もう一度恋をしたい

12


 頭が強烈に痛い。
 激痛が走り、望美は息が出来なくなるのではないかと本気で思わずにはいられなかった。
「…あ、あの…」
 何処かで出会ったことはある。だがそれが何処なのか、望美には一向に思い出せない。
 思い出そうとすればするほど、頭が痛くなる。
 ふと悪意が和らぐような気がして目を開けると、そこには将臣の逞しい背中があった。
 護ってくれる背中。
 愛おしくて涙が出そうになる。
 縋り付けば、きっと護ってくれるだろう男らしい背中。望美はそこに心を預けた。
「…わざとじゃねぇ! こいつは俺を庇って事故ったんだよ!」
 将臣は女の子を諌めるように言うと、その視線で睨み付ける。
 望美は恐いのに、どこか嬉しい気分を感じながら、ふたりの様子を見るしかなかった。
「…お前とはちゃんと決着をつけた。それに、これは俺とお前の問題だ。望美を巻き込むな」
 きっぱりと将臣は言うと、女の子は唇を噛む。
 彼女もまた将臣が好きだから、このような行動をせずにはいられないのだ。
 恋情が望美の胸に突き刺さり、このまま女の子を抱きしめたくなった。
 本当は、恋をしているのに、良い悪いなんてあるはずもないのだから。
「…解ったよ、将臣。あなたのその顔を見たら解った。義務ではなくて、本当に好きだからそうしているんだよね」
「そうだ」
 震える女の子の声にも動揺することなどなく、将臣はキッパリと答えた。
 少し冷たくもあるが潔い。
 それが将臣らしい優しさなのだと、望美は理解する。
 変に優しくしても、相手の傷を更に広げることになることを、将臣は充分解っているのだ。
 中途半端な優しさは、時としてひどく傷つけることもあるのだから。
「…そうだよね。はっきり言ってくれて有り難う。逆にスッキリしたよ。中途半端に優しくされてもしょうがないもん」
 将臣の背中で、彼女の潔さを聞きながら、望美はいつしか泣きそうになっていた。
「…ごめん。じゃあそれだけ聞ければいいよ」
 ふと彼女が望美に視線を向けて来た。
「…将臣と私はとうの昔に別れていたから。それだけは言っておくよ。だけど、事故の前とか後であなたにしたことは、謝らないから」
 泣きそうな声で強く言い捨てると、女の子は行ってしまった。
 寂しい背中を見送った後で、将臣は望美に振り返った。
「…すまねえな…。嫌な想いをさせちまって」
「大丈夫だよ。それに本当に嫌な想いをしたのは、将臣くんだし」
「気をつかうな、バカ」
 今にも雨が降り出しそうな空のように、望美の瞳は揺れ動く。
「ごめんな」
「謝らないで、将臣くんは謝るようなことをしてはいないよ」
「望美…」
 将臣の切ない表情を見ていると、このまま胸が潰れてしまうのかと思ってしまう。
「…あ、やだ…」
 頭が痛い。
 割れるように痛くて、このまま痛みの余りに死んでしまいそうになる。
 視界がぐらぐらと揺れて、このまま崩れてしまいそうだ。
「…望美!?」
 将臣の声が遠くに聞こえる。このまま闇に沈んでしまいたくなる。
「望美っ!」
 将臣が悲痛な声で名前を呼び、逞しい腕で掴んでくれる。
 だがそれでも全く効果がない。
 支えてもらっても、ちゃんと立つことなんて出来なかった。
 闇に支配されていく。
 望美は自分の躰が重くなるのを感じながら、そのまま闇に沈み込んだ。

「望美? おい、しっかりしろ!? 望美!」
 いくら将臣が呼んでも、望美は気付かない。
 いくら呼んでも、望美は深く目を閉じたままだ。
 将臣は腕に恋情を込めて抱きしめると、そのまま力を込めた。
「安心しろ。ちゃんと家まで連れていってやるから」
 将臣は望美を背負うと、自転車を片手で引いて、極楽寺坂を上がり始める。
 意識を失った人間は、普通重いはずなのに、望美はとても軽かった。
 こうして背負っていると、恋情が心にほとばしってくる。
 何時も望美はかけがえのない女だった。
 夢中になれるただひとつの対象だった。
 だが将臣は、望美が夢中になれる唯一のものであることを、ずっと気付かなかったのだ。
 いつも傍にいたから、近過ぎて気付かなかったのだ。
 夢中になれるものなど、生まれてからずっと手にしていたのに、それに気付かずに、様々なものを探した。
 スキンダイビングであり、平家を護ることだったかもしれない。
 だが本当は目の前にいる幼なじみだったのだ。今までそれに気付かないなんて、馬鹿なことをしていたと、今更ながらに思わずにはいられない。
「…望美、もう少しだ、頑張ってくれ」
 望美のためならば、極楽寺坂を登ることは何とも思わない。
 将臣は先に見えてきた、望美の家を目指して、更に歩いた。
 望美の家の前に来ると、インターフォンを押す。
「すみません、将臣です」
「はい、直ぐに出ますね」
 望美の母親は玄関のドアを開けるなり、驚いたように大きく息を呑んだ。
「望美!?」
「…駅前で倒れたんです。部屋まで運びます」
「あ、有り難う。お願いするわね」
 将臣は望美を背負ったままで、急な階段をゆっくりと昇っていった。
 部屋に入ると、直ぐに望美をベッドに寝かせる。
 深く目を閉じた望美は、夢の淵にさまよっているように見えた。
 将臣は、望美の手を強く握り締めると、その瞳を覗き込む。
「望美、目を覚ませよ…。頼むから…!」
 将臣の悲痛な恋情は声をかすれさせる。
 まるでその声が望美に届いたかのように、瞼が僅かに痙攣をした。
「望美!?」
「…ん、んん…」
 まるで返事をしているようなうめき声が、唇から微かに漏れる。望美は唇を僅かに動かすと、ゆっくりと瞼を開いた。
「望美!?」
「ま、将臣くん…」
 大きく開かれた瞳は、まるで澄んだ山奥の湖のように純粋な光を宿している。揺れ動く瞳は涙が滲んで、夢心地にふわふわとしているようだ。
「目が覚めたか?」
「…うん…。将臣くん…、大丈夫…?」
 望美はまだぼんやりとしているようで、雲の上を歩いているような声を上げた。
「何が大丈夫なんだ?」
「…うん。将臣くんの躰が…」
「見れば解るだろ? 俺はいつも通りだ」
 優しい声で囁きかけると、望美は僅かに微笑みを零した。
「…良かったよ…。将臣くんに車が突っ込んできたから…ダメかと思った…」
 ふふと笑みをこぼす望美を見つめながら、将臣は胸が切迫して、苦しい余りに一瞬、声が出なくなる。
 ようやく思い出してくれた。
 ただそれだけで嬉しい。
 望美は微笑んだままで、躰を起こす。
 その姿を見るだけで、将臣は感極まり、強く抱きしめていた。
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「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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