*指定席*

2


 ここのところ望美が縁側に来ない。
 自分が行かないのに、来て欲しいだなんて全く虫の良い話なのかもしれない。
 だが、家に帰って来た時に、望美が笑顔で「おかえり」と言ってくれることを、何よりも楽しみにしていた。
 望美が縁側に来ないからといって、強制するわけにはいかない。
 なのにどうしても引っ張って来てでも、自分の側にいて欲しい。
 将臣は痛くて切ないのに、何処か甘い感情の名前を解ってはいるのに、解らないふりをしていた。
 朝の登校時に、将臣は思い切って話をすることにする。
「望美、どうして最近、うちの縁側に来ないんだよ」
 将臣はさらりとごく自然に言ったつもりだったが、一瞬、望美の表情が曇った。
「…理由なんかないよ…」
 望美は誤魔化すように言うと、将臣から視線を逸らせる。その視線の動きは心許無いと同時にどこか甘酸っぱい色を秘めていた。
「…縁側が寂しがっているぜ」
「うん、解っているよ」
 望美は目を伏せると軽く溜め息を吐き、遠くを見つめた。
 その横顔は、どうしようもないほどに綺麗で、将臣は思わず見とれてしまった。
 誰にも渡したくない。
 この愁い顔も、いつもの明るく屈託のない顔も何もかも渡したくない。
 将臣は望美の手を思わず掴んで力を込めた。
 息苦しい。
 これ以上ないほどに苦しい。
「…痛いよ…将臣くん…」
 望美が泣きそうな顔をすると、将臣を切ない色で見つめて来た。
「…ごめん」
「う、うん…大丈夫だよ」
 望美の横顔が愛しい。
 なんて愛らしくて、なんて麗しい。
 このまま望美を奪って何処かに行ってしまいたくなるような衝動を感じた。
 ふたりはまた距離感を置いて歩き出す。
 その距離がふたりの微妙な関係を表しているような気がした。

 痛かった…。
 まるきり男の人の力だった。
 もう、将臣が子供ではないことを思い知らされたような気がした。
 将臣に掴まれた手首を見ると、うっすらと痕が遺っている。
 今の望美にはそれすらも愛しいパーツだった。
 誰にも見られていないことを確認してから、手首にそっと口づける。
 甘くて切ない気分になり、幸せなのに同時に涙が零れ落ちた。
 好き。
 どうしようもないほどに将臣が好きだ。
 この想いがあるからこそ、縁側に行けないのに。その辺りを解って欲しかった。
 将臣の横顔をちらちらと見ながら、今日も授業を受ける。
 カッコ良くなったな。
 大人になったな…。
 そんなことをしみじみと思いながら、将臣の横顔ばかりを見つめていた。
 望美にとっては最も大切な横顔だから。
 これ以上の横顔はないから。
 縁側に行くと、この横顔を独占出来ないことを思い知らされるから行かないだけ。
 将臣はそれを解ってはいない。
 いつも将臣の精悍なシルエットの横顔を独占する相手は望美ではなくて、別の女の子。
 横顔独占権なんてとうに失効してしまっている。
 それどころか、将臣の隣の指定席のチケットも望美は持ち合わせてはいない。
 何にもない。
 これからも将臣を独占する権利なんて与えられそうにないと思いながら、望美は溜め息を吐いた。
 ノートの端に無意識に“好き”と走り書きをしてしまう。
 将臣に見つかるのが恥ずかしくて、望美は慌ててそれを消しゴムで消した。
 余りに慌てていたのか、消しゴムを落としてしまい、それが将臣の前にころころと転がっていく。
 直ぐに将臣が消しゴムを拾い上げてくれて、望美に手渡してくれた。
「ほら」
「…有り難う…」
 手のひらに乗せられた消しゴムが、こころに心地好い重みをもたらしてくる。
 それが嬉しくて、望美ははにかんだ笑みを浮かべた。
 クラスメイトがキスをしたり、躰で愛し合ったりと、大人の恋愛へと足を踏み入れているというのに、望美は いつまで経っても“幼馴染みの恋”から抜け出せないでいる。これではまるでままごと遊びだ。
 そんな恋なんて、きっと将臣はしないだろう。将臣には大人の恋が似合っているから。
 望美はまた溜め息を小さく零す。
 その想いつめるような横顔が綺麗だと、多くの男達が思っているなんて、勿論、気付く筈などなかった。

