片恋の姫君


 抱きしめる将臣の背中はとても逞しくて、こんなにも切ないぐらいに男を感じた。
「…将臣くん…、好き、好き…!」
 まるで恋の呪文を囁いているような気分だ。望美は恋心に鳴咽しそうになりながら、何度も呟いた。
「…望美…」
「将臣くんが誰を好きでも、私は将臣くんが好きだよ。だけど、これは私の勝手な想いだから…」
 将臣が突然、望美を振り払った。
 拒絶されたと思い、望美は絶望にも似た胸の痛みを感じる。
 だが、将臣は逆に抱きしめてきた。今度は自分の腕でしっかりと抱きしめてくれる。
 息が止まってしまうのではないかと思うぐらいに、強い抱擁だった。
「俺のほうが、きっとお前を強く愛しているぜ」
 唇を塞がれる。
 将臣のキスの上手さがしゃくに障るが、それでも良かった。
 今は自分だけのためにキスをしてくれるのだから。
 将臣は舌を使い、望美に上級のキスを求めてくる。
 舌で口腔内を愛撫しながら、痺れるような快楽をくれる。
 望美は腕を伸ばして将臣を引き寄せる。強く抱きしめれば、将臣は甘いバードキスを何度もしてくれた。
 唇を離されると、親指で頬を撫でてくる。
「…好きだ。お前が一番好きだ…。誰よりも…」
「私もだよ」
 ぽつぽつと雨が降っている。だがそんな冷たさを感じないぐらいに、躰も心も温かかった。
「…絵梨との恋は、恋じゃなかった…。今はそう思う」
「将臣くん…」
「保護欲だとかそんなものだったんだと今は思う」
 将臣は鈍色の空を見上げる。
「雨か…」
「雨だね」
 ふたりは顔を見合わせると、手を繋いで走り出す。
 雨が激しくなっても、ふたりは無邪気な子供のように大きな声で笑いながら、何度も走り出す。
「びしょ濡れだな」
「そうだね、びしょ濡れだね」
 くすくすと笑いながら望美が将臣を見つめると、スッと目を細めた。
「こんな姿、誰にも見せたくねぇな…」
「どうして?」
「凄くエロくて可愛いからな」
 将臣の視線を感じて、望美は全身が熱くなる。燃え盛るような情熱にくらくらしてしまった。
「このまま歩いて行くぞ。電車に乗るのは嫌だしな」
「え!? 家まで?」
「まあ着いてこいよ」
 将臣に手を引っ張られながら、望美はどこに連れて行かれるか予想もつかない。海岸から道路に出ると、将臣はすたすたと歩いていった。
 こうして手を引かれて歩いて行くと、ふたりが恋人同士であることを改めて感じられて嬉しい。
 雨に濡れていても全然寒くないし、むしろ心地良くすら感じた。
「髪ぐらい乾かせる場所だから」
「…ん…」
 こうして大きな手にしっかりと包まれていると、ドキドキとほのぼのが同時にやってくる。大好きなひとにこうして導かれるというのは、なんて心地が良い響きなのだろうかと思った。
「ぷっ! お前の鼻の頭に泥がついているぜ」
 将臣は振り向くなり可笑しそうに笑うと、望美の鼻の頭を指先でこすりつける。
「ガキん時から、こうやって泥遊びをすると、お前は必ず鼻の頭を真っ黒にしていたよな」
 苦笑いを浮かべると、将臣は望美の鼻の頭を舌で舐めた。
 ゾクリとした旋律が背中を駆け抜け、望美の血液を沸騰させてくる。
 こんなに狂おしい感覚があるなんて識らなかった。
 だからほんの少しだけ恐い。
 ふたりで雨の中を笑いながら歩く。途中のコンビニエンスストアでビニール傘を一本だけ買って、また歩いた。
 暫く歩いた後、将臣が立ち止まった場所を見上げて望美は目を丸くする。
 そこはブティックホテル。ようは昔で言うところの、”ラブホテル”。もっと昔の表現で言うならば、”連れ込み宿”。
「ここでシャワー浴びて、髪を乾かせる」
 将臣が何でもないことのようにさらりと言うものだから、望美は何だかもやもやとした感情になる。
 絵梨ともこんなところに何度も来たことがあるのだろうか。そう考えるだけで、腹の底が熱くてしょうがなかった。
「…あ、あの…」
 望美が真っ赤になりながら俯いていると、将臣はするりとゲートを潜ってしまう。
「髪を乾かすだけだ。ヘンな心配するな」
 苦笑いを浮かべた将臣は、まるで妹をあやす兄のようだ。
 そんな眼差しではなく、もっと男としての艶やかなものが欲しい。
 望美は躰を僅かに震わせながら、将臣に着いて行った。

「風邪を引くから手早くシャワーを浴びてこい」
 将臣はロマンティックな内装に動揺することなどなく、鞄をテーブルの上に置く。
 望美はと言えば、こんな場所は初めてで、動揺していた。
「ま、将臣くんが先に入って。何だか私、落ち着かなくて…」
 俯きかげんに呟くと、将臣は髪をくしゃくしゃさせてきた。
「先に入ってくる」
「う、うん…」
 将臣がバスルームに消えた後、望美は大きく深呼吸をした。
 心臓が止まってしまうぐらいにドキドキして、だけどそれは嫌なドキドキではなくて…。
 望美は落ち着けずに、部屋の中をうろうろとしてしまっていた。
 シャワーの音なのか、雨音なのか。水音が望美の心を刺激してくる。
 不意に水音が止み、望美はただバスルームのドアを見つめる。ガシガシと髪を乱暴に拭く音が響き、いよいよ喉がからからに乾く。
 どうしていいか解らないぐらいに落ち着かず、かと言っても何もすることが出来ない。
 ただ呆然とドアを眺めるだけだ。
 ドアが大きく開き、望美は大きく跳び上がる。
「何やってんだよ」
 笑いながらバスルームから出て来た将臣の姿に、望美は心臓を射ぬかれた気分だった。
 筋肉がしっかりと浮き出た男らしい綺麗な上半身が露出し、ただ下半身がバスタオルに覆われているだけだ。
 美術の教科書に載っているような高名な芸術家だって、きっとこのラインを出すことは出来ないだろう。
 それほど将臣は綺麗で、生々しいほど艶やかだった。
 ドキドキする。
 それもそんじょそこらのドキドキなんかじゃない。
 今までに経験したことがないドキドキだ。
 下腹部が痛いのに、何だか熱くて気持ちが良くて…。これをどう表現していいのか、望美には解らなかった。
 胸の筋肉に滴る雫も、誰かを簡単に護れてしまうだろうしっかりとした腕も、総てが一気にインプットされる。
 望美の記憶や感覚に残る映像は、もはやそれしかないのではないかと思う。それぐらいにインパクトがあった。
 生唾を飲みながら、望美は将臣の鍛えられたボディラインを見つめる。まるで初めて女性の躰を目の当たりにした男子中学生みたいだった。
「何してんだよ、早く入ってしまえ。風邪を引く」
「う、うん…」
 望美はこのドキドキを抱いたままで、バスルームに入っていった。
 制服を脱ぎ、シワにならないように将臣の制服の横にかける。
 バスルームに入ると、そこはかなり広々としていた。
 その上鏡が貼られていて、いやがおうでも自分の躰を見せられてしまう。
 将臣とは明らかに違う躰。
 望美は女であることを激しく意識せずにはいられなかった。
コメント

パラレルな幼なじみです。
もう少しおつきあい下さいませ。




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