もう一度恋をしたい

6


「望美!」
 道路に投げ出され、ぐったりとした望美を抱き上げると、そのはかなさに将臣は泣きたくなる。
 抱きしめると、躰はとても温かいのに、名前を呼んでも反応はしない。
「望美…っ!」
 もう一度深く抱きしめると、将臣の頭に激痛が走る。
 息が出来ないほどの痛みに、将臣は一瞬、このまま自分が崩れ落ちてしまうのではないかと思った。
 だが、次の瞬間、怒涛のような映像が、脳裏に流れ込んでくる。
 忘れてしまっていた望美との大切な記憶。
 本当に好きだったこと。
 何気なくもかけがえのない時間を、望美と過ごしていたことを、将臣は心にすんなりと落ちてくるのを感じた。
 こんなにも純粋な気持ちで、望美を好きだったのだ。
 記憶を無くして、望美をどうしてこんなに好きだったことがもどかしく、いらだたしげで、いつも望美に当たっていた。
 だが、ふたりの間には、こんなに沢山の素晴らしい想い出があり、想いも沢山詰まっていた。
 望美との日々は、将臣にとっては何よりもの掛け替えのない宝物のような時間だったのだ。
 キラキラと輝く宝石よりも美しい日々を望美はくれたのだ。
 将臣は悔しくてたまらない。
 唇を望美のそれに重ねると、血の味がした。それは望美の心の傷の味のような気がした。
「救急車を呼んだからね!」
 女性の声が響き、将臣ははっと息を呑んだ。我に還ると、丁寧に礼を言う。
「有難うございます」
「いいんだよ、それよりあなたの服が血だらけだよ?」
「…いいんです、本当に」
 直ぐに救急車がやって来て、望美に付き添って将臣も乗り込んだ。
 意識を全く戻さない望美の手を握り、将臣は祈るような気持ちになる。
 どうか望美に目を覚まして欲しい。
 目を覚ましたら、言うことは決めている。
「好きだ」
 ただそれだけを言って、抱きしめてやりたい。
 また、明るくてキラキラした夏の波のような日常をふたりで過ごしたい。
 将臣は望美の手を握り締めたまま、ずっと祈り続けた。
 望美は近くの大学病院に搬送され、直ぐに集中治療室に運ばれた。
 将臣は、直ぐに望美の両親に連絡を取ると、冷たい廊下のソファに腰を下ろした。
 手を組み、将臣は心の底からの祈りを捧げる。
 望美を助けて欲しい。
 どんな試練でも受けるし、自分が傷つけた傷も総て受け入れるから、元の望美に戻して欲しい。
 望美との輝ける日々を取り戻して欲しい。
 祈っても、言葉などは返っては来ない。
 医師も治療に入ったまま出てこない。看護士はばたばたしている。
 将臣の不安を煽るようなシーンが、目の前に広がっていた。
 程なくして、望美の両親が病院に駆け付けてきた。
「将臣くん! 望美は!?」
「トラックに跳ね飛ばされて…。今、集中治療室にいます…」
 将臣はそれ以上は何も言えなかった。
 全身が苦しくて痛くてたまらない。
 呼吸が出来なくなり、望美がいなくなればきっと死んでしまうだろう。
 望美がいなくなる?
 将臣の背中に冷たい汗が流れ、自分の考えを必死になって否定をした。
「…将臣くん、血だらけよ。大丈夫だから、一度おうちに帰りなさい。着替えたほうが懸命よ」
「いいんです…。傍にいさせてください…」
「将臣くん…」
 ここから一歩たりとも動くことなんて出来ない。
 将臣はひたすら待ち続けた。
 望美は必ず目を覚ます。
 将臣はそれだけを信じて、待ち続けた。

 どれほど時間が経ったかは、感覚時計が壊れてしまっている将臣には解らなかった。
 望美の処置が終わり、ストレッチャーに乗せられて看護士に運ばれてくる。
「命に別状はありませんし、内臓や脳には異常はありません。左足首が骨折と、打撲があります、後は痕が残らない程度の切り傷が頭に、それと軽い擦り傷があちこち。それだけなんですが…、目を覚まされません…」
 医師は溜め息をつくと、目を強く閉じたままの望美を見遣る。
「命には別状がなくて良かったです…!」
 望美の母親はホッとしたように全身から力を抜くと、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「とにかく、暫くは入院が必要でしょうから、安静にさせてあげて下さい」
「有難うございます!」
 望美の両親てともに、将臣もまた深々と頭を下げる。
 全身から力を抜くと、将臣は胸を撫で下ろした。
 だが、望美が目を覚まさないのは確かだ。
 その事実は変わりないのだ。
「将臣くん、望美の着替えを取りに戻るから、一旦、家に帰ったらどう? 車に乗せて行くわよ」
「有難うございます。その後、戻るなら、また、連れてきて貰って良いですか?」
「解ったわ」
 血だらけの服のままでこうしているわけにも行かず、将臣は一旦、家に戻った。
 血まみれの将臣を見て、家族たちは驚き、事情を離すと、更に気分は沈んでいた。
 特に譲の取り乱し方は尋常ではなく、将臣と一緒に病院に行くと言ってきかなかった。
 しかしそのような状態の譲を連れて行く訳には行かず、結局は将臣ひとりで戻ることにする。
 明日の面会時間だけを伝え、将臣は戻る。
 今夜は一晩中着いているつもりだった。
 罪滅ぼしだとかそのようなものではなく、ただ一緒にいたかった。

 病院に戻ると、直ぐに病室に案内をされた。
 病室に入ると、望美は相変わらず目を閉じたままだ。重い瞼に、将臣は苦い想いを噛み締める。
「…おじさん、おばさん、今夜は俺がついていますから、家に帰って充分休んで下さい。これから、色々とバタバタするでしょうから」
 将臣は望美の前に腰を下ろすと、無心に目を閉じる姿を見つめる。
 随分と窶れてしまった。
 頬がこけて、どこか大人びた寂しさが漂っている。
 こうさせてしまったのは、紛れも無く自分自身だ。
 将臣は胸が痛み過ぎて、このまま呼吸を忘れてしまうのではないかと思う。
 これよりも強い痛みを、望美はきっと感じていたのだ。
 そう思うだけで、将臣は悔やんでも悔やみきれないと思う。
 確かに、望美との記憶が抜け落ちていたのは確かだ。
 しかし恋心までは抜け落ちてはいなかった。
 なのにあんな冷たい態度ばかりを取ってしまい、悔やんでも悔やみきれなかった。
 だからこそ望美にどんなことでもしてやりたい。
 どんな償いでもしてやりたい。
「…明日は日曜日だけれど…、疲れるよ」
「良いんですよ、ホントに」
 将臣の強い決意を感じたのか、両親は渋々だが頷いてくれる。
「解ったわ、将臣くん、私たちも明日の朝早くに来ますから、交代で。頼みました」
「はい、有難うございます」
 将臣は深々と頭を下げると、望美の両親を見送った。
 それからは、望美の手を握り締めながら、向かい合って夜を過ごす。 
 心のなかで飽きることなく、将臣は想い出を語り尽くしていた。

 いつの間にか、病室の窓から光が差し込む。
 誰かに手を握り締められた感覚に、将臣は目を開けた。
 夢見るような望美の瞳がゆっくりと開けられる。
 瞳は将臣の姿を捕らえるなり、不審そうに細められた。
「…あなたは…誰?」
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「迷宮」ED後です。
茶吉尼天によって、望美のことだけを忘れた将臣は?
をテーマにした物語です。





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