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左手の薬指に指環をはめる行為は特別なのだということを、果たして将臣は解っているのだろうか。 それに、これを見た将臣の彼女はどう思うのだろうか。 様々な想いが交錯して、望美はこころが複雑に痛むのを感じた。 意味が解っていないのならばこれほど切ないことはないし、意味を解っているのならば将臣が何を考えているかが解らない。 望美は瞳にうっすらと涙を浮かべながら、将臣を見た。 きっと自分の今の瞳は、何よりも複雑な感情を表しているだろう。言葉ではなく、瞳が気持ちを囁いている。 「…どうしたんだよ、泣きそうな顔をしやがって…」 将臣は何処か望美を叱るような口調で言った。 「…彼女さんに悪いな…って…」 窒息しそうで言葉が上手く出て来なくて、望美は息を乱すように言葉を乱す。 「気兼ねすんな。俺がしたかったからしただけなんだから」 「…うん…」 本当は嬉しくて堪らないのに、それを認めてしまうと良心が痛む。結局は、酷い偽善者かもしれない。 自分自身がこんなに狡い女だなんて、望美は今まで思ったことがなかった。 痛くて重い感情に引き摺られてしまう。 「指環を貰って、何か不都合なことがあるというのかよ? 他に貰いたかった相手がいるとか…」 将臣の声はどんどん不機嫌に低くなっていく。 望美は、将臣の鋭い瞳を避けるように俯くと、小さく首を横に振った。 「…だったら黙っていろ」 将臣は有無言わせないように強く言うと、望美の手を離さないように握り締めた。 痛いぐらいに切ない。なのにこころがほわほわと温かい。 複雑な感情が乱れて、ドキドキと不安が交互に擡げてきた。 手を繋いだまま、ふたりは何も話さない。 望美は声を掛けることが出来なかった。 誰かに見られたら、将臣と彼女が修羅場になるのではないかと、ほんの少しだけ考えたが、やがてその想いも何処かへ行ってしまった。 手を繋いだままで、横須賀線に乗り込む。 まるでシャイなふたりが恋人同士になったかのように、まるで話さないのに、手は離さない。 ドキドキして、望美は泣きそうになっていた。 幼馴染みだから、手を繋ぐなどという行為は、日常の延長に過ぎないと思っていた。 なのにこうしてしっかりと離れないように手を結び合わせるというのは、本当にかなり“特別”なのだということを、望美は改めて感じさせられた。 鎌倉駅に着いたのに、将臣は手を離さなかった。 彼女に見られたら、きっと傷ついてしまう。 こんなに地元で手を繋いでいたら、直ぐに噂になってしまう。 ここは横浜じゃない。 自分たちのテリトリーなのだから。 望美は覚悟を決めて深呼吸をすると、将臣から手を外そうとした。 「…外すな…」 「…だって、彼女が見たら…」 「俺は構わねぇ」 将臣はキッパリハッキリと言うと、望美の指を更に強く絡ませた。 「…カスター買う約束だったよな。カスター買って江ノ電に乗ろうぜ」 将臣は望美の手を引っ張ると、そのまま無言で歩いていく。 きっと誰が見てもカップルだと思ってはくれるだろう。 だが本当は、ただの幼馴染み。そこから永遠に脱却出来ないのではないかと、望美は思わずにはいられなかった。 カスターを買って、食べながら、ふたりは江ノ電が来るのを待っていた。 まだ手は離さずに。 こんなことをしてはいけないと、理性は叫んでいるというのに、恋心がどうしても離れたくはないと我が儘を言っている。 ふたりは手を繋いだままで、江ノ電に乗り込もうとしたときだった。 「…あ…」 降り口にいた女の子の存在に望美は気付き、手を放そうとした。 だが将臣は余計に力を込めて握り締めてくる。逃げようとすればするほどに、将臣の指の力が食い込んで痛かった。 「このままにしとけ」 「…でも…」 「いいんだ」 降り口にいた女の子は、将臣の彼女とはかなり親しい間柄だった。 じっとふたりの繋いだ手と、望美の左手薬指に飾られていた指環を見ている。 ダメだ。もうおしまい。 背筋に嫌な汗が滴り落ちてくるというのに、将臣はと言えば、平然としていた。 「見られたよ…」 「そうだな」 将臣はまるで他人事のように呟く。 「…直ぐに彼女に知られちゃうよ…」 「いいんだ」 望美は、自分が傷付くのが嫌だというよりは、将臣が傷付くのが嫌だった。この状況ならば、十中八九修羅場は間違ないだろうから。 「…あまり気にやむな。これは俺の問題だから、お前はいつもみてぇに笑っていたらいいんだ」 将臣は江ノ電のシートに腰を下ろすと、望美の頭を宥めるように撫でてきた。 「…俺がこうしたかったんだから、しょうがねぇよ」 「…将臣くん…」 将臣は初めて薄く笑うと、真っ直ぐ前を向いた。 そこから極楽寺までのほんの短い間、ふたりはまた黙り込んだ。 だが、しっかりと指を絡めたまま、その温もりが会話をしていた。 極楽寺で降り、いつものように自転車に乗り込む。 「今日は付き合ってくれて有り難うな」 「こちらこそ、素敵なプレゼントを有り難う…」 「大したもんじゃねぇけど」 将臣は照れたように言うと、望美の左手薬指を大切でたまらないもののように、優しく撫で付けた。 こころが幸せ過ぎて痛くなってしまう。 どうして幸せ過ぎると、こんなにも苦しくなってしまうのだろうか。 「…凄く、嬉しかったんだよ」 望美は初めて素直にはにかんだ笑みを、将臣に向けることが出来た。 いつものように将臣の後ろに乗って、ギュッとその躰を抱き締める。 いつも以上に躰を密着させて抱き締めてしまう。 もう二度と将臣を放したくない、離れたくないという気持ちが、腕に乗り移る。 将臣は何も言わずに、ただ望美の抱擁を静かに受け止めてくれていた。 いつもと馴染みの風景なのに、何だか新鮮で瑞々しい風景のように思える。 小さな頃からずっと好きで、その背中ばかりを追いかけてきたひと。 ようやく掴まえられたような気分になった。 生まれて直ぐに見つけた、一番大切なひと。 だからこそ放したくないと、望美は強く望んでいた。 家の前まで来ると、将臣とはそこでお別れになる。 何だかそれが寂しい。 自転車から降りると、将臣は望美に向き直った。 「…お前は何も遠慮しなくて良いんだ。いつも気を遣い過ぎるきらいがあるから。誰にも遠慮するな。俺も誰にも遠慮しねえ」 将臣は望美の手首を持つと、突然、躰を引き寄せてきた。 「……!」 今まで将臣にこれほどまで強引に抱き寄せられたことはなかった。 心臓もこころも押しつぶされる。 「お前じゃねぇ相手といつも付き合って気付いたんだよ。お前が特別だってことに…。今更、遅いか?」 将臣は強く抱き締めてくると、顔を近付けてくる。 ドキドキと戸惑いが望美の全身に降り注いできた。 「…私はずっと将臣くんが特別だって、思って来たんだよ…」 望美が掠れた声に感情を乗せると、将臣の顔は更に近付いて来る。 「…今日、お前が特別なんだってようやく解った…」 将臣は唇を緩やかに近付けると、甘く重ねてきた。 今はこの先の不安だとかは考えないようにしていた。 |