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好きにはふたつしか種類はないなではないかと思う。 特別な好きとそうでない好き。 望美にとっての将臣は、ずっと特別な好きではないと思っていた。だが、そうでなかったことを今更ながらに気付かされて、なんて迂闊だったのかと思う。 いつも通りに将臣と逢って、笑うことなんて、当分出来そうにない。 こんなにもこころが狭い自分に、涙が出るぐらいに嫌になってしまっていた。 将臣は今日もアルバイトだからだと言って、先に帰ってしまった。 今日も望美ひとりで静かに帰る。 「先輩!」 聞き慣れた安心する声に望美が振り向くと、そこには譲が心配そうに立っているのが見えた。 「譲くん! 今からクラブ?」 「はい、大会が近いから…。先輩…、ちょっと良いですか?」 まるでこころの奥を射るように見つめられて、望美はほんの少し身動ぎをした。 「うん、いいよ」 断ったら逆に勘繰られると思い、望美は静かに頷く。 ここのところ譲とは接点がなかったから、殆ど将臣が吹き込んだのだろうとは思う。 「先輩、最近、元気がないみたいですが…、何かあったんですか?」 言葉を澱ませながらも、譲はストレートに訊いてきた。その表情を見れば、こころから心配してくれていることは分かるのだが、望美は本音を言うことは出来ない。 将臣に今更ながら恋をしていることに気付いたうえに、いきなり失恋をしてしまっただなんて、譲にはどうしても言うことは出来なかった。 望美はわざとかなり明るく微笑むと、譲を真っ直ぐと見つめた。瞬きもせず、逸らすこともなく。 「い、嫌だなあ譲くん。こんなにも元気なんだよっ! 私は全然大丈夫だよっ!」 明るい調子で言うと、望美は譲に背中を叩いてみせた。 「…先輩、本当に大丈夫なんですか?」 「うん、何もないよ」 望美のあっけらかんとした言葉に、譲は深い溜め息を吐き出す。 「…やっぱり俺ではダメですか?」 「えっ…?」 どこか思い詰めているようにも見える譲の顔に、望美は睫毛を伏せた。 「…兄さんでも聞き出せなかったんだから、当然ですよね…」 譲もまた視線を伏せると、辛そうに眼鏡を押さえた。 「…譲くん…」 誤魔化していた感情が、一瞬、表情に出てしまう。 「…もし、言いたいと思うことがあったら…、必ず俺に声を掛けて欲しいんです。先輩、お願いします」 譲は深々と頭を下げる。 どうしてそんなにも献身的にいてくれるんだろうか。 そんな資格なんて自分にはないというのに。 ここで泣いてしまえばどうにかなってしまいそうになるから、望美は何とか堪えた。 「有り難う、だけど…本当に大丈夫なんだ…」 望美が穏やかに微笑みながら呟くと、譲は切なそうに視線を逸らした。 「じゃあ、俺はクラブがありますから」 「うん、頑張ってね」 望美は空回りする自分の声を頭のなかで虚しく聴きながら、譲に手を振って見送った。 譲にはどうしても言うことは出来ない。 将臣が好きだなんて。 将臣が好きなことを今頃気付いたからだなんて。 そんなことは口が裂けても言えなかった。 望美は泣きたくなるのを感じながら、ゆっくりと力を抜いて家路についた。 家にいても泣いてしまうような気がしたから、いつものように紫陽花を見に行くことにした。 今日も雨で、アスファルトが濡れた雰囲気が、とても切なくてロマンティックだ。 鎌倉は、本当は失恋がとても似合う町なのかもしれない。 髪を上げて、簡易的着ることが出来る着物に袖を通して、ほんの少しだけお洒落をして、長谷まで出た。 紫陽花が濡れるのがとてもよく似合う町。それが初夏の鎌倉なのだ。 