もう一度恋をしたい


 もう一度恋をするには、それなりのリスクがある。
 同じように望美のことを好きな譲のほうが、かなり有利な状況だ。
 だがそれでも将臣は諦めない。
 望美があんなにも純粋な気持ちを向けてくれたのだから。
 将臣は望美の気持ちに応えるためにも、先ず、誠実でなければならないと思った。
 中途半端な付き合いをしていた女の子には心から詫びを入れ、許してもらった。
 まだ最後の線を踏み止まったせいで、傷をつけるのは最小限で済んだ。それが何よりもの慰めだった。
 毎日、真面目に授業も取り組み、望美が見やすいようにノートを取る。
 それが将臣に今出来る精一杯のことだった。

 学校が終わると、将臣は望美が入院する病院へと直行する。
「望美、将臣くんが見えたわよ。しっかり勉強しなくちゃね」
「うん、解ってるよ」
 母親に言われて、望美は躰を起こすと、ノートを台の上に広げる。
「ごめんなさいね、将臣くん」
「復習になるから良いですよ」
 将臣が椅子に腰をかけると、望美は少しばかり緊張したようだった。神妙な顔はまるで家庭教師の授業を受けるようだ。
「…お願いします」
「ああ」
 将臣はノートのコピーを望美に渡すと、静かに今日のポイントをレクチャー始めた。
 短い時間に、かなりの内容を詰め込むせいか、望美は真剣に聞いている。
「…よく解るよ、有難う」
「ああ。お前は飲み込みが早いからな」
 望美は少し嬉しそうに将臣を見ると、僅かに頬を赤らめる。
「制服だと感じが変わるんだね」
「少し子供じみて見えるか?」
「そんなことないよ。将臣くんは素敵じゃない」
「サンキュな」
 望美は初々しい雰囲気を漂わせて、ノートのコピーに視線を落とす。
 今までない望美の印象に、将臣はもっと恋に落ちてしてしまうような気がした。
 胸の奥が締め付けられるように苦しい。だがこの感覚は悪くない。
「…ホントに幼なじみなんだね、私たち…」
「そうだな。幼なじみだ」
 将臣がしっかりと頷くと、望美は安心したように笑った。紅に染まる頬が愛らしい。
「あなたが幼なじみで良かったよ。私は素敵な幼なじみがふたりもいるから感謝しなくちゃね」
 記憶を失っても、望美はいつも以上に将臣に良く接してくれた。
 それがとても嬉しくて、将臣は心の空が明るく晴れ上がるのを感じる。
「…ちょっと疲れたかな、勉強」
「詰め込んでいるからな。今日はここまでにして休憩を取るぞ」
「うん!」
 望美はホッとしたように肩から力を抜くと、大きく深呼吸をした。
 不意にノックをする音がし、ふたりはドアに注目をする。
「譲です」
「どうぞ!」
 望美が明るく返事をすると、譲がいそいそと病室に入って来た。
「先輩! こんにちは! マロンロールケーキを作って来ましたよ!」
「有難う!」
 望美の明るい声を聞きながら、将臣は、一瞬、自分の弟を牽制するように見る。
「まあ、有難う、譲くんも。お茶をいれるから待っていてね」
「はい」
 流石に兄弟、考えることは同じだ。
 自分が考える最良のやり方で、望美のヘルプをしている。
 譲は将臣の横に腰を下ろした。
 ふたりは無言になり、ただ目の前にいる少女を一心不乱で見る。
「紅茶が入りましたよ。ケーキも切ったから、みんなで一緒に食べましょうね」
 望美の母親がそれぞれにケーキと紅茶を出してくれた。
「有難う、譲くん! 凄いよね!」
 望美はいただきますをした後、ケーキを貧る。
「ホントに譲くんは料理が上手いよねー」
 確かに悔しいが、将臣もかなりの腕前だと認めずにはいられない。
望美は不意にちらりと将臣を見る。
「将臣くん、美味しい?」
 望美が気を遣いながら、将臣の様子を窺っている。まるで他人行儀な振る舞いに何処か寂しい気分になり、何処か新鮮な気分になった。
「ああ、美味い」
 薄く望美に微笑むと、明るい空のような笑顔が返ってくる。
「良かった! 将臣くんが気に入ってくれて嬉しいよ」
「何だかお前がケーキを作ったみてぇだな」
「みんなが美味しいって思ってくれて、譲くんがみんなに絶賛されると嬉しいんだ。幼なじみ自慢?」
 嬉しそうに笑う望美を見ていると、こちらまでが楽しくなる。また、望美の良いところが発見出来たのが、将臣には何よりも嬉しかった。
 望美はいつも他人の成功には心から喜び、妬むこともない。
 だからこそ龍神の神子に選ばれたのかもかしれない。
 心根が自慢の幼なじみだ。
 なのにどうして忘れてしまったのか。茶吉尼天に侵食をされたからといっても、それが悔やまれてならなかった。
 傷つけたことが苦しくて、将臣は窒息してしまいそうになる。
「だけど、先輩が元気で良かったです」
 しみじみと安堵を滲ませて呟く譲に、望美はにっこりと微笑む。
「もうすぐ退院出来るって先生にも言われたんだ。勉強も遅れていないし、これも将臣くんのお陰だね!」
 望美が屈託なく笑うものだから、将臣はドキリとする。
 キラキラと輝く美しさは、ドキドキを通り越す。
「…お前が頑張っているからだよ」
「そんなことはないよ。将臣くんには感謝しているんだ、本当に…。先生も、将臣くんには感謝しなさいって、言っているしね」
 望美は柔らかく微笑むと、信頼が溢れた眼差しで将臣を見つめた。
 そんな瞳で見られる資格など本当はないのに。
「感謝しなくていいさ。その気持ちは、怪我が治るほうに傾けたら良いさ」
「有り難う。けれど、感謝したいって思うぐらいに、感謝しているんだよ」
「ああ。有り難うな」
 将臣は頷くと、以前と同じように望美の頭にそっと掌を乗せる。
 すると望美ははにかんだように将臣を見つめてきた。
 こんなに愛らしい瞳を向けられる資格など自分にはないというのに。
 幼なじみの純粋な瞳が、今は痛かった。

 楽しい時間は直ぐに過ぎ、将臣は譲とふたりでゆっくりと家路を辿る。
「やっぱり悔しいな」
 ぼつりと譲が呟いた。
「何がだ?」
 譲はどこか泣きたくなるような瞳を浮かべている。それは今にも泣き出してしまいそうな空のようだ。
「…先輩は…、兄さんのことを忘れてしまったのに、恋心だけはちゃんと覚えているなんてな…」
「…あいつはお前のことを大切に自慢に思っているさ」
 羨ましく思ったことを、将臣は口にする。
「…それは幼なじみとしてです。けれど兄さんに対しては…ちゃんと異性として、先輩は見ている…」
 譲は悔しさを言葉にぶつけるようにして言い、泣きそうな瞳で将臣を捕らえた。
「悔しいけれど…先輩の女としての感情には兄さんしか入り込めない…。兄さんも…、先輩を忘れてしまった時、先輩への恋愛感情はあったんじゃないのか?」
 将臣の心に譲の言葉は重くのしかかる。
 それは否定出来ない事実だった。
 消しても消すことが出来なかった恋心。
 それ故に苛立ちを覚えていたのかもしれない。
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「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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