真夏の影


 将臣と改まってどこかに行くのは、本当に久々だ。
 ドキドキの余りに踊り出してしまいそうなぐらいに嬉しくて、まるで初めてデートをする女の子のような気分になる。
 将臣に可愛くみせたい。だが、余りにお洒落をしてしまうと、気をてらっているようで、押さえてみたり。そうすればまた地味になってしまうと、  望美はあれこれ悩みながら準備をした。
 日焼け止めと、薄い化粧。リップグロスも忘れないように、慎重に唇を撫でた。
 将臣には決まったひとがいる。
 そう考えると、重い気分になり、笑えなくなった。
「幼なじみだから…私たちは」
 自分に言い聞かせるように呟くと、望美は疲れたような切ない気分になった。
 待ち合わせの場所まで行くと、将臣はいつものようにブラックジーンズとシャツを艶やかに着こなしている。
 いつも通りの姿にホッとしつつも、どこか胸が痛い。
 遠くから見ると、なんて素敵なのだろうかと思う。他人のものだと解っていても、欲しくてたまらなくなった。
「お待たせ」
「ああ。行くか」
 将臣は視線で望美のラインを撫でた後、ごく当たり前のように望美の手を取る。
 熱くて大きな手に包まれるだけで、心臓が飛び出してしまいそうになるぐらいに激しく動く。
 望美が僅かに手を震わせると、将臣の親指が手の甲を撫で付けてきた。
 ぞくりとしたやる瀬ない感覚が、望美の背筋を走り抜ける。
「…望美…」
 まるで自分の恋人であるかのような甘い声で名前を呼ばれると、腰の奥が切なく痛んだ。
「美味い居酒屋なんだよ。地元だから、気にせず飲めるしな」
「愉しみだよ」
 小さな子供同士のようにも、恋人同士のようにも思える。
 しっかりと指を絡ませあい、ふたりは恋人繋ぎをする。
 こんなに近くてしっかりと指を結び合わせていても、将臣は望美のものではない。
 指先の温もりは手に入っても、心は手に入らないのだ。
 望美は泣きたくなり、じっと先を見つめていた。
「こうやって、ふたりで手を繋ぐなんて、高校生以来じゃねぇか?」
「そうだね。幼なじみの延長線だったからね」
「今も幼なじみだろ?」
 何気なく言われた将臣の言葉に、望美は心を凍りつかせる。
 所詮、望美は幼なじみなのだ。将臣の特別ではないことを、益々想い知らされた。
 心が土砂降りになっているのにも関わらず、望美は笑うしかなかい。
「そうだね…。私たちは幼なじみだね」
 不意に望美の手を握り締める力が強くなった。
 まるで将臣こそ、幼なじみから脱却することが出来ないように見える。
 将臣は望美に少しだけ寄り添うと、まるで自分のものだと主張するかのように捕らえてきた。
 夏の終わりを感じさせる風が、肌をクールダウンさせてくれる。
 何も話さなくても、ただゆらゆらと歩いているだけで、優しくも熱い雰囲気を味わえる。
「美味いおかずがいっぱいあるからな」
「うん、楽しみだよ」
 暫く歩いてから、お目当ての店の暖簾を潜る。地元の美味しい魚介類を食べさせてくれる、味わいのある素朴な店だった。
「いらっしゃい! 女の子を連れてくるのは初めてだね!」
 店主と知り合いなのか、明るい声で言われてびっくりした。
「生しらすとビール二人前ね!」
「はいよ」
 ふたりで小さな席に向かい合わせで座る。顔を付き合わせる距離がちかすぎて、望美は鼓動を震わせた。
「ここはマジで美味いから」
「うん、楽しみだよ!」
 きっとこれが最初で最後の酒を酌み交わす機会になるだろう。だから今夜は酒を愉しみたかった。
「じゃあ乾杯といくか」
「うん。私の全快祝いに」
「それ大袈裟。そうだな…。いつまでも俺達がこうして飲み交わすことが出来るように」
 将臣の言葉に望美は頷きながらも、それは叶うことがない絵空事のように思えてならなかった。
 ふたりで飽くことなどなく、幼い頃の話を余すことなく語る。
 そして、不思議な時空に投げ出された日々のことも、語りきられないほどに話した。
 それを彩るのは、美味しい魚介と地元のビールだ。
「ホントに美味しいよね! ビールも生しらすも、みんな」
「だろ? だからオススメなんだよ」
「ふるさとの味って感じだよね」
  望美がしみじみと淋しげに語ると、将臣の表情が幾分か陰ったような気がした。
 眉間の辺りがどこか苦悩を滲ませているように思える。
「…行くのか? イギリス」
 まるで一世一代の告白でもするかのような雰囲気を滲ませて、将臣は望美を見つめる。
 どうかそんな瞳を向けないで欲しい。
 また甘えてしまい、この感情にぶら下がってしまうではないか。
「…そうだね。私に決まったって、この間、連絡があったんだ…」
 望美は将臣の視線を避けるように俯くと、小さく呟いた。
「…夢が叶うんだよな」
 将臣の声は、いつもの力強さとは裏腹に、小さな少年の顔を見せている。
 お願い。そんな顔を見せられてしまえば、諦めたはずの恋心がまた復活してしまう。心の深海に沈みこませたはずの恋心が、明るく光りが届く場所に、浮上してしまうではないか。
「…いつから、期間はどれぐらいになるんだよ」
「夏休み明けたら直ぐに。期間は一年だけれど、大学院にもそのまま通うつもりだから、最低でも五年。恐らくは十年は帰って来ないとは思う」
 話しているうちに声が震えてくる。明るい未来の話をしているはずなのに、どうして心はこんなにも深く沈み込んでくるのだろうか。
 将臣は黙っている。
 ただビールをグラスに注ぐ音だけが響いていた。
 何度もそれがくりかえされて、将臣は煽るように飲んでいる。
「…その頃は、きっと、将臣くんには可愛いお嫁さんと子供がいるかもしれないよね!」
 引き攣っているのに、心が壊れそうなのに、望美はわざと笑顔を浮かべる。
 将臣の瞳がナイフのように鋭く光ったのを無視しながら、ビールを一気に飲む。
「美味しいね! おかわりっ!」
 将臣よりも早いピッチで飲み始めたものだから、思わず制止される。
「止めておけ」
「いいんだよーん! のんちゃんのイギリス行きを祝して乾杯してよっ!」
 やけ酒のように飲んでいると、段々、周りの視点がくらくらし始める。まるでメリーゴーラウンドに乗った気分になり、楽しくなってきた。
「楽しいね、ホントに、楽しいーっ!」
「俺はちっとも楽しくなんかねぇ」
 苦々しく呟いた将臣の声を聞きながら、望美は心地良い波に掠われた。
 今はもう何も考えたくはなかった。

