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部屋に閉じこもり、望美は舌先で唇を舐めた。 「…っ痛い!」 唾液ですらも染みてしまい、じんじんと熱が篭って痛い。涙が滲んでしまうほどの痛みに、望美は躰を震わせた。 心と同じぐらいに痛い。 あんなキスをどうして執拗以上にしてくるのだろう。 将臣には同棲をしている、あんなに可愛い恋人がいるというのに。 なのに今更どうしてキスなんてするのだろうか。 愛されていると勘違いしてしまうぐらいのキスは、望美に夢を見させる。現実では有り得ないことと、理性に言い聞かせてしがみついてしまっている。 キスをされたことで、今更ながらに将臣が好きであることを思い知らされた。 だがきっと報われることはない。 「…私なんか…好きじゃないくせに…あんなことするなんて…将臣くん…酷いよ…」 誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、望美は傷ついた心を抱きしめるかのように自分の躰を抱いた。 翌日、望美は大学に出掛けた。極楽寺の駅前で、また将臣を見掛けた。相変わらず、彼女と一緒にいるが、何時ものような甘い雰囲気ではない。 無視するようにふたりの横を通り過ぎ、望美は江ノ電に乗り込んだ。 車窓からふたりの様子が見える。ふたりは黙りあい睨んでいるようだった。 大学に着き師事している教授を訪ねると、喜色を湛えた恩師が出迎えてくれる。 「春日さん! 留学はあなたに内定したそうよ! よく頑張ったわ」 弾んだ浅井教授の声は、まるで別世界の出来事のように思える。 望美は胸の奥深い場所では、喜べない自分がいることをひしひしと感じていた。 「望美さん、これから忙しくなると思うからしっかりね」 「はい、有り難うございます」 まるでロボットのように、インプットされた行動しか取ることが出来ない。望美は心が沈んでいくのを感じながらも、これで良かったと思い込もうとしていた。 「それじゃあ、書類を作っておきますから、ご両親とよく話し合ってね」 「はい。有り難うございました」 望美は頭を深々と下げると、研究室を辞した。 大学の廊下を歩きながら、ここを志望した時のことを思い出す。 将臣と手を繋いで、肩を並べて、輝ける時間を過ごすことが出来ればと、甘酸っぱい未来を夢見ていた。 そのために受験勉強をかなり頑張り、夢が叶うと思っていたあの頃。 想いを上手に伝えられなくても、将臣なら解ってくれると思っていた。将臣が手を差し延べて、まるで王子様のように愛を教えてくれると思っていた。 幸福は将臣が運んでくれると信じていた、子供の望美。 だが実際には、将臣が選んだのは別の女性であり、自分がいるはずだった場所には、うんと綺麗な女性が笑っていたのだ。 将臣の横に自分がいることは有り得ないのだと悟った時から、こうしてイギリス留学だけを目指してきた。 解っている。本当は逃げているだけだということぐらいは。 だが対峙しても玉砕が確実な以上は、深入りしてもしょうがない。 女の子に決して好い加減ではない将臣が同棲する相手は、確実に未来を見ているに違いない。 だから幼い想い出を遺したままで、将臣の前から消えるのだ。 「…私がひょいと帰国した頃には、将臣くんは可愛い子供が沢山いるんだろうな…」 言葉にしたら、リアルになったような気がして、鼻がつんとした。 瞳に涙が滲んでくる。 息苦しい心を抱えながら、望美は鎌倉へと帰った。 どんな心を抱えていても、「おかえり」と優しく声をかけてくれる故郷は、今や存在だけでも心のよりどころになっていた。 鎌倉駅前で、鎌倉カスターを買い求めた後、のんびりと江ノ電に乗る。