もう一度恋をしたい

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 ふたりは恋人同士なのだから、どこをデートしようが勝手だ。
 だがどうしてこのタイミングに現れるのかと、望美は思わずにはいられなかった。
 じっとこちらを見た後、将臣がゆっくりと近づいてくる。
 望美を視線で殺してしまえるような冷たい刃のような瞳を、向けて来た。
 動けない。あの瞳に睨まれてしまえば、蛇に睨まれた蛙状態になる。
「…早退したくせに、こんなところでサボりかよ」
 将臣の声は感情がなく、ただ望美を非難するように食い込んでくる。
「休憩してただけ」
「仮病かよ?」
「そんなんじゃないよ」
 望美は一度も将臣の目を見ることなく、ただ指に砂を掬っては零している。
 まるで自分と将臣のようだ。
「…まあ、関係ねぇけれどな。お前、イチイチ、うざいんだよ」
 頭の上から浴びせ掛けられる言葉に本当の刃がついていたら、きっと望美は即死だ。
「行こうよ、こんなひとはほっておいたらいいじゃん」
「そうだな」
 将臣が行ってしまった後、望美はのろのろと立ち上がった。
 砂浜を沈みながら歩き、何とか駅にたどり着く。
 江ノ電に乗り込んだ後で、買った二枚のチョコレートのうち、甘いものを噛る。
 ミルクチョコレートで歯が浮くほどに甘いのに、何故かビターチョコレートと同じ苦さが口の中に広がった。
 恋を象徴しているように思えた。

 極楽寺の駅を降り立ち、家まで帰る間、ぼんやりと考える。
 恋はどうしてこんなにもひとを弱くするのだろうか。
 望美は弱くなることしか識らない。
 強くなることなど、ないような気がする。
 だから強くなって、将臣なんかいなくてもやっていけるようにならなければならない。
 何時までも恋のかけらに縋っていても仕方がないのだ。
 それが望美なためであり、将臣のためなのだと思った。
 だからもう離れよう。
 もっと強くなって、もっと前を見よう。
 そうしなければ、望美は踏み留められないような気がした。
 もう一度初めから恋をすれば良いと思っていたが、それはもう永遠の夢になってしまった。
 ならば、将臣が生きて、幸福になれば、もうそれで構わない。
 望美は背筋を伸ばすと、前を向いて歩き出す。溢れた涙は自然に清々しかった。

 夕方、望美は有川家を訪ねた。将臣ではなく、譲を訪ねてだ。
「…先輩! 大丈夫ですか!? 体育で倒れたと聞いたんですが」
「すっかり大丈夫だよ!」
 望美はガッツポーズをして笑ってみせる。
 体力があったので、望美は倒れるぐらいですんだと思っている。もし、体力がなければ、きっと少し眠ったぐらいでは回復なんて出来なかった。
「無理しないでください、先輩! 明らかに以前より痩せているし…」
 譲は辛そうに唇を噛むと、将臣の部屋を見上げる。
「…どうして、兄さんなんだよ…」
「譲くん…」
「先輩を庇って斬られたのが兄さんだなんて…」
 あの時は、お互いに恋心を認め合っていたからこそ、将臣は望美を庇って斬られてくれたのだ。
 一度は毒刃にかかった将臣が、何もなかったように生きてくれているのは、やはり記憶を引き換えにしたからだ。
 それは仕方がないことだと、望美は思っている。
 望美は穏やかに笑うと、空を見上げた。
「…もう一度、恋が出来ると思っていたけれど、やっぱりそんなには上手くいかなかったみたいだね。仕方がないのは解っているんだ…。将臣くんと敵同士だったのは本当のことだし…」
「だけど先輩に対する態度はひど過ぎます!」
 譲が激昂してくれるのは嬉しい。だが、それも時として切ない気分になる。
「…いいんだよ。あ、譲くん、これを将臣くんに渡しておいて。ビターチョコレートなんだ。今日、保健室に連れて行ってくれた御礼だよ。後ね、…明日から、もう迷惑はかけないからと、伝えて」
 望美は泣かないように我慢をしながら、穏やかな口調になるように呟いた。
「…先輩…」
 望美はチョコレートを譲に渡すと、軽く会釈をする。他人行儀だとも思ったが、わざと距離を置くためにもそれがベストだと思った。
「じゃあね、有難う、譲くん!」
 望美は、何事もなかったように言うと、静かに家へと戻る。
 もう一度恋をすることはないと思いながら。

 翌日から、望美は有川兄弟とは接触しないように試みることにした。
 誰もが不審がるが、それも最初のうちだけだと覚悟を決める。
 志望大学も歴史学科が充実した京都の大学に決め、それを目標に勉強を始めた。
 極力、関わらないようにしているのに、将臣は望美を酷く睨み付けたり、冷たいことを言うのを止めやしなかった。
 春のクラス替えは、きっと別れるだろう。それが都合良いと、望美は思い込もうとしていた。


 望美は、平家を滅ぼした源氏の神子なのだ。とてもでないが、赦すことなど出来ない相手だ。
 なのに。憎いはずなのに、透明な微笑みに心を奪われてしまう。
 何時も気になって仕方がない。
 幸福を捜すように笑顔を探している自分がいて、笑っている姿を見るだけで、この場所にいて良かったと思う。
 なのに、顔を見れば冷たい言葉や視線を浴びせずにはいられなくなる。
 傷ついたような望美の顔を見る度に、いつも自己嫌悪に陥っていた。
 しかも、望美に素直に接することが出来る譲がとても羨ましく感じる。それ故に嫉妬してしまう。
「兄さん、いいか?」
「ああ、入れよ」
 将臣の声と同時に、譲が部屋に入ってきた。
「先輩からの伝言。”今日は保健室に連れて行ってくれて有難う。明日からは迷惑はかけないから。ひとりで学校に行くから”だそうだ。それとビターチョコレートも預かってきた」
 譲は将臣にチョコレートを強引に押し付ける。
 将臣はチョコレートを受取りなが、明日から望美が来ない事実が、頭の中にぐるぐると回っていた。
 あんなに酷いことを言ったのだから、望美がそう言うのは当然だ。
 実際に、源氏の神子など傍にいるだけで、うざいと思っていた。
 望んだように望美が離れて行こうとするのに、どうしてこんなに苛々してしまうのだろうか。
 将臣は訳が解らない気分だった。
「じゃあ伝えたからな、兄さん」
「ああ」
 譲が部屋から出た後、将臣自分の掌を見つめる。
 昼間に抱き上げた望美は、想像以上に軽かった。まるで消えてしまうのではないかと思うほどに軽い躰だった。
 まだあの柔らかな感触が残る。
 将臣は唇を噛むと、掌を握り締める。
 望美との間に何があったのか、それが識りたくて、将臣は歯軋りをする思いだった。

 翌日から、望美が有川家を訪ねてくることは、なくなってしまった。
 将臣は張り合いがなくなったような気分になり、余計に苛々がたまってくる。
 廊下を歩いていると、偶然、日本史の教師と望美が話している声が聞こえた。
「春日は本格的に歴史を勉強するために、京都の大学に行きたいのか…」
 将臣は心臓が強張るのを感じた。
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「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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