真夏の影

12


「お前をイギリスには行かせない」
 将臣はキッパリと宣言をすると、望美に目線を合わせてきた。
 逃げられない。
 いや、逃げたくないのかもしれない。
 望美が将臣を見上げると、強く抱き竦められてきた。
「…苦しいよ…!」
「俺の心のほうが余程苦しい…!」
 力任せに抱きしめられて、恋情痛さに、望美は泣きそうになる。
「…こうやってお前を抱きしめる資格は俺にはねぇかもしれねぇけれど、ちゃんとアイツとは別れたから…」
 胸の奥に針を刺されたように痛くなる。チクチク痛いのに、弾むようにときめいている自分がいる。
 ただぼんやりと抱きしめられていると、更に深く抱き込まれた。
 紅蓮の焔に包まれた恋心が、喉を熱くする。
 感情を上手く呑みこめずに、喉につかえて苦しかった。
「行くなよ、イギリスなんかに」
「…将臣くん…」
「お前の夢を阻んだとしても、行かせない」
 将臣の言葉は誰も逆らうことが出来ないような強さがあり、望美を強く捕らえていく。
「実力行使しても、行かせない」
「…今更…遅いよ…」
 それ以上は言葉を聞きたくないとばかりに、将臣は深い角度で唇を重ねてきた。
 飲み下せない恋情が、躰の中にやる瀬ない熱となって浸透してくる。
 将臣は望美を自分色に染め上げるように、強く唇を吸い上げた後、情熱を押し付けるかのように舌を深いところに入れ込んできた。
 口腔内を暴れ狂う将臣の舌は、望美の上顎や頬の内側を擽るように触れてくる。
 柔らかな優しさと激しさという、相反するものが望美の中に激流のように流れてきた。
 どちらも愛故の感情。
 将臣に全てを支配される。
 感情も理性も感覚も。
 五感の総てを将臣色に染め上げられた。
 キスの激しさに、望美は将臣に縋り付く。そうしなければ、このまま砂糖水のように溶けてしまいそうな気がした。
 激しいキスと噎せかえる熱に頭がぼんやりとする。
 イギリスだとかそんなことはもうどうでも良くなり、将臣だけしか考えられなくなった。
 恋心が覚醒し、じんわりと躰や心を侵食していく。
 呼吸することも忘れて、しなければならないことも忘れて…。
 ただ、今の望美に解ることは、将臣への熱い心だけだ。それ以外に何も感じない。
 自分たちの愛に対しての嵐のような熱情以外は、凪のように静かだった。
 将臣はもう離さないとばかりに、望美の躰を強く胸に抱き込んでくる。まるでその姿は、小さな子供がボロボロになった熊の縫いぐるみを離したくなくて、ギュッと抱きしめるのに似ていた。
 キスが激し過ぎて唾液が唇から零れ落ちる。将臣の唇がそれを追い掛けて吸い上げてきた。
「…んっ…ああっ…」
 呻くような声が漏れると、将臣は望美を黙らせるように唇を重ねてきた。
 キスだけで気が遠くなりそうになる。望美は夢中になり、将臣を強く抱きしめた。
 口角の端を甘く噛まれて、背筋が震える。肌に恋情が滲み、将臣に擦り付けた。
 唇を離されても、望美は将臣から離れたくなかった。
 息を乱しながら、将臣の胸に鼻を擦り付ける。
 硬い胸板は、将臣が逞しい男であることを望美に教え、護ってくれることを思いしらしめる。
 鼻孔を擽る将臣の匂いは男らしく、望美を引き付けているフェロモンのようだ。
 青い少年の香りは、もうどこにも遺ってはいなかった。
 将臣の香りは、望美な心を激しく揺るがし、離れられなくする。
 コロンよりも何よりも、望美には素敵な香りに思えた。
「…絶対に…行かせないから…」
 将臣には珍しく余裕のない声が、望美の心にすっと下りてきた。
「…将臣くん…」
 望美は答えられない代わりに、ただ今の素直な将臣への感情を抱擁に託す。
 暫く、お互いの気持ちを包み込むように、ただ抱きしめ合う。
 気が置けない幼なじみとしてではなく、男と女として。
 イギリス行きよりも欲しかったものが、今、手の平にすとんと下りてくる。
「…望美…」
 低い声で掠れ気味に囁かれると、今まで気付かぬふりをしていた将臣への欲望が沸騰してくる。
 欲望の影を滲ませた瞳に見つめられれば、官能が肌の内側から突き破って出てきた。
「…行けねぇようにしてやろうか? イギリスに…。お前が絶対に離れられねぇように」
 黒く冷たい煌めきを持った視線で、将臣が試すようにこちらを見つめてきた。
「…将臣くん」
 動けない。
 まるでガリバーが躰を地面に縫い止められたみたいに。恋や愛と言う名の見えない針と糸が、望美を縫い付けて動けなくしていた。
 将臣は、見るものを夢中にさせ、また背筋を凍らせてしまうような笑みを望美に浮かべると、触れるようなキスをしてきた。
 触れるだけのキスなのに、深い想いは何よりも詰まっている。
「捕まえた以上、もう、お前を離す気はねぇからな」
 決して翻ることなどないだろう強い意思が、言葉の端々に篭っている。
 望美は言葉すらも魅了されずにはいられなかった。
 床に静かに押し倒され、躰を重ねられる。
 密着した重みも熱も、総ては望美を束縛する道具に過ぎなかった。
 将臣は、望美の浴衣の帯を器用に解くと、合わせを広げる。肩のラインで浴衣が引っ掛かってしまい、望美から縋る自由を奪い取った。
 剥き出しになった首筋から肩のラインを、将臣は彫刻を刻むように指先でなぞってくる。
 なぞられるだけで、肌がぴりぴりと痛んだ。
 緊張が肌を被いつくし、小さな刺激にすらも反応してしまう。
 波立つ肌を味わうように、将臣の指が何度も肌を往復する。
 気持ちが良いのか、それとも痛いのか。そんなことを感じる余裕すら、今の望美にはなかった。
 背中に手の平を宛てられて、剥き出しな部分を撫でられていく。
 まるで将臣によって、新たな色を引き出されているかのようだ。
 年齢的には、もう大人の女の入口に立っていてもおかしくはないというのに、心はいつまで経っても、小さな”のんちゃん”のままだ。
 まるでそれを識っているかのように、冷たくて大きい将臣の手の平は、望美を大人の女へとエスコートするように動いている。
 素直なのにどこか意地っ張りな小さな望美も、女としての欲望に苦しむ望美も、総てを受け入れてくれるような大きな手だ。
「望美…」
 この世でただひとつの愛おしい言葉のように名前を呼んでくれる。その声は熱い吐息が滲み、とても艶っぽかった。
 名前を呼んでくれた唇が、望美の肌に押し当てられる。
 あんなに熱い吐息を漏らすのに、意外なまでに唇は冷たかった。
 ひんやりとしているのに、唇は望美の肌を更に沸騰させていく。
「…んっ、将臣く…んっ」
 名前を呼べば、肌に吸い付く強さはより強くなってくる。
 将臣は構うことなく、望美の白い肌に自分の手垢を付けていく。
「…お前が妊娠の可能性があったら、イングランドに行かれねぇよな…」
 囁かれた言葉に、独占欲が燃え盛っていた。
コメント
想い合うのことに気付くのに遅れてしまったら?
のコンセプトの、パラレル的な物語です。
恋の甘さと切なさ、愛の厳しさがテーマです。
果たしてちんくまんは完走出来るか(笑)





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