イギリスに行けば、こののんびりとした電車が懐かしく思えてくるだろう。 本当は、将臣の子供と一緒に江ノ電に乗るのが夢だった。 小さな頃からのささやかな夢が叶うことなど、もう有り得ないのだ。 望美が極楽寺で降りると、将臣と彼女が手を繋いで電車を待っているのが見えた。 彼女は、望美に見せ付けるように将臣にたっぷりと甘えている。その瞳は、望美をどこかライバル視いているようにも見えた。だが、ライバル視したとしても、望美は彼女に敵うはず無い。ふたりの間には、リアルな男女の雰囲気がありありと見えた。 吐きたいぐらいに気持ちが悪いのに、このまま泣きたいぐらいに胸が切ないのに、子供のように感情を出すことが出来なかった。 クールさを装い、望美は改札をくぐる。 小さな自転車置き場には、乱雑に自転車が並べられており、かつてふざけあいながら、ここから将臣と自転車を乗ったことを思い出した。 あの頃は、将臣との未来は輝けるものだと信じていたが、今はかけらすらもない。 かけらがないのに、自分の恋心だけに縋るわけにはいかなかった。 「…ばいばい、将臣くん…」 望美は誰にも聞こえないように、過去の亡霊から訣別をはかろうとしていた。 その声を聞いたからか、激しい雷が鳴り響く。空を見上げると、まるでこれからの望美の恋愛感を表すかのような灰色の厚い雲が重たく空にかかっている。 酷い雷なのに、望美は走る気にもなれずにただ空を見ていた。 先を急げないのは、きっと心が上手く作動していないからだろう。 「重苦しいね、空も私も…」 心模様を表したような空に、望美は心を軋ませていた。 ゆっくりと家に向かって歩き出すと、大粒の雫が頬を濡らす。 折り畳みの傘があるのに、望美はさすこともせず、ただ緩やかに歩く。 やがて雨は、スコールだと思うほどに激しく望美に降り懸かってくる。 だが傘はささなかった。 ささないほうが都合が良かった。 ささなければ泣いていることを悟られはしないから。 いくら大泣きをしても、涙も声も、総ては雨と雷が消し去ってくれる。 こんなに泣いたのは、将臣が還内府と識って以来かもしれなかった。 家に着く頃には、感情を洗い流してしまえるほどに泣いていた。 だが気分は晴れない。 きっとこうして一生を過ごしていくのだろう。 将臣への恋心をずっと抱えたままで。 我ながらしつこいのは解っていたが、これほどまでとは思わなかった。 家に帰ると、ずぶ濡れの望美を見て、母親がタオルを片手に駆け出してくる。 「傘を持っていなかったの?」 「うん」 「もう、人騒がせなんだから。熱いシャワーでも浴びて、あたたまりなさい」 「うん」 望美はまるで小さな子供のように、ぺたぺたと廊下を歩き、バスルームに向かう。 あれだけ泣いたはずなのに、まだ泣き足りない。きっと死ぬほど泣いたとしても、この感情が治まることなんて有り得ないだろう。 シャワーを浴びた後、望美はパジャマ姿で部屋に引きこもった。 小さな子供のように髪をきちんと拭かずに、雫が垂れている。 本当はまだ小さな”のんちゃん”のままだ。男だとか女だとかを意識する前から、将臣を見ていた”のんちゃん”のまま。 小さな頃から本当は何も変わってはいないのだ。 望美は膝を抱えたまま、ただぼんやりと天井を見ていた。 暫くして、玄関先が騒がしくなる。母親が望美の部屋に駆けてくるのが聞こえた。 「望美…将臣くんがきたわよ」 「気分が悪いから、またにして…。風邪を引いたみたいなんだ…」 「…解ったわ」 母親が僅かに溜め息をつくのが解る。 嘘から出た真実なのか、喉が焼けるように痛くなった。 |
| コメント 想い合うのことに気付くのに遅れてしまったら? のコンセプトの、パラレル的な物語です。 恋の甘さと切なさ、愛の厳しさがテーマです。 果たしてちんくまんは完走出来るか(笑) |