*うたかたの琥珀*

30


「怨霊なんて、今まで見かけたことなんて、なかったのに……」

 ゆきは唇を噛む。

「……私たちのところには、元々いたけれど、ここはそんなものもいない、平和な世界だったんだね……」

 小松も噛み締めるように呟いた。

「怨霊なんて、あちらの世界に来て初めて知りました」

「そう……」

 小松は苦々しい表情で返事をした。

「こちらの世界と私たちの世界は、今、明確に繋がっているんだろうね」

「そうですね。私もあちらの世界に行けたのは、そういうことなんでしょうね」

 だからこそ、目の前にいるひとに会えたのだと、ゆきは思った。

 こちらの世界とあちらの世界。

 とても似ているのに、一概に過去と未来だとは、割りきられない。

「来るよ」

「はい」

 怨霊が自分達にやってくる。

 ゆきは気力を集中させる。

 小松をはじめとする八葉たちもまた、気力を集中させ、怨霊に対峙してくれた。

 小松がいる。

 八葉がいる。

 だから大丈夫。

 ゆきはその確信のもとで、力を発揮することが出来た。

 今までよりも力がみなぎっている。

 明確な力を感じるか、疲れだとかは、全く感じなかった。

 ただ大丈夫だと、そんな安心感すらあった。

 怨霊は直ぐに浄化される。

 だが、不思議なことに、今まであった疲労感などは、余り感じなかった。

 ひょっとすると、自分が生まれた世界だからかもしれない。

 だが、体力が削られている感覚は、ゆきの中にあった。

「神子殿、大丈夫?」

「はい、大丈夫です。有り難うございます、小松さん」

 小松は、まだ、蟠りを完全には解いてくれないが、以前よりは、随分と柔らかな反応をしてくれた。

 ゆきは、更に高台に急ぐ。

 砂嵐が時折、ゆきの行く手を阻む。

 だが、こんなことぐらいで、諦められない。

 きちんとこの目で、世界がどのような状態なのかを、きちんと見極めたかった。

 砂漠だと、足元がかなり悪い。

 たが、行くしかないし、行かなければならない。

 砂に埋もれてしまい、何処に階段があるかが分からない。

「神子殿」

 小松は然り気無くゆきの手をしっかりと握り締めた。

「行くよ」

「有り難うございます……」

 久々にダイレクトに感じる小松は、とても力強くて安心感があった。

 ゆきの気力に上手く働きかけてくれる。

 ふたりでひとつずつ上を目指す。

 ただ小松が傍らにいてくれる。

 それだけで、ゆきは安堵と幸せを感じることが出来た。

「……まるで、無間地獄のようだね……」

 小松は厳しい声で呟く。

「無間地獄……?」

「果てることのない、底なし沼のような地獄だよ……。だけど、君といれば、そんな地獄も晴れ渡るような気がするけれどね……。君なら、無間地獄も何とかするんじゃないかとね……」

 小松は、砂漠の向こうに見える光を、真っ直ぐ見据えながら呟いた。

「かいかぶりですよ」

「そうかな?」

「恐らくは……」

 ゆきは、自分に期待されるような力はないと、誰よりもよく分かっているからこそ、苦笑いを浮かべながら呟いた。

 ゆきの生まれた世界と、小松の生まれた世界。

 本当はどちらも救いたい。

 どちらも誰もが笑っていられる世界になれたら良いのにと、思わずにはいられない。

「君には出来る……、というよりは、君にしか出来ないのだろうね……。そのことは、八葉の誰もが、都くんが、宰相が、分かっていることだからね……」

 小松はここまで言って、口ごもった。

「……なのに、私は、君が無間地獄に向かうことを、止めたいと思っている……」

「……え?」

 小松の言葉に、ゆきは思わず息を呑んだ。

「気にしないで。今のは私の独り言だからね」

 小松はさらりと言うと、前だけを見た。

 ようやく、高台を登りきった。

 そこからは、ゆきが生まれ育った、愛すべき街の全容が見渡せた。

 絶句するしかなかった。

 愛する街は、絶望すら感じてしまいそうになるぐらいに、荒廃が進んでいる。

 遊んだ公園も、遊園地も、学校も、図書館も、総ての建物や場所が朽ち果てて、砂に埋もれて荒廃している。

 このような世界は、SF映画でしか見たことのない、状況だった。

 涙が溢れる。

 そして、東側には、巨大過ぎる魔物が蠢いている。

 ゆきは魔物を真っ直ぐ見据えた。

 総ての元凶だ。

 人々や神々、怨霊や陽炎。それらの負の感情が、総てあの巨大な魔物を作り出したのだ。

 ゆきは確信する。

 あれを倒さなければ、真の意味で本当の平和は訪れないだろう。

 だが、倒すには、まだまだ力が足りない。

 浄化をして、力をためなければならない。

 ゆきは唇を噛み締める。

 胸が苦しくてしょうがない。

「……どうしたの?」

 小松が気遣うように声をかけてくれる。

「あれを倒さなければ……」

「そうだね。あれが元凶のようだ……。だが、今の私たちにはその力はないようだよ」

「そうです。だから、もっともっと力をつけなければならないです……」

 ゆきは唇を噛み締めると、ただ見つめることしか出来ない。

「……君にしか、あの化け物をどうにかすることは出来ないと思うよ。私たちも全力を尽くす。だから、私たち八葉を、自分を信じて頑張りなさい。いや、頑張ろう……」

 小松はずっと繋がっていた手を更に握り締めてくれた。

 小松が一緒に頑張ろうと言ってくれている。

 これ以上のことはない。

 小松がいるから。

 八葉がいるから。

 都がいるから。

 今は、前を向くしか出来ない。

 後ろ向きになることは、許されない。

 ゆきは勇気をかき集める。

「有り難うございます、小松さん。私、今は集中して、頑張ります」

「私も出来る限りのことをする」

 同じ目的に向かって、小松とゆきの心が重なる。

 蟠りを越えて、神子と八葉として、更なる絆か高められたのではないかと、ゆきは思わずにはいられない。

 更に強くなれた。

 更に結び付きを強められた。

 ゆきは強く確信する。

「倒してみせます。必ず」

「勿論、私もそのつもりだよ」

「はい」

 小松や八葉、都がいれば、きっと大丈夫だ。

 倒すことが出来る。

「さあ、用は済んだ? 行こうか?」

「はい」

 小松は、ゆきの手を引いて、ゆっくりと下りてくれる。

 くすぐったくて甘い感情に支配され、ゆきはとても心地よい。

 だが、それ以上に力が沸き立つ。

 より強くなれる。

 そんな気持ちになる。

 心が新たに強くなる。

 今ならば、戻っても大丈夫だ。

 きっと頑張れる。

 ゆきは前を向いて、立てることを実感していた。



マエ モドル ツギ