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髪を簡単に結い上げ、望美は浴衣に袖を通した。 今日は最後の鎌倉案内の日であり、望美にとっては海外で暮らす予行演習になる。 張り切って家を出ると、将臣が家の前で佇んでいた。見つめられる瞳が、蜂蜜のように艶やかだ。 「おはよう」 「…おはよう、将臣くん」 望美が歩き出すと、将臣も同じペースで歩き出した。 「将臣くんはバイト?」 意識しないようにと思えば思うほどひどく意識してしまう。胸がドキドキしてしょうがない。あんなにも熱く抱きしめられたのだから、当然と言えば、当然なのだが。 「お前と同じ用件。母さんに頼まれて」 「そうなんだ」 将臣は何時もと変わらない。なのにこんなに自分は将臣を意識してしまう。 「今日は夕方まで休戦だ」 「喧嘩した覚えはないだけれど…」 「喧嘩じゃねぇよ」 意味深に見つめられて、望美は心を震わせる。 「…まあ、後でな」 「訳が解らないなあ」 ドキドキしながら、望美は将臣を見つめるが、その横顔には感情が見えなかった。 夏の名残を惜しむような蝉時雨を聞きながら、ふたりはゆっくりと駅に向かう。 デートでもないのに、まるでデートをしているような気分になり、望美のドキドキは止まらない。 傍にいるだけでこんなにときめいてしまう。 息が出来ないぐらいに心臓がドキドキしてしまう。 こんなにも将臣が好きなのだと、望美は改めて思う。全身の産毛が逆立ってしまうのではないかと思うほどに、想いは強かった。 本当に将臣がいない世界で頑張っていけるのだろうか。 ぼんやりと考えていると、望美は足元を小さな段差に引っ掛かってしまった。 「きゃんっ!」 「おっと! お前、足元不安定過ぎ」 将臣の腕が、望美の躰をきちんと受け止めてくれる。男らしい力強さにくらくらしていると、将臣が体勢を整えてくれた。 「お前さ、いっつもつまずくよな」 「そんなことないもん! 将臣くんの傍だとこけそうになるだけだよ。ヘンな電波を流しているんじゃないの?」 「んなわけねぇだろ」 「んなわけあるよ」 望美は自分の言葉に、ハッとしながら言う。 確かにひとりの時には、こけたりしない。だが将臣がいると、何故かよく躓いてしまうのだ。 きっと助けてくれるという安心感が、そうさせているのかもしれない。 「…小さい時からこうやっていっつも手を繋いでいたから、ふたりでいる時はこける癖がついちまったのかもしれねぇな」 将臣の大きな手が望美の小さな手を包み込んで離さない。 幼い頃に繋いだ強さとは全く意味が違う力の強さが、望美の心を掻き乱した。 江ノ電に乗り込んでも、将臣が手を離すことはない。 まるで望美をイギリスに行かせないように手に手錠をかけているようだった。 「…鎌倉に着いたら、手を離さないといけないね」 手の平に汗を滲ませながら、幸せなドキドキを感じる。 いつかは離さなければならない温もり。今だけはその温もりを握り締めておきたかった。 「見せ付けてやったらいいさ、外国人にも」 「案内が上手に出来なくなるよ」 望美が笑うと、将臣がからりと笑った。 集合場所に着いてようやく、ふたりは手を離す。 数組で別れて鎌倉を案内するのだが、望美は将臣を意識せずにはいられない。 男らしいがっちりと綺麗なボディラインも、モデルよりも素敵なスタイルの良さも、精悍さを滲ませた横顔も…。 諦めたはずなのに、何もかもが異性として望美を堂々と引き付ける。 将臣が担当するグループの直ぐ後のグループを担当したせいか、将臣ばかりを見てしまい、将臣を観光しているような気分になった。 休憩を兼ねた昼食時間には、ごく自然にふたりは向かいあって座った。 今まで、隣に座るか向かいに座るかが定位置で、決して離れて座ることなどなかった。 だから今日もごく自然にこうして座る。 簡単な和定食は精進料理で誰もが食べられるような無難な味付けになっている。 前回食べた時にはそれなりに美味しいと感じたが、今日は将臣が一緒のせいでより美味しく感じた。 「望美。ちゃんと残さずに食えよ。人参食ってやらねぇから」 「食べられますよーだ」 「どうだか」 将臣の食べっぷりを見ているととても気持ち良く感じる。 こうしてふたりが顔を付き合わせて、ご飯を食べられるのは後どれぐらいなのだろうか。 それを考えると、また泣きたくなってしまう。 イギリス行きを決意したはずなのに、心は乱れるばかりだ。 食事を終えた後は、北鎌倉の古刹を回る。遠くに湘南の海を見渡すことが出来、故郷の美しさや素晴らしさを改めて感じた。 いざはなれると決心をすると、故郷の素晴らしさを感じずにはいられなくなる。 この場所から離れて、将臣から離れて、生きていけるのだろうかと、思わずにはいられない。 どちらも望美の人生では最も大きなものだ。 考え込む望美を、将臣が見守るような優しい眼差しを向けてくれる。 「…ホントはさ、お前の中で答えは決まっているんじゃねぇの?」 将臣の一言に、望美は心の虚を突かれた。 「え?」 「強情でどうしようもねぇ仮面を被っているだけだ。そうだろう? 俺はその仮面を引っぺがすまでだ」 試すように投げ付けられた将臣の眼差しは、妥協なき強さがある。 望美は息を呑みながらその言葉を飲み込むことしか出来なかった。 夕方、解散になると直ぐに将臣に腕を掴まれる。 「一緒に来てくれねぇか」 「いいけれど…お茶か夕飯か食べるつもりなの?」 「それよりも大事なものがあるんだよ」 将臣の声は何時もとは違い真剣味を帯びていて、その瞳には硬い意思が宿っている。 見つめられるだけで、望美は動けなくなっていた。 将臣に言われるがまま駅に向かうと、家とは反対側のホームに連れて行かれる。 ただ黙り込んだ将臣は、何処か声をかけることが出来ない雰囲気を出している。 それはまるで闘いに向かう前の武将のようだ。命を賭けた闘いに挑む男の姿と重なった。 そんな将臣に強く惹かれる。 例え何をしようとも、どんなことが起ころうとも、将臣が本当に好きなのだということに気付く。 他に女性の影があっても、将臣はかけがえのない愛する男性なのだと、望美は感じずにはいられなかった。 途中で乗り換えて、大学の近くまでやって来て、ようやく将臣が向かう場所に気がついた。 将臣のアパートだ。 「ここだ」 望美が逃げ出さないように将臣は手錠の代わりにしっかりと手を握り締めている。 そんなことをしなくても逃げるつもりはなかったし、傍にいたいと思っていた。 「…何もねぇけどな、入れよ」 「うん」 遠慮かちに「お邪魔します」と呟いた後、将臣の部屋に上がった。 将臣らしく必要なもの以外は何もないシンプルな部屋。女の影など全くなかった。 安堵が全身の血を洗い流してくれるかのようだ。 望美が部屋に座り込むと、将臣は玄関ドアの鍵をかけた。 「宣言したように、実力行使をさせてもらうぜ」 将臣は冷たいきらめきを望美に見せ付けると、ゆっくりと近づいてきた。 |
| コメント 想い合うのことに気付くのに遅れてしまったら? のコンセプトの、パラレル的な物語です。 恋の甘さと切なさ、愛の厳しさがテーマです。 果たしてちんくまんは完走出来るか(笑) |