*うたかたの琥珀*

32


 西郷とゆきが、仲睦まじいように話をするのを見かけて、小松はモヤモヤとした気持ちを抱く自分に気づいていた。

 苦々しい気持ちだ。

 同時に自分はなんて小さい度量の男なのだろうかと、気分が優れなくなった。

 最近、ゆきのことを更に考えるようになってしまった。

 ただの小娘のことを、こんなにも考える日が来るなんて、小松は思ってもみなかった。

 同時に、ゆきのことを考えれば、考えるほどに、何か大切なことを忘れ去ってはいないかと、そればかりを考えていた。

 心の中のある部分が空白になって、ポッカリと穴が空いてしまっているような、そんな感覚があるのだ。

 ゆきと、祇園のお茶屋で出逢った時から、その違和感は拭えてはいなかった。

 何か重要なことを忘れているのではないか、そのことが気にかかる。

 ゆきに関する重要な何かを明らかに忘れているり

 小松が、最も忘れたくなかった何かを、忘れているような気がするのだ。

 小松は溜め息をこぼす。

 何を忘れているのか、それが何かを知りたいと、強く思った。

 

 明日からは下関の怪異を調べなければからない。

 気持ちをしっかりと持って挑まなければならない。

 ゆきは、気持ちを落ち着けるために、宿の外に出ることにした。

 ゆきは深呼吸をする。

 空を見上げれば、本当に美しい星ぼしが、まるで降ってくるのではないかと思うぐらいに、空に輝いている。

「……綺麗……」

 ゆきはぼんやりと空を見上げれる。

「どうしたの?」

 声が聞こえて、振り返ると、小松がいた。

「星を見ていたんです。綺麗だなって……。私の世界があのような砂漠になる前は、星はあまり見えなかったんです。空気がこちらのように綺麗でなかったことや、夜でも灯りが明るかったこともあるんですけれどね」

 ゆきは、生まれた世界の夜空を思い出して、切ない気持ちになった。

 世界が崩れる前は、星が綺麗に見えないことに残念に思っていたが、今となればとても懐かしかった。星が綺麗に見える、今のような空が羨ましく感じていた。

 だが、今はひどく恋しい。

 ゆきは何度も空を見上げた。

「私にとっては、この空が当たり前だけれどね。見える星は同じかな?」

「こちらのほうが多いですが、それでもお馴染みなのは同じです。時空や世界が違っても、見える星は同じなんですね。ここは、私が生まれた時代の、150年ぐらい前の世界と同じですが、それぐらいだと、見える星は変わらないですね。星にとっては、私たちが今、こうして話している僅かな時間よりも短いんでしょうから」

「君の世界では、様々なことが解明されるほど、学問が進んでいるんだね」

 小松は何処か羨ましそうに呟いた。

「そうですね。世界を巻き込んだ大きな争いがあったからかもしれません。戦争は様々な学問をある意味、発達させます。だけど、それはあまり良い発展の仕方ではありません……。平和な時代に私は生まれましたから、その恩恵だけを受け取っている形になるんですけれどね」

 ゆきは苦笑いを浮かべる。

 本当に恩恵だけを受けている。

 だから、その恩返しの為にも、頑張らなければならない。

「君の世界の本当の姿を見てみたいね」

 小松はしみじみと、何処か夢見るように呟く。

 本当に夢物語を紡いでいるように呟く。

「総てが終わったら、是非とも私の世界を見てください。案内します」

「私がそれを許されればだけれどね」

 小松はふと寂しそうな表情を浮かべる。

 小松は薩摩藩の家老であり、この世界の新しい時代には、欠かせない人なのだ。

 ゆきの世界に来るなんてことは、許される筈がないことだ。

 ゆきはそれに気付き、溜め息をこぼす。

 小松と過ごすことが出来るのは、本当に今しかないのだ。

 未来を一緒に作ることは難しいのだ。

 そう思うだけで、ゆきは胸の奥を抉られるような痛みを感じた。

 苦しい。

 本当に息が出来ないぐらいに苦しかった。

「……神子殿、ひとつ訊きたいことがあるんだけれど、構わないかな?」

「はい」

 ゆきは、小松を真っ直ぐ見つめる。その眼差しは、鋭く冷静に煌めいていた。

「……ゆき、私と君は、祇園で会う前に、会ったことがあるんじゃない?」

「え……?」

 ゆきはドキリとする。

 小松は、彼の心から離れたかけらを取り戻してくれたのだろうか。

「……それは、思い出されたんですか……?」

 確信はなかった。

 だが、本当のところはどうなのか。

 それをゆきは知りたかった。

 ゆきの言葉を受けて、小松は美しい眉を寄せる。

 その仕草で、小松が完全に思い出してはいないことに、ゆきは気付いた。

「……やっぱりね……。だけど、最初は、君も私のことを忘れていた。私たち全員が、同じように記憶を失う何かが起こった。君は、記憶を取り戻してから、八葉のことを以前から知っているかのように振る舞った。だから、薄々は、以前、会ったことがあるからだろうと思っていたけれど、やっぱりそうなんだね……」

 小松は、黙っていたゆきを責めるのではなく、ただ淡々と事実を述べる。

 やはり、大藩の指揮を任されているせいもあり、分析はかなり的確だった。

「はい。私は小松さんと出逢ったことで思い出しましたか、小松さんのおっしゃった通りに、八葉の皆の記憶が一部飛んでしまっているのは事実です。その記憶が具体的に何なのかは分かりません……。けれど、八葉として活動した時間であることは間違いはありません……」

 ゆきは唇を噛み締める。

 ゆきにとって、八葉と過ごした時間はとても貴重で、同時にかけがえのない想い出だ。

 だからこそ、ゆきは八葉たちには思い出して欲しいと思う。

 ゆきの胸が締め付けられるような痛みを、その表情で感じ取ったのか、小松は厳しいながらも、苦しげな表情になった。

 沈黙が続く。

 沈黙が耐えられないとばかりに、小松が口を開いた。

「そう、有り難う。明日は早いから、そろそろ寝なさい。身体に障るよ」

 小松は空を見上げる。

「はい、有り難うございます」

 ゆきはただ返事をすることしか、出来なかった。

 そのまま、ゆきは自室へと向かう。

 小松には思い出して欲しい。

 だが、自分からは何も言えないジレンマに、ゆきは溜め息を吐くしかなかった。

 小松がいつか、祇園で出逢う前のことを思い出してくれることを、ゆきは願うことしか、今は出来なかった。



マエ モドル ツギ