 今朝は失敗をしたと思いながら、将臣はずっと望美の横顔を観察していた。
 最近、とても綺麗になった。
 恋をしているのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
 自分のことは棚に上げておいて、将臣は望美はまだまだ本格的な恋には早いと思っていた。
 ほんわかとした小さな子供がするような恋が似合うと、半ば思い込もうとしていた。
 しかし、望美の周りには、大人の恋と大差ない恋をするものが出て来ている。
 だからこそ気が気でなかった。
 将臣も健康な男だから、そっちのほうに興味がないわけない。
 だから、望美に言えないようなことも経験している。
 自分の事は差し置いて、望美にはそんな恋をして欲しくはなかった。
 望美の横顔を見つめながら溜め息が出る。
 いつの間にか女になってしまった。
 ついこの間までは、一緒にいてもただの“幼馴染み”“ガキ”としか思えなかったのに、今や堂々と将臣を異性として引きつけてくる。
 望美以外の女に異性などかけらも感じなくなる始末だ。
 それにヤローたちが最近、色めき立って望美を見つめているのも気になってしょうがない。
 多くの男は、せいぜい望美を遠くから見つめている程度だから、気にはならない。
 だが、そのなかの一つまみの人間が、虎視眈々と望美を狙っているのが気に入らなくてしょうがなかった。
 望美にそんなものには引っ掛からせない。
 きちんと守ってやる。
 そう思いながらも、自分が一番危険人物なのかもしれないと、将臣は思わずにはいられなかった。

 望美を放課後に捕まえようと、授業が終わるなり、将臣は声を掛けた。
「望美、今日は一緒に帰ろうぜ」
 声を掛けるのに、返事を待つのに、これ程までにドキドキするとは、将臣は思わなかった。
 望美は一瞬驚いたような顔をしたが、直ぐにニッコリと笑って頷いてくれた。
「有り難う、将臣くん。一緒に帰ろう」
「ああ。一緒に帰ろうぜ」
 将臣が笑うと、望美がはにかんだ笑みを返してくれる。
 こんなに可愛くてしょうがなかっただろうか。
 今までの自分は何処を見ていたのだろうかと思いながら、将臣は望美を見つめていた。
「…今日さ、帰ったらうちの縁側に来いよ。一緒にスイカでも喰うか」
「そうだね。夏の終わりを堪能しようよ。きっと凄く楽しいだろうね。花火だってあるんだよ!」
「ああ。花火もしようぜ」
 望美と話をしていると、こころがほわほわと温かくなる。
 このひと時程幸せなものはないと思いながら、将臣は頷いた。
「将臣、今日、スキンダイビングに来る?」
 甘いのにどこか険悪な声に振り返ると、そこにはスキンダイビング仲間の女がいた。
 それなりに遊んではいるが、一度として躰の関係になったことはない。
 だが最近カノジョ気取りなのが、少しムカついてはいる。
「今日ね、凄く良いダイビングスポット見つかったからみんなで行こうよ」
「ごめん、俺…」
「将臣くん、私はよいんだよ。また、いつでも誘ってくれたら」
 口ごもる将臣に、望美はニッコリと笑って、物分かりが良いところを見せてくる。
 何だか無性にイライラする。
 どうして我が儘を言ってくれないのかと思う。
 その思いが将臣に口を開かせた。
「解った。ダイビングにいく。すまねぇな」
「…うん、じゃ」
 望美は笑うと先に教室を出て行く、胸が無性に痛かった。





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