もう一度恋をしたい

10


 いよいよ、望美が学校生活に復帰することとなった。
 将臣は朝早くから起きて、望美と学校に行く準備を進める。
 きっと望美のためだから、いつもよりも早い起床時間も耐えられるのだと、思わずにはいられなかった。
 譲は朝練のため、早く出なければならないことを心からくやしがっている様子だ。
 将臣は内心、優越感に浸っていた。望美を独占が出来る素晴らしさを改めて感じられるのが嬉しかった。
 朝食をかきこんだ後、少し緊張をして春日家に向かう。
「こんにちは、迎えに来ました」
「有り難う、将臣くん、すぐに望美を呼んでくるから」
 望美の母親は嬉しそうにダイニングに行き、望美を呼びに行ってくれた。
 望美は念のために松葉杖を片手にゆっくりと歩いてくる。
 邪魔になるからと、長い髪はひとつに束ねていた。
 風に靡く長い髪が好きなせいか、将臣は少し残念に思う。だが、新鮮さを感じているのも確かだった。
 望美の鞄を持ち、家を出るのを手伝ってやる。
 自転車の前カゴにふたり分の鞄を詰め込むと、望美が荷台に乗る手助けをした。
「しっかり捕まってろよ」
「うん、了解っ!」
 腰に回された腕は、以前に比べるとどこか心許ない。遠慮が感じられて、将臣は苛立ちを覚えた。
「…もっとしっかり掴まれよ」
「あっ、う、うんっ」
 将臣が腕を取り、自分の躰にしっかりとからませると、望美は心臓を激しく跳ね上げさせたようだった。
 初々しい緊張と戸惑いが、熱を通じて感じられ、将臣にも緊張がうつってしまった。
「行くぜ。坂は急だからな」
「うん」
 これでは心臓なんて持つはずもないと思いながら、将臣はペダルを激しくこぐ。
「極楽寺坂は急だからな、ちゃんとつかまらねぇと、振り落とすぞ」
「解った」
 緑が麗しい坂を下りれば、直ぐに駅だ。
 密着の心地良さに、酔いしれてしまいそうになる。
 もう少しだけこうしてくっついていたいと、将臣は思わずにはいられなかった。
 自転車を降りる時も、抱き上げるように下ろしてやり、鞄を持ってやる。
「いいよ、鞄ぐらいは自分で持つから!」
「遠慮すんな。ガキの頃、よく鞄持ちをしてもらったからな。その借りを返しているだけだ」
 駅から江ノ電に乗ると、流石に混んでいたが、誰もが望美の足を見るなり、スペースを空けてくれた。
 それでも足を踏まれてしまっては大変だと、将臣は望美をガードするように立った。
「こけそうになるからな。俺にしっかりとつかまっておけ」
「うん」
 望美に捕まられるのが、心地が良い。
 緊張するように堅くなってつかまってくるのを、見守っていた。
 駅に着くと肩を貸してやり電車を降りる。
「…なんかみんな見ているよね…。将臣くんはもてもてだよね」
 フッと寂しそうに微笑む望美を、将臣はぐっと引き寄せる。
「んなことは、気にしなくて良いんだよ…」
「うん、有り難う」
 駅から急な日坂を登るときは、流石に苦痛のようだった。
「我慢はするな。痛かったらおぶってやるから」
「大丈夫だよ。将臣くんには迷惑だから」
「迷惑じゃねぇよ。俺達は幼なじみだろ? 遠慮なんてすることは…ないんだ」
「うん、有り難うね」
「ああ」
 他の生徒よりもゆっくりとしたペースで歩いているのが気持ち良い。
 ふたりは寄り添うようにして日坂を登り、ようやく校門にたどり着いた。
 校舎に入るなり、望美とふたりで職員室に向かう。担任に挨拶をしなければならないからだ。
 それが終わると、今度こそ教室に向かった。
 誰もが望美の姿を見るなり、良かったと異口同音で言い、拍手をしてくれるものたちもいた。
「望美、有川くんを独占出来て、幼なじみは得だねー」
 友人たちが茶化すのを、望美は嬉しそうに笑っていた。
 眩しいほどの笑みを浮かべる望美に、将臣は嫉妬をせずにはいられなくなる。
 どうか自分だけにその微笑みを向けて欲しい。
 閉じ込めたいと思わずにはいられなかった。
 チャイムが鳴り、望美は自分の席にごく自然に着いた。
 ちゃんと他のことを覚えているというのに、どうして自分のことだけを覚えてくれてはいないのだろうか。
 沢山、傷つけてしまったからだろうか。
 だから思い出したくないと、望美は思っているのだろうか。
 華奢な背中を見つめながら、将臣はぼんやりとそんなことを考えていた。
 自分が同じように、記憶を欠落していた酬いなのだろうか。


 ようやく学校に通うことが出来るようになり、望美はホッとしていた。
 また顔なじみのクラスメイトと楽しくやれる。
 だが、どうして将臣のことだけを思い出せないのだろうか。
 苦しくて、胸の奥がキリキリと痛む。
 息をすれば、痛みは激しさを増した。
 こんなに献身的に護ってくれる将臣をどうして思い出せないのだろうか。
 頼りになるうえに、将臣はとても優しい。
 感謝をしてもしきれないと思っているからこそ、早く思い出したいと焦ってしまう。
 だが、思い出そうとすればするほど、胸の奥に鋭い痛みが込み上げていた。
「次、教室移動だ、一緒に行くぜ」
「うん」
 将臣に手伝って貰う度に、思い出せない切なさが増す。
 精悍な横顔を見つめるだけで、泣きそうになる。
 誰にもこんな優しさを向けないで欲しいと思う、ワガママな自分がいた。
「実験なんて久しぶりだな」
「せいぜい無理せずにな」
「うん」
 声をかけてくれるさりげない優しさが、温かい気分を生む。
 こうしていつまでも将臣に甘えていたかった。
 一日目は、流石に疲れ果ててしまい、望美は緩やかに日坂を下りようとした。
「あっ!」
「夕日か…」
「久し振りなんだよ」
 望美は暫く立ち止まると、夕日が海に沈む様子をうっとりと眺めていた。
「…綺麗だね」
「そうだな」
 望美はふと、将臣の横顔を見つめた。
 湘南の海を癒すように輝く光よりも、将臣を輝かせる光のほうが、余程美しいと思った。
 いつしか望美は、海ではなく、将臣だけを見つめている。
 いくら視線を将臣以外に移しても、また戻してしまう。
 記憶は思い出せないのに、ただ気持ちだけは素直だった。

 ふたりは江ノ電に乗り込み、紫に輝く雲を眺めながら、ただ黙っていた。
 言葉など何も必要とはしない。
 極楽寺の駅に着くと、すっかり疲れ果てていた。
 やはりずっと入院をしていた代償はこんなところに出ている。
「乗れよ」
「将臣くんが大変だよ!? だって極楽寺の坂はかなり急勾配だよっ」
「いいんだ、お前をひとり乗せるぐらいは、平気だからな」
 将臣はさらりと呟くと、望美を朝と同じように荷台に乗せてくれる。
 こんなに優しくされると、恋をしてしまうではないか。
 望美は自分の心を抱きしめるように、将臣の背中に抱き着いた。
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「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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