望美は長谷の寺で、じっくりと紫陽花を見たあとで、雰囲気の良い喫茶店に入る。 レトロな雰囲気のなかでハーブティを飲んでいると、こころが落ち着く気分になる。 窓の向こうの雨に濡れる景色を見つめながら、曇ったこころを癒した。 耳障りの良いクラシックの曲も、望美には好ましい。 ゆっくりとこころを伸びやかにするのには、最高の時間のように思えた。 文庫本をぺらぺらとめくりながら、自分だけの時間を持てるというのは、なんて幸せなことなのだろうかと、望美は思わずにはいられなかった。 この時間を重ねていけば、いつか将臣のことを忘れることが出来るだろうか。 なのに、こきに将臣がいればと、また思ってしまう。 望美は文庫本のページが少ししか進まないのを感じながら、溜め息を吐いた。 喫茶店から出た後、和菓子を土産に買って、家路へとついた。 極楽寺の駅で降りると、偶然、将臣の姿を見つけた。 声を掛けようと思っても、緊張する余りになかなか声がでない。 今までなら、明るく声を掛けられたというのに、全くそれすら出来なくなっていた。 「…望美?」 どうしてそばにいたことをこんなに簡単に解ってしまったのだろうか。 将臣はゆっくりと振返ると、その視界に望美の姿を映した。 「こんにちは、将臣くん」 「ああ。今、帰りか?」 「そうだよ。長谷まで紫陽花を見に行っていたんだ」 顔を合わせるふたりの間に、微妙な空気が流れる。 互いに、いままでにはないぎこちなさを抱いている。 「…誰かと一緒に行ったのか?」 まるで望美の動きを総て牽制するかのように、将臣はこちらを見つめて来た。 「ひとりだよ。気持ちよく、喫茶店にいたりして、ひとりも楽しいものだなあって、凄く思ったよ。将臣くんにも教えてあげるから、今度、行ってみたらどうかな?」 望美が明るく呟くと、将臣を見た。まだ、まともに将臣を見つめることが出来ない。 どこか視線を逸らしていると、将臣がわざと視線を合わせて来た。 そんなにこちらを見つめないで欲しい。 泣きたくなってしまうから。 「将臣くんは、ダイビングの帰り?」 「ああ。躰が鈍ってるから、ならしているんだよ」 「そうなんだ」 何なく当たり障りがなくて、お互いを探り合う言葉だ。望美は重苦しい空気がしんどくて、歩むスピードを早くしようとした。 「…あっ…!」 着物を着ていることをすっかり忘れていた望美は、足元を取られてしまった。 「あっ…!」 将臣の腕が、腰に食い込まなければ、きっと不様にコケてしまっていただろう。 将臣は望美をきちんとした姿勢で立たせてくれると、その手を握ってきた。 「…大丈夫だよ。歩けるから…」 「お前が良くても、その着物がダメだって言っているからな」 将臣はしらりと言うと、望美を導くように手を引いてくれる。 傍から見れば、ふたりは恋人同士にしか見えないだろう。しかも、デート帰りにしか見えないだろう。 「…傘、さしてやるよ。やりにくいだろ?」 「うん、有り難う」 一本の傘をふたりでシェアをする。相合い傘で、普通なら甘い気分になれるはずなのに、今は切ないだけだ。 涙が瞳の奥から滲んだ。 「…今日、そんな格好をしているのは…、嫌、なんでもねぇ…」 将臣は言葉を澱ませた後、視線を遠い場所に投げている。 「…将臣くんも気に入るかもよ。凄く落ち着いた喫茶店。カフェよりもこういう言い方が似合っているところなんだよ。誰かを連れて行ったら、きっと…将臣くんの株も上がるね」 わざと明るく落ち着いたように言ったのに、将臣には睨み付けられる。 「…そんなやつはいねぇよ」 将臣が投げやりに呟いた言葉に、望美は感情をぶつけてやりたかった。 大切な誰かがいるくせに…。 |