへの苛立ちが、何処かに根深くあるのかもしれない。 それは確実にあるだろう。 自分だけに向けられない笑顔であることが分かっているからこそ、どこか嫉妬染みた対応をしてしまう。 小松はここまで分かっている自分に、つい苦笑いをしてしまう。 本当にゆきを自分の手で保護をして、一生涯、閉じ込めたいと思っている。 それが、今は許されない感情であることも、充分に理解している。 だが、消せない。 消そうとすれは、するほどに、想いは強くなる。 ゆきのこと以外には考えられなくなるぐらいに。 このままゆきを突き放してしまったほうが良いのだろうか。 そんなこと出来るのだろうかと、小松は考えてしまった。 小松は手にしている、京紅と手鏡を見つめる。 ゆきに渡したい。 ゆきへの募る想いをこらえられなくて、小松はゆきの部屋に向かった。 小松には嫌われているのだろうか。 そう考えるだけで、ゆきの気持ちは重くなる。 一番嫌われたくないひとに嫌われるなんて、よくあることだ。 だが、ゆきはそれが一番辛いことだった。 ふと、誰かの気配がする。 「ゆきくん、いるかな?」 小松の艶やかな声が聞こえる。 ゆきは慌てて背筋を正した。 「はい」 「少し、構わないかな」 「はいっ」 遅くまで起きていたことを咎められるのだろうか。それとも、陽炎や怨霊の浄化を依頼されるのだろうか。 ゆきはそんなことを考えながら、障子戸を開けた。 「どうぞ」 「いや、こちらで構わないよ」 小松は静かに言うと、ゆきに、小さな包みを差し出した。 「おみやげ」 まさか贈り物だなんて思ってもみなくて、ゆきは驚いた。 だが、直ぐに喜びが込み上げてくる。 こんなにも嬉しいことは他にないと思うぐらいに嬉しい。 とても嬉しくて、ゆきは笑顔になった。 「有り難うございます」 本当に嬉しい。 小松が気遣ってくれることが、本当に嬉しい。 ゆきは笑顔になりながら、もう一度小松を見た。 「小松さん、とっても嬉しいです。有り難うございます」 ゆきが微笑むと、ほんの一瞬だけではあるが、小松も微笑んでくれた。 「用件はこれだけだよ」 小松はらしくあっさりと言うと、直ぐに立ち去ってしまった。 ゆきはその様子をただ見つめる。 小松に貰ったお土産をそっと見る。 こうして気にかけてくれるだけで、ゆきは嬉しい。 小松が気遣ってくれるのが、何よりも嬉しかった。 障子戸を閉じて、ゆきは包みをそっと開く。するとそこには、欲しいと思っていた京紅と見事な細工が美しい手鏡が入っていた。 小松はゆきが京紅を欲しがっていることを、どうして知っているのだろうか。 それが嬉しくもあり、不思議でもある。 小松が選んでくれた京紅と手鏡。 ゆきにとっては最高の宝物になるのは、間違いない。 小松が選んでくれた京紅だから、綺麗につけたくなる。 毎日でもつけていたくなる。 だが、急にそんなことをすれば、誰もが勘ぐるだろう。 ゆきは、小松が選んでくれた京紅。 紅筆を水に濡らして使う紅だ。 ゆきは一緒に入っていた紅筆を、水に濡らす。 飲み水を貰っていたので、それを少しだけ筆を濡らすのに拝借をした。 紅筆を濡らして、慎重に紅を筆に取る。 小松から一緒に貰った手鏡を片手に持つ。 幸せな緊張で、ゆきの指先はほんの少しだけ震えた。 綺麗に丁寧にを心がけて、筆を使って紅を引く。 女になる儀式を受けているようや気分になった。 一歩、大人になったような、そんな気持ちになる。 とても幸せだ。 唇に京紅を乗せると、ゆきの顔は一気に華やいだものになった。 華やかで明るい顔になる。 ゆきはそれが嬉しくて、じっくりと鏡を見つめていた。 小松が選んでくれた京紅をつけると、世界で一番幸せで可愛い女の子になったような気持ちになる。 これも小松からの魔法だ。 こんなにも素敵な魔法は他にはないと、ゆきは思わずにはいられない。 ロマンティックでとっておきの魔法を小松から貰ったような気がする。 明日の朝、こっそり小松にだけ、京紅をつけた姿を見て貰いたいと、ゆきは思う。 小松には見て貰いたい。 小松にだけは見て欲しいと思う。 ゆきは早く明日の朝にならないかと思わずにはいられない。 小松は喜んでくれるだろうか。 そうなったら心から嬉しいのにと、ゆきは思う。 |