*うたかたの琥珀*


「君は聡い娘だね。意味を汲んだようだけれど……、私は君に無理強いはしないよ。君の気持ち次第だ、ゆきくん」

 小松はとても冷静に呟くと、ゆきを真っ直ぐ見つめた。

 態度も淡々として落ち着いている。

 そして、とても好ましい香りがする。

 小松のそばにいたいと、ゆきは魂の底から感じた。

「私の元に来ても、様々な点で、無理強いはしないよ。君が、本当に私に抱かれたいと思えばそうすれば良い。君には、私の京屋敷に住んで貰い、今のように食事を運ぶといった、仕事をして貰う。仕事内容はそれだけ。君を囲うとか、そんな気はないから」

 小松はキッパリと言い切ると、ゆきを見た。

 その眼差しは、名前の通り清廉としていて、欲など感じられなかった。

「……今のところだけれど。君に興味を持った。聡い子だから、うちで働ける貴重な子だと思ってね」

 小松は小松なりに、ゆきのことをきちんと評価してくれている。

 これは有り難いと思う。

 ここまできちんと評価をしてくれるひとは、他にいない。

 ゆきは、腹を括る。

 小松のそばにいるのが一番良いと、感じる。

「分かりました。あなたの元に参ります」

 ゆきは真っ直ぐ小松を見つめてハッキリと言った。これで、後戻りは出来ない。

「君は本当に聡い子だよ」

 小松はそれだけを言うと、ゆきの手を掴んだ。

「行くよ、私の家に」

 小松は素早く立ち上がり、ゆきもつられるようにして立ち上がる。

 小松はゆきの手を引いて、座敷を出る。余りに大胆な手法に、料理を運んでくる下働きの者や、舞妓や芸妓が驚いて唖然としている。

 小松は平然と廊下を渡りきり、玄関に向かう。

 女将が慌てて、玄関先に出てくる。

「女将、世話になった。薩摩は、ここをこれからも懇意にさせて貰うよ。宮中や、幕府にも進言しよう。最高のお茶屋だということを」

 小松の淡々とした言葉に、女将は幸せそうに微笑んだ。

「ゆき、幸せになりよし」

「有り難うございます、女将さん」

 ゆきは慌てて頭を下げて、そのまま小松と共に外を出た。

「さあ、行くよ。君は今日から、うちの子だ」

 小松は用意していた駕籠にゆきを乗せる。

 小松は自分の馬に乗る。

 直ぐに馬は出発する。

 ゆきは緊張する。

 これからどうなるだろうか。

 だが、ずっとお茶屋で下働きをしているよりは、きっと前に進める筈だ。

 ゆきは、背筋を伸ばすと、未来に向かって歩き始めているのだと、感じずにはいられなかった。

 

 駕籠は小松の屋敷に着いた。

 やはり、若いのにかなりの大物なのだろう。立派な屋敷だ。

「さあ、ゆきくん、行くよ」

「は、はい」

 ゆきは慎重に駕籠から降りようとする。すると小松は、然り気無く助けてくれた。

 小松に手をしっかりと握られる。

 すると、ゆきはとても安心した。

「あ、あの、小松さん、私をここに住まわせるには、色々とかかったのでは……?」

 ゆきは恐縮しながら言う。

 ゆきの気持ちを察したのか、小松は一瞬、ゆきを見た。

「君は正式な舞妓ではないからね、水揚げ、身請けはないよ。ただ、この格好をさせるための費用だけだよ。女将には、お茶屋を懇意にする条件を出されて、それを飲んだだけだよ。それだけだ」

 小松の言葉にゆきは頷くと、それ以上は訊かなかった。

「有り難うございます」

 ゆきは、小松に感謝せずにはいられないと思った。

 廊下を歩いていると、いきなりひとがごろんと寝ていて、ゆきは驚いて目を丸くした。

「ひとが」

「ああ。私の知り合いだよ。普段は宿にいることが多いけれど、たまに、うちに寝に来るんだよ」

 小松はしょうがないとばかりに、溜め息を吐いた。

「龍馬、そんなところに転がるのは止めて。通れない」

 龍馬。

 その名前を何処かで聞いたことがあった。

 思い出せない。思いだそうとすると、頭が痛くなる。

「ああ。ここが一番気持ちが良い……」

 龍馬は身体をごろごろさせている。

「龍馬、お嬢さんが驚いているよ。ちゃんとしなさい」

 小松がピシャリと言うと、龍馬は慌てて起き上がる。

「お、お嬢さん!?」

 ゆきの姿を見るなり、龍馬は飛び起きた。

「舞妓、芸妓、か?祇園から連れ去ってきたか?帯刀、お前もよくやるな」

 感心するように、龍馬はゆきを見つめた。

 このひとも必要。

 このひとも仲間。

 何処からか弱々しい声が聞こえてきた。その声を聞きながら、ゆきは龍馬を見つめた。

「今日からうちで働く子だよ。ちなみに、この格好は戯れだから、芸妓、舞妓ではないからね」

「ほお……。よろしく、お嬢」

「よろしくお願いします。龍馬さん」

「おう」

 龍馬を見つめていると、青い龍が背後に見える。それは一瞬のことだった。

「……青い龍……」

 ゆきがぽつりと呟いたことを、ふたりの男は聞き逃さなかった。ふたりの表情が、とても鋭いものになる。

 小松を見つめると、その背後には、白い虎を見つけた。

「……小松さん、白い虎が……」

 小松の顔色が更に変わる。完全に怜悧なものになっていた。

 ふたりの男に、余りにも厳しく見つめられるものだから、ゆきは驚いてしまった。

「あ、あの、どうかされましたか?」

「いや、何でもないよ」

 小松は一旦言葉を切った。

「龍馬、ところで、桂くんは?」

「また、どっかにいっちまったよ。どうせ、芸妓ところじゃないか?」

「考えられるね。まあ、良いよ。桂くんまで、うちの廊下で転がっていたら、ここはどういう屋敷か、ゆきが驚くだろうからね」

 小松は苦笑いをする。

 本当に、この屋敷は、客人が多く、ひとが常に転がっているところなのかもしれない。

「まあ、そうだろうな。普通は。だけど、ここは普通じゃないからな」

「まあね。さ、とっとと部屋に戻れ。私は、ゆきを部屋まで送ってゆくよ」

「またな、お嬢」

「また……」

 ゆきは、龍馬に見送られて、更に奥の部屋に向かった。

「隣は私の部屋だから安心しなさい」

「はい」

 ある意味、一番ドキドキするのだと、ゆきは思ったが、黙っておいた。

「ゆき、君は今日からこの部屋を使いなさい」

 小松は部屋を静かに開け放つ。

「有り難うございます」

 ゆきが礼を言うと、小松は鋭くも冷徹な眼差しを、ゆきに向けた。

「ゆき、君は、私に白い虎、白虎を、龍馬に青い龍、青龍を見たんだね?」

 小松はこちらがぞくりと来るほどの冷たい眼差しを向けてくる。

「はい」

「そう……。だったら、君は益々興味深い子になるね……」

 小松は、ゆきの頬に優しく手をあてる。

 小松の手は、とても暖かかった。



マエ モドル ツギ