もう一度恋をしたい


 まるで当て付けをしているかのように、将臣は彼女の腕をしっかり絡めて、望美の前を歩く。
 誰を選んでも、誰が隣にいても、将臣が生きてさえいれば望美は良かった。
 そう思おうとしていた。
 なのに目の前で見せ付けられると、心が痛み過ぎて、もう他の感覚が無くなってしまうのではないかと思ってしまう。
 俯いて歩くくせがついてしまうような気がしていた。

「望美、あなたと有川くん、最近おかしいよね」
 友人の指摘に、望美はドキリとした。やはり世界が歪んだような違和感は、皆に伝わってしまうものだ。特にこんなにも狭い世界なら当然だ。
「いつも通りだよ、何も変わりないから」
「そうかなあ。有川くんは、なんか望美をしかとしているみたいなのよね」
「…そうかな」
 痛い所を指摘されてしまい、望美は泣きそうになっていた。呼吸が厳しくなる。
 海の中で溺れてしまうような感覚に、望美は頭がくらくらした。
「まあ、良くあることなんじゃないかな。将臣くんに彼女が出来たら、やっぱり距離を置かないと悪いじゃない?」
「そうだけど。気にするかな。やっぱり。望美と有川くんってどこか夫婦みたいなところがあったから、嫉妬するかもしれないか」
 納得したようなしないような歯切れの悪さが見え隠れしているが、友人はその話題をとりあえずは引っ込めてくれた。
 望美はホッとしたものの、心に宿った影は、更に深いものになっていく。
 ただ将臣の背中を見つめる。
 望美以外の人間には、いつも通りのおおらかに接している。
 何も変わらないように見えるのに、確実に変わってしまっている。
 不意に将臣が振り返り、切れるような冷たい瞳を睨んできた。
 凶器のような瞳は、望美を確実に萎縮させていく。
 ここはざわついた学校。
 自分を総てさらけ出す場所ではない。
 望美は泣くことも、顔色も変えることもできずに、ただ、空を見つめた。

 何時もの時間に帰宅すると、極楽寺駅の前で将臣が女の子と一緒にいるのが見えた。
 ふたりは見つめ合い、他愛のない話をしてはくすくすと笑っている。
 まるで望美の存在などないかのように、ふたりは話に夢中になっていた。
 気付かれないほうが良い。
 気付かれてしまい、また責めるような冷たい視線を向けられるよりは余程良い。
 望美は何もなかったかのように、気付かないように、ふたりの横を通り過ぎた。
 だが、将臣は望美の存在にいち早く気付くと、射るような氷の視線を投げてくる。
 整っているせいかかなり冷たく感じる。温かい将臣の視線を識っているせいか、心はひどく痛んだ。
 まるで望美の気持ちを識っているかのように、将臣は彼女を抱きしめ、見せ付けるかのように唇を重ねた。
 こんなことを平気で出来るぐらいに、将臣には何とも思われていないし、嫌われているのだと思う。
 家までの坂を上る間、望美は声を押し殺して泣いていた。
 もう余裕がないぐらいに心はボロボロで、立ち直ることが出来ないかと思うぐらいに痛手を受けているというのに、将臣を好きだという気持ちは変わらない。
 どうしてこんなに好きなんだろうか。
 刷り込みであり、運命の相手であるとずっと思っていた。
 それを総て否定されたようで、望美は人生が音を立てて崩れるような気がした。

 翌朝も、将臣を迎えに行ったが、既に制服を着た状態だった。
「迎えに来なくて良いと言っただろ?」
 刺のある視線を向けられて、望美はまともに見つめることが出来ない。
 ただ俯いたままで、望美は唇を噛んだ。
「…つい、くせだよ」
「そんなくせ、治してしまえば良いだろ? 俺は行くから、お前も適当に行けよ」
 将臣はいらだたしそうに早口でまくし立てると、望美の横を通り過ぎる。
 当たり前のようにひとりで学校へと行く姿を目にしながら、鼻と目の繋がったところがツンときた。
「兄さん!」
 いつの間にか玄関先に来ていた譲が、将臣の背中に叱責をする。
「すみません、先輩…」
 総ての事情を識る譲は、眉をへの字に曲げて、本当に申し訳がなさそうにしている。
 切ない瞳で痛々しそうに見つめられると、望美は息が詰まった。
「…いいんだよ。将臣くんには、私の記憶だけがないんだから仕方がないよ。私が宿敵だったってことしか、頭にないだろうから…」
 望美はひとりごちるように呟くと、譲に笑ってみせる。だが、そうすればするほど、譲は余計に切なそうな顔をした。
「…先輩…、あんな兄さんのこと忘れてしまったら…」
 確かに譲の言う通りかもしれない。
 一縷の光すらもない状態に縋り付いているよりは、明るい先を見たほうが懸命なのかもしれない。
 だが、望美にはそれが出来ない。
 ただひとり、自分の魂が欲した相手だから。中々諦めることなんて出来やしない。
 瞳に滲んだ涙が薄い膜になって、望美の心のフィルターを曇らせる。
 譲は望美の瞳を避けるように俯くと、小さく呟く。
「…すみません」
「いいんだ、本当のことだからね」
 望美はうっすらと微笑むと、太陽の下に一歩踏み出た。
「ねぇ、一緒に学校へ行こうか」
「はい」
 ふたりはただ穏やかな雰囲気で駅まで歩いていく。
 何の杞憂もなく穏やかな時間。
 譲とずっと一緒にいれば穏やかな時間を共有し、優しい幸福を手に入れることが出来るだろう。
 なのに、どうしてこんなにも将臣だけを好きなんだろうか。
 どうして他のひとに恋が出来るような器用な心に、生れついて来なかったんだろうか。
 望美は遠くに見える将臣の背中を見つめながら、本当に遠い存在になってしまったと思った。
 大騒ぎをして、ふたりで笑いあった日々はもう二度と戻ることのない過去なのだ。
 吹き付ける潮風が、望美に囁いているような気がした。

 道を歩いていると、将臣の彼女とすれ違った。
 将臣の彼女は同じ高校ではなく、近くの女子高に通っている。
 友人たちと楽しげに話しながら歩いていた。
 ちらりと鋭い一瞥を投げられる。
「カレシの幼なじみが、凄くしつこいんだって。ったく困るのよね。自分がモテないからって、ああやって付き纏うの。ずっと一緒だからさ、自分の ものだとでも思っているんじゃないの?」
 明らかな当てこすりに、望美は冷静でいられなくなる。
 頬を叩いてやりたい、将臣も彼女も。
 拳を握り締めても、それを実行することなんて出来やしなかった。
 とぼとぼと家までの道程を歩いていると、滲んだ視界に譲が映り込んできた。
 その姿を見るだけで、我慢し過ぎていた涙が、瞳から零れおちる。
「先輩…!」
 まるで涙を隠してくれるかのように、譲の胸に抱き寄せられる。
 望美は素直にその胸を借りて、我慢していた想いを、譲の心にぶつける。
 その姿を、将臣が冷たい表情で見つめていた。
 唇を噛み締め、誰も寄せ付けないような姿で。
 マイナスなオーラを強く感じ望美が顔を上げると、将臣の瞳とぶつかった。
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「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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