もう一度恋をしたい

3


「…だから来なくて良いって言っているんだよ。譲と仲良しこよしで学校に行けばいいじゃねぇか」
 玄関先で将臣に逢うなり、うんざりとした口調で、言葉を投げ付けられた。
「生憎、譲は朝練だ。残念だったな」
 冷たくどこか意地の悪さが滲んだ声に、望美は耳の感覚が麻痺してきた。
 将臣は望美をおいてけぼりをするように、ひとりで極楽寺に向かって歩き出す。
 将臣の背中を見つめながら。その眩しさに望美は目を眇める。
 もう届かない…。
 あんなに強く抱きしめてくれ、護ってくれた日々は。
「望美、あなたが望んだことでしょう?」
 望美は自分自身に言い聞かせるように呟くと、将臣から遅れて歩き出した。
 少しインターバルを開けたお陰で、電車で将臣と鉢合わせをすることはなく、ホッとする。
 最近、ずっと眠れないせいか、これ以上消耗したくないとも思う。
 こんなに苦しくて辛いくせに、どうしてこんなにも将臣が好きなのだろうかと何度も思う。
 好きを止めてしまえば、きっと楽なのだろう。
 だが、止めることが出来なかった。
 いくらふっ切ろうと思っても、将臣を好きであることは止められない。
 ”敵同士”だったということ以外は、将臣の中に記憶は遺っていない。
 なのに、それを越えて、恋をしてしまうのは無謀なのだろうか。
 望美はぼんやりと考えながら、登校した。
 教室に入ると、友達が声をかけてくる。
「望美、あんた顔色が凄く悪いよ? 目の下にはクッキリ隈だし」
「あんまり寝てないからかなあ」
 のんびりと明るく言うと、一瞬、将臣に睨まれたような気がした。躰を小さくして、望美は将臣の視線を交わす。
「望美、体育は止めておいたほうがいいんじゃないの?」
「大丈夫だよ、だって元気だもん」
「って言ってもねえ…」
 望美の顔を心配そうに見つめる友人にごまかすように笑うと、きっぱりと言い切る。
「大丈夫だよ」
「だったら良いんだけれどね」
 望美は友人を上手くごまかすことが出来るとホッとしたが、席に座るなり将臣の鋭い視線とぶつかった。
 痛くてたまらないきつい視線に、望美は俯くしかなかった。

 体育の時間、躰がだるくてくらくらしたが、望美はジャージに着替えた。
「今日はマラソンだって! 男子と合同なんだってー。嫌だよねー」
「本当に」
 男子と合同ということは、将臣と一緒だということだ。それはそれで余り嬉しい状況ではなかった。
「グランドをウォーミングアップで走るぞ!」
 体育教師の声に望美はうんざりとしながら走り出す。
 マラソンは余り好きじゃない。
 特に今の状況では、好きになることが出来ない。
 心臓はいつもより早くへばってしまい、望美の呼吸が乱れる。
「望美、マジで止めなよ。本当に苦しそうだよ」
「大丈夫、大丈夫」
 笑顔で答えてもきっと説得力なんてありはしないだろう。
 顔色は悪いし、脚は震えている。
 だが本当に苦しいのは心だ。
 それが躰に出てしまっているのだ。
 ふと顔を上げると、目の前に将臣の背中を見せた。
 広く逞しい背中に、これまで何度も置いていかれても、好きでたまらなかった。
 今は、敵同士で戦った時よりも、更に背中が遠いような気がした。
 不意に脚がぐらつき、視界が揺れ動く。ふわりと躰が浮き上がったようになり、呼吸が厳しくなった。
「…望美!?」
 友人の声が遠い。
 くらくらしてどう走って良いのか解らなくなった瞬間、ふらりと躰が浮き上がった。
「望美! 先生! 春日さんが…!」
 友達が慌てて識らせてくれる。
 優しい心遣いに感謝をしながら、望美はふわふわと漂う。
「俺が運びます」
 誰かが蜂蜜のような低い声で申し出てくれている。瞼も唇も重くて、何も見えないし、話すことも出来なかった。
 有難う、私、重いでしょ? と、ぼんやりと心の中で囁く。
 誰かの力強い腕が背中を捕らえているのを感じながら、望美は意識を沈み込ませた。

 目が覚めた時に、白を感じた。
 見慣れない白。
 差し込む陽射しが白いリノリウムに反射をして、何故だか眩しい。
 消毒薬と喧騒で、ここが保健室であることを識った。
「春日さん、大丈夫かしら?」
 保険医がカーテンを開けて、望美の様子を見に来た。
「せんせ…」
「余り無理をしちゃダメよ。寝不足と栄養不良で貧血を起こして倒れたのよ」
 保険医は望美を咎めるようにピシリ言うと、顔色を覗きこんできた。
「今日はもう帰りなさい。家でゆっくりするのよ。友達が、鞄と制服は持って来てくれたから」
「有難うございます」
 望美は小さく深呼吸をすると、俯く。
 また、心が沈んでいってしまう。
「春日さん、少しお休みしてもいいかもしれないわね。それぐらいにあなたの状態は酷いわよ」
「丈夫だけが取り柄なので、それはないですよ」
 ニッコリと笑ってみせると、保健医は余計に困ったような顔をした。
「まあ、少し休むといいわ。体育の授業も躰と相談しなさい」
「はい」
「それと、噂はホントだったのね?」
 保健医が何を言っているのか、望美はいまいち理解をすることができずに、小首を傾げた。
「…噂って?」
「春日さんとお兄さん有川くんが付き合っているって話。お兄さん有川くんがあなたをここまで運んでくれた時、みんなざわついていて、ときめいていたみたい」
 くすくすと幸福そうに笑う保健医を見ながら、望美は嬉しさと切なさの両方が絡み合ってくるのを感じた。
「有川くんに迷惑ですよ、それ。ちゃんと別に彼女がいるから」
 望美はやんわりと言ったが、上手く笑えない。
「そうなの?」
「はい」
 望美は答えた後、躰が酷く重くなっているのを感じた。
 あんなに望美を嫌っているはずの将臣が、こうして手を差し延べてくれるとは思わなかった。
 だからこそ解らない。
 あんなにも冷たい態度を取る癖に、こうして縋りたくなるような優しさも見せてくる。
 どちらが本当の将臣なのか、訳が解らなくなってしまう。
「春日さん?」
「…先生、着替えて帰ります」
「それはいいけれど、ひとりで大丈夫?」
「はい…」
 保健医は軽く頷くと、望美の早退手続きを取ってくれた。

 ひとりとぼとぼ日坂を下りる。
 以前ならば、ここは幼なじみとの絶好なふざけ場所だった。
 なのに今はひとりで帰る寂しさを確かめる場所になっていた。
 帰ると行っても、家には帰りたくなくて、望美は家から近い場所にある稲村が崎に降り立った。
 ここならクラスメイトに見られることなどないだろう。
 コンビニでミネラルウォーターとチョコレートを買い求めた後、望美は海岸に座り込んで、ただぼんやりと海を見つめた。
 潮風のせいなのか、それともおびょおびょと出る涙のせいなのか解らないが、唇がやけにしょっぱい。
 どれだけぼんやりしていただろうか。
 ひと影がぽつぽつと見え始める。
 そのひと組の人影に望美ははっとした。
 あちらも気付いたようで視線が絡み合う。
 将臣と彼女がいた。
コメント

「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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