9
望美が退院するまでの日々、将臣は病院に足しげく通った。 何よりも望美を優先にし、一緒に勉強をする日々が続く。 アルバイトも、望美の為に休み、ただ献身的に接する。その姿は、弟の譲すらも舌を巻くほどのものだった。 「将臣くん、来週には退院出来そうだよ。で、学校も行けそうなんだ。体育だけは見学になっちゃうけれど、少しずつ馴らしていけば大丈夫だって、先生も」 「そうか」 望美が嬉しそうに頬を染めるのを見つめるだけで、嬉しくてしょうがない。 やはりこの笑顔は何よりもときめくのだと、将臣は思わずにいられなかった。 「学校は俺が一緒にいってやるよ。チャリで駅まで行って、行きの登り坂はおんぶでもしてやるよ」 「おんぶは大袈裟だよ。だけど支えてくれたら助かるけれどね…」 望美はそこまで言うと、はっとしたように頬を赤らめた。 「しっかり支えてやるからな」 「あ、もうえっち」 ニヤリと笑えば、望美がはにかんでくるのが、何とも愛おしい。 将臣はいつしか目を細めると、望美を抱きしめたくなる衝動にかられた。 仕草が、瞳の輝きが、愛おしくてしょうがない。 このまま抱きしめて、その温もりを奪えたらいいのに。 なのに今はそれが出来ない。 奪い去りたいほどの情熱を抱いたとしても、それを今は望美に押し付けることなど出来ない。 ジレンマと焦りが、将臣を苦しくさせた。 「将臣くん?」 思い詰めている将臣に気付いたのか、望美は心配そうに顔を覗きこんできた。 その瞳が子供のような心もとないものだから、将臣は胸をキュンと痛めた。 胸がキュンと鳴るのは、女子だけの特権だと思っていたのに、まさか自分がそんなことになるとは思ってもみなかった。 「やりたいことあったら、何でも言えよ」 「うん、有り難う。七里が浜に行きたいし、久し振りに若宮大路にも行きたいよ」 「じゃあ一緒に行こうぜ」 「うん、有り難う。楽しみにしているよ」 頬を染める望美にこのままキスをしたい衝動にかられながら、将臣は何とかそれを押し止める。 改めて望美と接するようになってからというものの、新しい発見が沢山あり、とても新鮮だ。 もう一度恋をする。 幼なじみとしてではなく、出会ったばかりの男と女として恋をするのは、なんて幸せなんだろうか。 新しい望美を沢山発見することか出来て、こんなに幸せなことはなかった。 「じゃあ、今日は帰るからな」 「うん、有難う。明日も待っているから、必ず来てね」 「解った」 望美が子供のようにこちらを見るものだから、頼りきったようにこちらを見るものだから、淋しそうにこちらを見るものだから…。 将臣の息が出来なくなるような恋情が、一気に盛り上がってくる。 切迫した想いを、どうすることも出来なくなる。 泣きそうな瞳で見送ってくれる望美が、愛おし過ぎて、将臣は気付いた時に、華奢な躰に手を伸ばしていた。 腕の中に望美を閉じ込め、強く抱きしめる。 最初こそ、望美は驚いたように躰を震わせたが、やがてぎこちなくも将臣を抱きしめてきた。 お互いの温もりを確かめあいながら、暫くは静かに抱きあう。 鼓動の音が不規則になり、それが重なって摩訶不思議なメロディを奏でていた。 「…将臣くん…」 望美の呼び掛けに、将臣は更に深く抱き込む。 柔らかさ、温もりが、かけがえのない大切なもののように思えた。 暫くして、静かに離れると、望美は瞳に涙を滲ませて、とても綺麗だ。 このまま掠ってしまいたくなる。 もし、あの時空にいたままで、自分が還内府のままで、望美が村娘だったならば、奪い去っていたことだろう。 離れなくない、離したくない。 瞳の奥がつんと来るほどに、恋情は熱かった。 「今度こそ帰る」 「うん、またね」 小さく手を振る姿は、なんと愛らしいのか。 完全に魂を抜き取られていると感じてしまうほどに、望美に恋をしている。 病室を出た後も、将臣はふわふわとした気分になっていた。 望美が退院の日、将臣は急いで家に帰ってきた。 譲はどうしてもクラブの用で外せないらしく、帰宅部をこれほど感謝したことはない。 春日家にお邪魔をすると、母親もひょっこり顔を出していた。 「あら、将臣おかえり。望美ちゃんの快気祝いのお茶会をしていたのよ」 そんなことはなくてもお茶会はするだろうと、将臣はツッコミを心の中で入れつつ、望美の横に腰掛けた。 「ノート、取ってきたから。後でレクチャーする」 「有り難う! 将臣くんのお陰で、明後日から学校に行っても、遅れを感じずにすみそうだよ」 「そいつは良かったな」 甘いものが苦手な将臣は、ブラックコーヒーだけを呑む。 だが何時ものように芳醇な味を、少しも感じなかった。 「勉強するか、少し」 「うん。部屋に行こうか」 望美はテーブルを支えにして何とか立ち上がると、よろよろと歩く。 「おいっ! 大丈夫かよ!?」 「平気だよ。階段ぐらいは上がれるし、下りられるんだよ」 いつもよりはゆっくりとしたペースで歩いてはいるが、ちゃんと歩けるようだ。 だが階段口に行くと、将臣は危なっかしく感じて、望美を軽々と抱き上げた。 「ちょっ! 将臣くん、自分で歩けるから…」 「危なっかしいからな」 スタスタと階段を登る間、望美は恥ずかしくてたまらないらしく、ずっと俯いてしまう。 その照れ具合が、そこはかとなく艶やかだった。 望美の部屋の椅子に座らせ、将臣はノートを机の上に広げる。 「よし、勉強をするか」 「そうだね。いつも有り難う」 望美は頭を下げると、視線を将臣の向こうに投げ掛けた。 「…私たちは幼なじみなんだって、あの写真を見て、実感したんだ」 将臣が振り返ると、後ろのコルクボードに、中学の卒業式に撮った写真が飾られている。 「…懐かしい…んだろうけれど…、ごめんなさい…。上手く思い出せないんだ…」 望美のもどかしそうな声が、将臣の胸に突き刺さってくる。 笑えないぐらいに余裕がない自分が、酷く恨めしかった。 「…焦らなくていいんだ」 かける言葉とは裏腹な自分の気持ちが恨めしい。 早く思い出して欲しい。 思い出してくれたら、謝罪や贖罪をすることが出来るというのに。今はそれすらもままならない。 「じゃあ、勉強するか」 「うん、有り難う」 望美は素直にノートに視線を送る。 何処かしら緊張した雰囲気がふたりの中で流れていた。 以前のように明るくふざけあったり、じゃれあったり出来る雰囲気はない。 それでも、いつかはそうなれると信じて、将臣は望美と接する。 もう一度恋をしたい。 今度こそは幸せな恋を。 願は熱く鎌倉の空を燃え尽くす。 |
| コメント 「迷宮」ED後です。 茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は? をテーマにした物語です。 |