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自分で将臣を突き放すようなことを言ったくせに、望美は自分自身がひどく傷ついている。 将臣から卒業しなければならない。 望美はちゃんと解っているつもりなのに、小さな”のんちゃん”はそれを解ってはいない。将臣を求めて、いつも泣いているのだ。 ベッドに横たわりながら、望美は切ない想いを抱える余りに窒息しそうになっていた。 熱の息苦しさと、恋の息苦しさを感じて、何度も寝返りを打つ。 不意に部屋をノックする音が聞こえ、必死に泣きそうな顔や声を取り繕った。 「は、はい!」 「望美、俺だ。見舞にきた」 将臣は望美の返事を聞く前に、堂々と部屋の中に入ってきた。 「…甘いゼリーとかいるだろ?」 熱と感情でぼんやりとした望美の視界に、将臣は洋菓子店の箱を掲げた。 「…有り難う。今はあんまり食欲ないから…、後で食べるよ」 「ったく、お前のことだからどうせ食わねぇだろ? おばさんに雑炊作って貰ったから、それを食って、デザートでゼリーを食え」 まるで兄のように世話を焼いてくれる将臣に、望美は温室の中で仲良く遊んでくれた日々を重ねる。 「…躰を起こして、少し食え。食べなきゃ薬も飲めないだろ」 「うん」 躰をゆっくりと起こすと、将臣が手伝ってくれた。 「大丈夫か?」 「もう小さくないから自分で出来るよ」 言葉にしながらも、望美はどこか寂しい気分を禁じ得なかった。 「将臣くん、ここにしらす雑炊を置いておくからね。後はお願いしますね」 「はい、おばさん」 将臣が望美の世話をしているのをどこか嬉しそうに笑いながら、母親は机の上に土鍋を置いた。 「ワガママ言うなよ。しっかり食えよ」 「…うん」 小さな茶碗に、出来立ての熱々の雑炊をよそい、将臣はスプーンで一口掬う。 「ほら、あーん。ちゃんと食えよ」 「う、うん」 望美が小さく口を開けると、熱い雑炊を含む。 耳まで熱くなりドキドキするのは、きっと雑炊が熱いからだ。望美はそう思い込むようにしていた。 「将臣くんがこうして看病してくれるのは高校生の時以来だね…」 「そうだな」 将臣の表情は柔らかかったが、どこか苦悩も感じられる。 「勿体ないことをしたかもしれねぇな…。ここのところずっと」 「…そうだね。だけど…、私たちが成長した証拠じゃないかな。ずっと子供のままではいられないもの…」 「そうだな」 こうしてふたりで黙りこんでいると、部屋が息苦しい空間になる。 いつから黙っていると、こんなに重苦しい雰囲気を持つようになってしまったのだろうか。 胸が苦しくなって、折角のしらす雑炊も喉に上手く通らなくなってしまった。 将臣にスプーンを差し出されても、望美は頭を横に振る。 「どうした? 食わないと元気になれないぜ?」 「食欲、あんまりないもの」 「ったく、小さな頃のままだよな、お前」 どこか切なげに将臣は目をスッと細めると、指先で望美の頬のラインを撫でた。 一瞬、心も躰も酷く震わせてしまう。 甘くて苦しい感覚は、望美の中で寝たふりをしていた傷つきやすい小さな”のんちゃん”が、頭を擡げてくる。 「…お腹いっぱいだもん」 小さな頃と変わらない口調で言うと、将臣は喉を鳴らして笑う。 「お前、小さい頃と同じ言い訳だよな。嫌いなもんを食わなくちゃならない時に、必ず”お腹イッパイ”って言うんだよな」 「だけど本当だもん」 「そこも全く同じだな」 将臣は苦笑いをすると、甘やかさを滲ませた視線で望美を縫い止める。 まるでふたりがいる空間だけが、時空の流れとは別の場所に眠っているような気分になった。 「…変わらないな、やっぱお前は。…どうしてそれに気付かないふりをしていたんだろうな。俺は…」 ひとりごちるように将臣は呟くと、空(くう)を見つめた。 今度は甘い痛みが胸に突き刺さり、望美の飽和状態にする。 将臣は、この数年のふたりの関わり方を後悔しているようにも思える。 もし将臣に恋人がいなければ、すんなりと上手くいったかもしれないが、恋人がいる以上はもう、ふたりがその先を進むことはないのだ。 「…ごちそうさま、お腹いっぱいだよ」 望美は小さく手を合わせると、溜め息をついた。 「しょうがねぇやつだな」 将臣は愉しそうに言うと、雑炊が入った土鍋に直接スプーンを突っ込み食べ始めた。 「やっぱり湘南名物しらす雑炊だよな。旨い!」 「ちょ、将臣くんっ! 風邪が移っちゃうよ」 「お前と違って、俺はウィルスの耐性が出来てるの! 気にするな」 そんなことを豪快に言われても、望美は困ってしまう。 だが、どこか嬉しくも思っていた。 間接キスは恥ずかしいけれども、ときめきを産む素敵なアイテムだ。 望美は、ガツガツと食べる将臣の様子を見ながら、幸せな情景だとひしひしと感じていた。 「将臣くんの食べっぷりを見ていると気持ちが良いね。こっちまで元気になったような気分になるよ」 「だったらいいけれどな」 将臣はぺろりと土鍋の雑炊を食べると、望美に笑いかけてくる。 子供の頃と殆ど変わることがない笑みに、望美も思わず無邪気に笑った。 「こうやってな、俺達がじっくりいたなんて、久し振りじゃねぇか?」 「そうだね、うん、久し振りだ」 笑い合うと、空気が柔らかく変質する。ふたりにとって柔らかな皮膚のようにしっくりとくる空気は、華やかなときめきを生んだ。 「たまにはこうやって、顔を付き合わせて話すのも良いかもしれないな」 「そうだね。私たちには足りなかったことなのかもしれないね」 幼なじみの気の置けなさが戻ってきたようで、望美は嬉しかった。 ちゃんとしたスタートラインをふたりがまた立つことが出来るような錯覚を覚える。 もし、ふたりが恋のスタートラインに立てるのならば、イギリス行きは止めてしまっても良いと、どこか希望的観測を持っていた。 愉しい時間が過ごせたから、翌日にはすっかり体調が良くなっていた。 熱も下がり、息苦しい雰囲気を感じることもない。 どこか雲の上をふわふわと歩いているような、幸福を感じた。 今朝も何時ものように極楽寺の駅へと向かう途中で、望美は将臣と出会った。 何故かいつものように彼女はいない。 将臣がただひとりでいる。 「おはよう、将臣くん」 「おはよう」 思えば、きちんと目を見て挨拶をしたのは、いつぶりだっただろうか。 「すっかり良いみてぇだな」 「うん」 「だったら看病代金をせしめねぇとな」 将臣はニヤリと微笑むと、照れたように望美を見る。 「…今夜、一緒に居酒屋でも行って、酒を飲まないか? 久し振りに昔話でもしようぜ」 「うん! 行こう!」 望美は嬉し過ぎて即答をする。ときめく余りに、小さな女の子のように頬を紅潮させる。 幸せな時間が流れ始めたと、確信していた。 |
| コメント 想い合うのことに気付くのに遅れてしまったら? のコンセプトの、パラレル的な物語です。 恋の甘さと切なさ、愛の厳しさがテーマです。 果たしてちんくまんは完走出来るか(笑) |