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将臣が自分のことを気にすることなんかない。 恐い顔をして横にいる将臣を気にしないように、望美はあくまで平静を装った。 教師との話を終えると、将臣が近づいてくる。 「春日、お前、大学は京都に行くのかよ」 「そうだよ」 相変わらず冷たい眼差しが痛くて、望美は将臣から目を逸らした。 「…罪滅ぼしにか?」 「そんなことはないよ。そんなことじゃないんだ。それに、将臣くんには、関係のないことでしょ?」 冷たい言葉ということは解っていた。だが、そう言わずにはいられない。自分の心が壊れてしまうと思ったからだ。 「じゃあ、教室で」 望美が手をひらひらと振ると、将臣は恐い顔をしたまま廊下に立ち尽くしている。 決めたのだ、もう。 きっと将臣も喜んでくれるはずだ。 望美が離れていくことを。 今まで以上に苛々する。 望美がはかない表情に強い意思を滲ませて、将臣から離れて行こうとしている。 そう仕向けたのは自分なのに、将臣は壁に八つ当たりをしてしまいたくなるぐらいに苛々した。 確実に自分とは違う人生を、望美は選択しようとしている。 それが気に入らない。どういうわけか気に入らない。 望美が離れてしまうのが、こんなに息苦しくなるとは思わなかった。 相手は源氏の神子なのに。平家を追い詰めた女なのに。 なのに自分の心が、激しく望美を求めている。 無くなった記憶。 それを誰も説明してはくれない。 望美の記憶だけが、ごっそりと無くなっているのには、何か理由があるのだろうか。 考えても答えは見つからなかった。 将臣が教室に戻ると、望美が男子生徒と楽しげに話している。 「じゃあ土曜日に、図書館で」 デートを約束しているように聞こえ、将臣はいたたまれなくなる。どうしてこんなに苛々するのだろうか。 望美が他の男と話をしていて気になんてすることなどないのに、気にしてしまう。 敵なのに。 あんな酷い生活をしいらせて相手だというのに。 気にすることはないのだと、勝手にすればよいのだと言っても、自分には言えない。 望美のことをとことんまで気にせずにはいられなくなってしまう。 将臣はぐるぐると考えながら、土曜日の図書館だけが印象に残っていた。 土曜日、将臣は好きでもない彼女を連れて図書館に向かった。 最近は好きではないどころか、どうしてこの女を選んでしまったのかが解らなくなる。 好きではない。まるで当て付けのようだった。 将臣は図書館に入り、視線で無意識に望美の姿を捜す。 望美は端の席で、話していた男子生徒を含めた、数人のグループで静かに勉強をしていた。 図書館の窓からは、冬の穏やかでどこか切ない光が差し込んで、望美を照らしている。 最近、痩せてしまい、どこかはかなくなってしまった望美には、よく似合う光だった。 光を纏わらせる姿は、まるで天に愛された女神のように思える。 目が合った。 望美は将臣から視線を逸らすと、ノートに集中してしまう。 そこからは一度も顔を上げることなどなかった。 将臣は席を確保する。無意識に望美がよく見える席を選んでしまっていた。 望美が立ち上がり、本を探しに行くのが見える。 顔色が悪く、ふらふらしているように見えた。最近の望美は、本当に具合が悪そうだ。 将臣は望美を追うために、同じコーナーに向かった。 どうして追い掛けたくなるのかは解らない。 逃げられれば追うというのは男の真理なのだろうか。 望美がいる本棚から少し離れて、将臣は立つ。 ちらりと意識をして見ても、望美は本探しに躍起になっていて、こちらに気付かない。 一番上にある本を取りたいらしく、懸命に背伸びをしている。 よろよろとしていて、危なっかしいことこの上なかった。 ようやく取れそうになった時にバランスを崩し、望美は倒れそうになる。 「あっ!」 将臣は慌てて望美に駆け寄ると、その躰を支えた。 「…あ…」 支えた躰は華奢だが、どこか柔らかくて気持ちが良い。 抱きしめたら、きっと誰よりも気持ちが良いだろうと考えたところで、将臣は我にかえった。 「あ、有難う…」 困惑気味に他人行儀な望美の顔に、将臣は苛立ちを覚える。 まるで幼なじみとしての事実が抜け落ちてしまったようだ。 将臣はふと喉に引っ掛かりを感じた。 抜け落ちる。 将臣はハッと息を呑む。 確かに、他の記憶も総てあるというのに、望美に対しての記憶は曖昧だ。 幼なじみで龍神の神子。 まるで自己紹介シートに書かれたような事実しか、今の将臣は持っていない。 小さな頃の思い出や、一緒に学校に行ったり、修学旅行にも行ったはずなのに、その想い出が総てない。 そこだけが空洞になり透明な光だけがあるような、そんな感覚だ。 将臣が時間を止めているように止まっていると、望美は訝しげに見つめてきた。 「将臣くん?」 「ああ、どの本を取りたいんだよ」 「あ、あの上の本、えっと、効率の良い勉強法…」 「ああ」 将臣は望美の言われた通りの本を取ってやると、それを手渡した。 「有難う」 手渡しても、将臣は望美を支えたまま、離れたくなかった。 離れられなかった。 抜け落ちた気持ちや記憶の空洞に、どうして気がつかなかったんだろうか。 「将臣くん、有難う、もう…、大丈夫だよ」 困惑しきりの望美が離れるように促しても、将臣は離れられなかった。 「…望美、俺の記憶…、お前の部分だけ…、抜け落ちているような気がするんだ…」 明らかに望美の顔色が変わる。 まるで心臓が止まってしまったのではないかと思うような表情を浮かべた後、望美は泣きそうな陰りのある横顔を浮かべた。 何かを識っている顔だ。 だがきっと教えてはくれないだろう。 「…記憶が抜け落ちていてもいなくても、私にとって将臣くんは、将臣くんだよ、それは何も変わらないから」 にっこりと微笑みながら優しく呟いた望美の言葉に、将臣は全身に電流が流れたような衝撃を感じる。 心臓が早鐘のように打つ。 思わず黙り込むと、望美から離れてしまう。 「有難う」 望美はそれだけを言うと、将臣から離れて行ってしまった。 結局、望美が図書館から出るまで、将臣は待ち続けた。 彼女は途中で呆れて帰ってしまい、益々都合は良くなる。 図書館前で、将臣は望美に声をかけた。 「話があるんだ。一緒に帰ろう」 望美は泣き笑いの表情を浮かべると、ただ頷いた。 ふたりで並んで若宮大路を歩く。 「なあ、俺の記憶についてだが…」 そこまで言ったところで、ハッとする。物凄い勢いで、一台のセダンがふたりに突っ込んでくる。 「危ない!」 望美の叫び声と共に、将臣は突き飛ばされる。 一瞬、何が起こったか解らなかった。 ただその後に激しいブレーキの音が響く。 「女の子が轢かれたぞ!」 目の前に横たわるのは望美だ。 頭から血を流し動かない。 これは悪夢だ。 「望美!!」 |
| コメント 「迷宮」ED後です。 茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は? をテーマにした物語です。 |