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「…だから来なくて良いって言っているんだよ。譲と仲良しこよしで学校に行けばいいじゃねぇか」 玄関先で将臣に逢うなり、うんざりとした口調で、言葉を投げ付けられた。 「生憎、譲は朝練だ。残念だったな」 冷たくどこか意地の悪さが滲んだ声に、望美は耳の感覚が麻痺してきた。 将臣は望美をおいてけぼりをするように、ひとりで極楽寺に向かって歩き出す。 将臣の背中を見つめながら。その眩しさに望美は目を眇める。 もう届かない…。 あんなに強く抱きしめてくれ、護ってくれた日々は。 「望美、あなたが望んだことでしょう?」 望美は自分自身に言い聞かせるように呟くと、将臣から遅れて歩き出した。 少しインターバルを開けたお陰で、電車で将臣と鉢合わせをすることはなく、ホッとする。 最近、ずっと眠れないせいか、これ以上消耗したくないとも思う。 こんなに苦しくて辛いくせに、どうしてこんなにも将臣が好きなのだろうかと何度も思う。 好きを止めてしまえば、きっと楽なのだろう。 だが、止めることが出来なかった。 いくらふっ切ろうと思っても、将臣を好きであることは止められない。 ”敵同士”だったということ以外は、将臣の中に記憶は遺っていない。 なのに、それを越えて、恋をしてしまうのは無謀なのだろうか。 望美はぼんやりと考えながら、登校した。 教室に入ると、友達が声をかけてくる。 「望美、あんた顔色が凄く悪いよ? 目の下にはクッキリ隈だし」 「あんまり寝てないからかなあ」 のんびりと明るく言うと、一瞬、将臣に睨まれたような気がした。躰を小さくして、望美は将臣の視線を交わす。 「望美、体育は止めておいたほうがいいんじゃないの?」 「大丈夫だよ、だって元気だもん」 「って言ってもねえ…」 望美の顔を心配そうに見つめる友人にごまかすように笑うと、きっぱりと言い切る。 「大丈夫だよ」 「だったら良いんだけれどね」 望美は友人を上手くごまかすことが出来るとホッとしたが、席に座るなり将臣の鋭い視線とぶつかった。 痛くてたまらないきつい視線に、望美は俯くしかなかった。 体育の時間、躰がだるくてくらくらしたが、望美はジャージに着替えた。 「今日はマラソンだって! 男子と合同なんだってー。嫌だよねー」 「本当に」 男子と合同ということは、将臣と一緒だということだ。それはそれで余り嬉しい状況ではなかった。 「グランドをウォーミングアップで走るぞ!」 体育教師の声に望美はうんざりとしながら走り出す。 マラソンは余り好きじゃない。 特に今の状況では、好きになることが出来ない。 心臓はいつもより早くへばってしまい、望美の呼吸が乱れる。 「望美、マジで止めなよ。本当に苦しそうだよ」 「大丈夫、大丈夫」 笑顔で答えてもきっと説得力なんてありはしないだろう。 顔色は悪いし、脚は震えている。 だが本当に苦しいのは心だ。 それが躰に出てしまっているのだ。 ふと顔を上げると、目の前に将臣の背中を見せた。 広く逞しい背中に、これまで何度も置いていかれても、好きでたまらなかった。 今は、敵同士で戦った時よりも、更に背中が遠いような気がした。 不意に脚がぐらつき、視界が揺れ動く。ふわりと躰が浮き上がったようになり、呼吸が厳しくなった。 「…望美!?」 友人の声が遠い。 くらくらしてどう走って良いのか解らなくなった瞬間、ふらりと躰が浮き上がった。 「望美! 先生! 春日さんが…!」 友達が慌てて識らせてくれる。 優しい心遣いに感謝をしながら、望美はふわふわと漂う。 「俺が運びます」 誰かが蜂蜜のような低い声で申し出てくれている。瞼も唇も重くて、何も見えないし、話すことも出来なかった。 有難う、私、重いでしょ? と、ぼんやりと心の中で囁く。 誰かの力強い腕が背中を捕らえているのを感じながら、望美は意識を沈み込ませた。 目が覚めた時に、白を感じた。 見慣れない白。 差し込む陽射しが白いリノリウムに反射をして、何故だか眩しい。 消毒薬と喧騒で、ここが保健室であることを識った。 「春日さん、大丈夫かしら?」 保険医がカーテンを開けて、望美の様子を見に来た。 「せんせ…」 「余り無理をしちゃダメよ。寝不足と栄養不良で貧血を起こして倒れたのよ」 保険医は望美を咎めるようにピシリ言うと、顔色を覗きこんできた。 「今日はもう帰りなさい。家でゆっくりするのよ。友達が、鞄と制服は持って来てくれたから」 「有難うございます」 望美は小さく深呼吸をすると、俯く。 また、心が沈んでいってしまう。 「春日さん、少しお休みしてもいいかもしれないわね。それぐらいにあなたの状態は酷いわよ」 「丈夫だけが取り柄なので、それはないですよ」 ニッコリと笑ってみせると、保健医は余計に困ったような顔をした。 「まあ、少し休むといいわ。体育の授業も躰と相談しなさい」 「はい」 「それと、噂はホントだったのね?」 保健医が何を言っているのか、望美はいまいち理解をすることができずに、小首を傾げた。 「…噂って?」 「春日さんとお兄さん有川くんが付き合っているって話。お兄さん有川くんがあなたをここまで運んでくれた時、みんなざわついていて、ときめいていたみたい」 くすくすと幸福そうに笑う保健医を見ながら、望美は嬉しさと切なさの両方が絡み合ってくるのを感じた。 「有川くんに迷惑ですよ、それ。ちゃんと別に彼女がいるから」 望美はやんわりと言ったが、上手く笑えない。 「そうなの?」 「はい」 望美は答えた後、躰が酷く重くなっているのを感じた。 あんなに望美を嫌っているはずの将臣が、こうして手を差し延べてくれるとは思わなかった。 だからこそ解らない。 あんなにも冷たい態度を取る癖に、こうして縋りたくなるような優しさも見せてくる。 どちらが本当の将臣なのか、訳が解らなくなってしまう。 「春日さん?」 「…先生、着替えて帰ります」 「それはいいけれど、ひとりで大丈夫?」 「はい…」 保健医は軽く頷くと、望美の早退手続きを取ってくれた。 ひとりとぼとぼ日坂を下りる。 以前ならば、ここは幼なじみとの絶好なふざけ場所だった。 なのに今はひとりで帰る寂しさを確かめる場所になっていた。 帰ると行っても、家には帰りたくなくて、望美は家から近い場所にある稲村が崎に降り立った。 ここならクラスメイトに見られることなどないだろう。 コンビニでミネラルウォーターとチョコレートを買い求めた後、望美は海岸に座り込んで、ただぼんやりと海を見つめた。 潮風のせいなのか、それともおびょおびょと出る涙のせいなのか解らないが、唇がやけにしょっぱい。 どれだけぼんやりしていただろうか。 ひと影がぽつぽつと見え始める。 そのひと組の人影に望美ははっとした。 あちらも気付いたようで視線が絡み合う。 将臣と彼女がいた。 |
| コメント 「迷宮」ED後です。 茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は? をテーマにした物語です。 |