 ふわふわと空の上を歩いている感覚に、望美は僅かに目を覚ませた。
 広くて温かな逞しい背中に護られて、懐かしい道程を歩いている。
 将臣の背中におぶられるなんて一体いつ以来だろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、望美は目を閉じた。

「お母さん頭痛い…」
 朝のシャワーを浴びた後も気分が優れず、望美は母親に愚痴を零した。
「あんなに酔っ払って! 将臣くんが一緒で、ああやっておぶって帰ってくれたから良かったものの…。気をつけなさいよっ!」
「…はあい…」
 母親のお小言が頭に響き、望美は何度もしかめつらをしてしまう。
「…こんな時に、出掛けなきゃならないのが恨めしいな」
「自業自得よ!」
 母親に叱られながら、望美は頭痛を抱えて家を出た。
 今日はアルバイトを入れているので休めない。
 極楽寺の駅までくると、将臣の恋人がひとりで立っていた。望美だけを真っ直ぐ睨みつけた後、怒りを撒き散らしながらこちらに歩いてくる。
 紅蓮の炎のような雰囲気に、望美は圧倒され、動けなくなる。
 心の準備もなくいきなりだった。
 彼女は望美の頬を思い切りひっぱたく。
「私のまあくんを取らないでよ!」
 平手打ちと言葉が、望美の心に突き刺さる。
 ただ瞳に涙を滲ませ、望美は彼女を見つめることしか出来なかった。
「お前ら何やってんだよ!?」
 振り返ると将臣が、怒ったように立っている。
 絶対絶命。
コメント
想い合うのことに気付くのに遅れてしまったら?
のコンセプトの、パラレル的な物語です。
恋の甘さと切なさ、愛の厳しさがテーマです。
果たしてちんくまんは完走出来るか(笑)





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