片恋の姫君


 キスしてくれるのは嬉しい。
 だがそれがみせしめならば余りにも哀しい。
 望美は唇に遺る将臣の噛み付いた痕を、舌でなぞる。
 自分はほかの女性が好きなくせに、どうしてこんなことばかりをするのだろうか。
 ただの嫌がらせ? それともみせしめ?
 望美は涙が出そうになるのを何とか堪えた。
 こんな状態では将臣と一緒に学校になんて行けない。
 望美がひと足先に家を出ると、ねぼすけな将臣が待っていた。
 ちゃんと起きられるのだと思いながら、望美は視線を逸らす。
「おはよう」
 クールに挨拶をし、将臣の横を擦り抜けようとすると、その腕を取られた。
「一緒に行こう。チャリあるから」
「歩いて駅まで行っても、間に合うと思うよ」
「いいから、乗れよ!」
 将臣は有無を言わせないとばかりに強く言うと、そのまま望美を引っ張っていく。腹の虫が治まらないのか、自転車を前に素通りをする。
「じ、自転車は!?」
「乗らなくても間に合うって言ったのはお前だろ?」
 まるで走るかのように、将臣が駅に向かう。喧嘩をしているのは誰にも明らかだ。
 昨日のこともあり、望美が怒るのはごく自然だというのに、どうして将臣が怒るのか。それがどういう了見なのかと、望美は将臣を探るように見た。
 まるで将臣は嫉妬に狂った男のように、望美を束縛する。
 他の女性が好きな癖に、こんなことをされれば、望美は心がいくつあっても足りないと思った。
 江ノ電に乗り込んでも、将臣は望美の腕から離そうとはしない。
 何だかときめいてしまうのが悔しかった。
「ま、将臣くん、大丈夫だから、離していいよ」
 さりげなく促しても、将臣は離そうとしなかった。
 二の腕に将臣の力強い指が食い込んでくる。その痛みは、切なくも甘い動悸を産んだ。
 ふたりがいつもより険悪な雰囲気にも関わらず、しっかりと密着している姿に、誰もがいぶかんだ。
 本当に最近の将臣は解らない。望美は、嫉妬される存在ではないことぐらい解ってはいるはずなのに、期待せずにはいられなかった。
 放課後、将臣にまた腕を取られて学校を出る。
「…望美、お前には香水は早いんじゃねぇか?」
 将臣に痛いところを突かれてしまい、望美は押し黙った。自分でも、心の成長がまだな以上、早いとは思う。だが、背伸びをしたいと思うぐらいに、幼なじみは成長してしまったのだ。正直、おいてけぼりを喰らった気分だ。
「…それは、解っているよ…。香水が似合わないぐらいに、私がまだまだ子供だってことぐらいは…」
 少しムッとしながら俯けば、将臣は腕をきつく掴んできた。
「…そうじゃねぇさ…。香水何かをつけたら、それを餌にへんな男を寄せ付けることになっちまうぜ!? お前はそんな危なっかしいところがあるからな。男を見る目をもっと養ってから、香水はつけろ」
 男を見る目がない。
 確かにそうなのかもしれない。でなければ、こんな幼なじみをずっと好きではいられないだろう。
 日坂を下りながら、望美は淋しげな気分で将臣を見た。
 どうしてこんなに好きなのだろうか。
「…そうだね、確かに見る目はないかも…しれないね…」
 不意に将臣が立ち止まる。
「…好きなやつ、いるのか…?」
 まるでこちらの心を探るように、将臣は呟いてくる。
「…もう私も年頃だよ…。好きなひとがいたっておかしくはないでしょ? 将臣くんにも大好きなひとがいるんだから…」
 不意に取られた腕に力が込められる。食い込む指の痛さに望美が顔を上げると、将臣の表情が強張っていた。
「少なくとも、今、好きな相手は止めろ…」
 自分を好きになるのは止めろということなのだろう。そんなことは最初から解っている。
「…そうだね」
「お前をそんな表情にさせるやつを、俺は許さないから…」
 それはあなただと、望美は叫びたくなった。だが出来ない。そんなことをすれば、将臣が重苦しく感じてしまうだけだから。
「…俺が、お前の空洞を埋めてやるよ。お前がちゃんと笑えるように…。大事な幼なじみがそんな顔をしていたら、ほっとけねぇだろ」
 大事な幼なじみ。
 それが将臣の答えだ。
 そんなことはとうの昔から解っていたはずなのに、今更ながら心を引き裂く凶器になる。
 どうしてこんなに好きなのだろう。
 期待して、裏切られてを繰り返し…。けれども離れることが出来ないだなんて。
 駅まで来ると、見慣れた美しいひとが立っていた。絵梨は穏やかな笑みを浮かべて、将臣を真っ直ぐ見ている。
 相変わらず綺麗なひとだ。
「将臣、ちょっといいかしら?」
「ああ」
 ちらりと望美を見ると、将臣は擦り抜けていく。
 届かない。
 いくら想っていても届かない。
「将臣くん、先に行っているよ」
「ああ」
 望美はタイミング良くやってきた電車に乗り込み、帰路につく。
 いつもは綺麗だと思う海が、今日はぼやけて見えなかった。

 起こしに行けない。
 そう思っていると、将臣が迎えにくる。
 どうしてこんなにもタイミングが悪いのだろうかと、我ながら思ってしまう。
 殆ど何も話せない。
 ただ将臣に腕だけを取られて、マリオネットのようになっている。
 望美はもう疲れ果てた気分になっていた。

 昼休み、望美は隣のクラスにいる、爽やかな男子に呼び出され告白をされた。
 顔すらも脳にインプット出来ないほど、望美にとっては薄い存在だ。
 もやがかかっていて、本当に誰かが解らない。
「…ごめんなさい…」
 心が疲れ果てて、相手を気遣うことすら出来なかった。
 恋はどうしてこんなにもどかしいのだろう。
 想うひとに想われず、思わぬひとに想われて。本当にままならない。

 望美が教室に戻ると、将臣が睨みつけるような眼差しを向けて来た。
「いい気になって、変な男を選ぶなよ」
「…そうだね、私、変な男を選ぶのだけは、自信があるんだ…」
 例えば目の前の男。
 誰よりも好きな相手がいるというのに、まるで嫉妬をしているかのような態度をあからさまに取ってくる。
 もう心がぐちゃぐちゃでそっとしておいて欲しいのに、どうしてそんなにこちらに干渉するのだろうか。
「…幼なじみだから心配してやってるのに…! 勝手にしろっ!」
「うん、勝手にする…」
 きっと将臣とは幼なじみ以上にはなれない。
 望美は切なく予感していた。

 放課後、将臣はいつものように強引に腕を取ってこなかった。ある意味当然だと思いながら、望美はひとり日坂を下り、海岸へと向かった。
 好きだという感情が友情に置き換われば良かったのに。
 望美はただ俯きながら、海も見ずにぼんやりとしていた。
 さくさくと砂を踏み締める音がして顔を上げる。
 そこには幼なじみが立っていた。
 誰よりも大好きな幼なじみが。
「まだ、帰ってなかったのかよ?」
 隣に立つと、将臣は望美を見つめる。
「…お前に話がある」
コメント

パラレルな幼なじみです。




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