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ゆきは、化粧を落として、着物を脱いでも、まだドキドキが収まらなかった。 理由は分かっている。 小松のせいだ。 小松がゆきに対して、大胆な行動をしたからだ。 だが、それは不快なドキドキではなく、心地よいドキドキだった。 布団に入ると、今までで一番ふかふかとした布団で、ゆきは驚いてしまった。 気持ちがよくて、直ぐに眠りに落ちる。 よい夢が見られる。 今は、そう信じていた。 翌日、下働きと同様に、ゆきは早起きをした。何をしてよいかは分からなくて、着替えることにした。 ここに来た時に着ていた不思議な衣服を身に付けて、ゆきは部屋を出た。 どこをどうすれば良いかが分からない。 全く新しい家なのだからしょうがない。 ゆきが歩いていると、中庭に通じる縁に出た。 すると縁では、小松がひとり静かに、薙刀を振るっていた。 とても美しい筋で、ゆきは惚れ惚れと見つめてしまう。完璧だと、ゆきは思った。 小松の真摯で冷静な眼差しがとても精悍に見える。 ゆきはドキリとする。 小松は、上半身の右側の着物を下ろしている。 筋肉が美しく付いていて、まるで芸術品を見ているかのようだ。 完璧だと、ゆきは思った。 素晴らしくて、ドキドキしながら、小松を見つめる。 小松は汗を綺麗に拭うと、ゆきに視線を向けた。 完璧だとゆきは思った。 小松の鋭い眼差しがゆきを取られる。切れ長の美しい眼差しに、ゆきは魂をわしづかみされるのではないかと思った。 「……何を見ていたのかな?君は……」 「あ、あの……」 小松はからかうように意地悪な眼差しをゆきに向けた。このような眼差しを向けられると、緊張してしまう。 「……朝食にしようか。昨日、うちで転がっていたのは、何処かに行ったみたいだからね……。ふたりで食べようか」 「あ、龍馬さん」 「よく覚えているね」 「印象が強すぎて……。あんな廊下で転がっている豪快なひとを見たのは、初めてですから」 「まあ、確かにね」 小松は苦笑いを浮かべると、ゆきを真っ直ぐ見つめた。 「……それだけ?」 今度は、からかっているのではなくて、真剣に訊いていることが分かった。 「……青い龍が見えたことですか……?」 「そう。私には、白い虎が見えた……。でしょ?」 「はい……」 ゆきは戸惑いながらも頷く。 おかしいことを言っているとでも思われているのだろうか。もし、そうならば、見えてしまったものは仕方がない。 「ゆきくん、私たちは会うべきして会ったのかもしれないね」 「……小松さん……」 「……まあ、良いよ……。君は、私にとってはとても有益なお嬢さんのようだからね」 ゆきは、小松の厳しくて鋭い先を見据えるような眼差しにドキリとする。 この眼差しの前では、きっと嘘は吐けないと思った。 「ゆき、食事をしようか。君には、これから何をすべきか、伝えておく必要があるからね」 「有り難うございます」 小松は中庭から家に上がり込むと、真っ直ぐ部屋に向かう。 ゆきはその背中に着いていった。 食事をしている間、小松は何も話さない。 健康に気遣っているからか、とても質素で身体に良さそうな食事だった。 質実剛健を地で行くひとなのだと思う。 見た目なとても優美で華やかなのに、やはり堅実で合理的なひとなのだと、強く感じていた。 食事が終わると、小松は静かにゆきを見た。 「ゆきくん、君は何もしなくても良いよ。今はね。いずれ、君はやらなければならないことが、出てくるだろうからね……」 小松は背筋を伸ばすと、立ち上がる。 「下働きはしなくて良いよ。君はそれよりもやらなければならないことが、出てくるだろうからね」 小松は、まるでゆきが何者であるかどうかを知っているようだった。 「……まさか、お伽噺草紙の中の話とばかり、思っていたのだけれどね……」 小松はひとりごちる。 「……え?」 「いずれは、わかるよ。直ぐにでもね」 小松はそれだけをいうと、部屋から出る。 「藩邸に顔を出すから、君はここにいなさい。直ぐに帰ってはくるけれどね」 「はい」 小松はなにかを知っている。 ゆきが、何者かを。 だからこそ、この屋敷に引き取ってくれたのだろうと、感じていた。 玄関先が妙に騒がしい。 ゆきは、導かれるように、玄関先へと歩いてゆく。 初めての家で、しかも広大だから、どのような造りであるかを理解していないのに、迷わず行くことが出来た。 「だから! ここに蓮水ゆきって子がいるだろ!?訊いたんだよ。祇園甲部のお茶屋から、薩摩藩家老に妾として引き取られたって!」 低い少年のような声。 ゆきは、とても懐かしいような気持ちになった。 ゆきが近づくと、とても綺麗な少年が、ゆきを視線で捕らえてきた。 「ゆき!」 その声を聞いた瞬間、ゆきは自分の対であることを、直感する。 懐かしい、何処かで聞いたことがある声だ。 「……ゆき」 精悍さと美しさを兼ね備えた男が、ゆきを真っ直ぐ見つめてきた。 その男にも、ゆきは青い龍を認めた。 「……青い龍……」 ゆきが呟くと、冷たくも美しい容姿をした男は、ゆきを神経質に見つめた。 「……神子として覚醒されたのか……」 低い声で呟くと、男はいきなりゆきの手を取り、ひざまずくと呟いた。 「龍神の神子殿、白龍の神子殿……」 「え、あ、あの、あなた方を知っているような気がしますが、ど、どなたですか?」 ゆきが困惑気味に呟くと、男も少年のような半身も、驚き、更に困惑するかのように、顔を見合せた。 「……ゆき、記憶が……」 「……え……」 ゆきが目を見開いて、驚いていると、小松がやってきた。 「君たちは何をしているの?」 小松は静かに、ゆきたちに近づいてくる。 「あんたが、祇園のお茶屋からゆきを身請けしたのは?」 少年のような声をしているのは女の子だと、ゆきは気付くと同時に、懐かしいような気がした。 「いかにもね。身請けというのは語弊があるよ。保護をした、が、正しい」 小松はあくまで冷静だ。 ゆきは、小松と少年のような女の子を、おろおろと交互見る。 「君たちは彼女をよく知っているようだね。良いよ、経緯をお話ししよう」 小松は怜悧に呟くと、広間へとふたりを案内した。 ふたりは厳しい表情をしながら、ついてゆく。ゆきはその後について行く。 上手くいけば良いと祈るしかなかった。 |