*うたかたの琥珀*

24


 嫌なくせに、どうしてキスを拒めないのだろうか。

 ゆきは自分の弱さに泣きたくなった。

 分かっている。

 心の底では、小松にキスをされても構わないと、強く思っているからだ。

 とても切なくて重い。

 唇に血の味が滲む。

 キスというのは、もっと甘くて果実のような素晴らしく素敵な味がすると思っていたのは間違いだったのだろうか。

 ゆきは気持ちがどんよりと落ち込む。

 ファーストキスは、大好きなひととすると、ずっと思っていた。

 大好きな人とするキスは、何よりもロマンティックだと、考えて疑わなかった。

 だが、実際は、全くロマンティックでもなんでもなかった。

 ロマンスの欠片もないものだ。

 ただ、大吹きなひとが相手であることだけは、叶った。

 大吹きなひと。

 そこで、ゆきはようやく、小松のことを誰よりも愛しいのだと思っていることに気づいた。

 小松のことが誰よりも愛しい。

 そして大切に思っていることを、今更ながらにゆきは気づいた。

 本当に心から好きなのだ。

 だからこそ拒絶出来ない。

 なのに拒否をしたいと思う。

 それが何故かは、ゆきが一番分かっていた。

 何とか理性をかき集めて、ゆきは小松の逞しい棟を押し戻した。

 すると小松も目が覚めたように、ゆきから唇を素早く離した。

 小松もゆきも気まずい気分で息を乱す。

 こんなにも苦しいなんて、思ってもみなかった。

 胸が痛い。

 同時に、心苦しくて堪らなかった。

 お互いに上手く目線が合わせられない。

 互いの気持ちがぶつかり合ったのに、何も生み出さないなんて、切ないとゆきは思う。

 こんなに後味の悪い感情なんて、今までなかった。

「……どうかしていた。すまなかったね、神子殿」

 小松はいつも以上に気持ちを固くし、それが声に表れていた。

 いつもは見られない動揺すら見えてしまう。

 自分も苦しいが、小松も苦しいのだと、ゆきは強く感じずにはいられなかった。

 こんなにも息苦しいことがあるなんて。

「……いいえ。大丈夫です。小松さん」

 ゆきは瞳にうっすらと泪を滲ませながら呟く。

 小松はゆきの気持ちが苦々しいと思っているのか、目を伏せた。

「……君に余り近づかないほうが良いのかもしれないね……。私は……」

 小松は自嘲ぎみに呟いた後、何かを振り切ったような瞳で、まっすぐ前を見た。

 そこには今まであった優しさは感じられない。

 冷たい合理的な眼差しだ。

 出逢った頃の小松の眼差しだ。

 こんなに冷たい眼差しを向けてきたのは久方ぶりで、ゆきは心が氷の剣で傷つけられるような気持ちになった。

「神子殿、これからは、君にはなるべく近づかない。それだけだ。今朝はすまなかったね」

 小松は、こちらがゾクリとしてしまうほどの冷たい声で呟いたあと、帰ってしまった。

 ゆきは小松の背中を見送りながら、息が出来ないぐらいに胸が痛くなる。

 よそよそしい、“神子殿”という呼び掛けが、苦しくて堪らない。

 こんなにも胸が痛くなるなんて、思ってもみなかった。

 涙がこぼれ落ちる。

 キスのせいじゃない。

 小松に、冷たく、よそよそしくされたのが辛いのだ。

 神子殿だなんて、他人行儀に言われて、ゆきは心がズタズタになる。

 涙が唇にこぼれ落ちる。

 舌先で唇をなぞると、血と涙の味が混じり、しょっぱい味がした。

 

「え、もう京紅は必要ないのか!?」

「うん、ごめんね、都。もう欲しくなくなっちゃった」

 ゆきは笑顔であっけらかんと言う。

「ゆきには珍しいけれど、しょうがないか」

 都は困ったように苦笑いをすると、ゆきを許してくれた。

「本当にごめんね、都」

「良いよ。こんなこと、お前には珍しいからさ」

「京紅、もう必要なくなったんだ。だから……」

「解ったよ」

 もう京紅は塗らないし、探さない。

 今は、粛々と怨霊を浄化するだけだ。

「京紅なんかにかまけていたら駄目だよね。ふたつの世界を救うために、頑張らないと!」

 京紅に夢中になってはいけない。

 それは小松に夢中になってはならないと、ゆきなりの自制だ。

 小松はもう、ゆきのことを今までのようには見てくれないだろう。

 だからこそ、ゆきは気持ちが苦しくなる。

 本当は小松のそばにずっといたい。

 優しくして欲しい。

 そんな気持ちが小松に伝わったから、今回のように突き放されてしまったのかもしれない。

 ゆきは、一人でしっかりと立たなければならないと思った。

 ただひとりで頑張ろう。

 そしてなるべくならば、八葉として以外は、小松に頼らないようにしたい。

 ゆきはそれだけを強く思った。

 

 なんてことをしてしまったのだろうかと、小松は改めて思った。

 京紅を唇にさしたゆきは、素晴らしいほどに美しくて、自分だけのものにしたいという衝動にかられた。

 ゆきを自分のものにしたい。

 ただそれだけだった。

 理性で抑えることが出来ないぐらいに、ゆきが欲しいという衝動にかられた。

 いつもの小松ならば、全くありえないことだった。

 だが、ゆきか絡むと、総てが止められなくなる。

 それほどゆきは大きな存在となっていたのだ。

 ゆきが愛しい。

 ゆきが欲しい。

 今まで以上に欲望と情熱が迸った。

 ゆきの唇は本当に柔らかくて、小松は何度も貪りつくしたくなる。

 それぐらいに、うっとりとするほどに素晴らしい口づけだった。

 あれほど激しく幸せで衝動的な感情は、なんて表現をして良いのかが、小松には分からない。

 全く知らない感情だったので、小松はそれに溺れてしまいそうだった。

 意味の分からない感情なんて、早く葬り去ったほうが良い。

 小松は強くそう思いながらも、そうしたくない自分がいることも知っていたし、また迷う原因でもあった。

 心が苦しい。

 胸が痛いというのは、こういうことなのだろうかと、小松は思った。

 こんな理不尽な感情を抱きたくなくて、小松はゆきとしっかりと距離を置いた。

 そうしなければ、薩摩藩家老、小松清廉帯刀ではなくなってしまうような気がするから。

「難しいね……」

 ゆきにはなるべく距離を置く。

 名前も“神子殿”と呼んで、自制する。

 そうしなければ、自分でいられない。

 だが、ゆきと距離を置けば、置くほどに、小松の気持ちはどんどん深みに向かい、更なる痛みを生んでしまう。

 こんなものは本当にいらない。

 ゆきと近づかなければ、生まれない感情だ。

 なのに、小松は、余計に気持ちが重くなるのを感じる。

 ゆきと距離を置けば、置くほどに、小松は更にゆきを強く求めてしまう。

 もうどうしようもない。

 自分でも、ゆきが好き過ぎて、制御出来ない段階にあると感じていた。



マエ モドル ツギ