*あじさいの恋*

4


 私は紫陽花のように変われない。
 本当にそうだと望美は思う。
 だから何時までもぐずぐずとしていて、他の誰かさんに将臣を取られてしまうのだ。
 こんなに切ないトラジットコメディなんてない。
 望美は紫陽花の花を眺めながら、この色が変わる頃には少しは変わることが出来るのだろうかと考えてしまう。
「…なあ望美、変わらないのが良いってこともあるんだぜ? 少なくとも俺は安心する」
 将臣は慰めてくれているのか、そうでないのかの見極めが難しいように話す。
「…変わらなくて良い部分も、変わらなくっちゃならない部分も、両方あるってことだよ…」
 望美が呟くと、将臣は頷いた。
「…そうだな…、俺も…そうなのかもしれねぇな」
 将臣の声が切なく響き渡り、望美はこころに華やいだ痛みを感じていた。
「…先輩、兄さん、お茶が入りました。縁側でゆっくり和菓子でも食べながら花を見ましょう」
 譲の心遣いに望美は笑顔で頷くと、縁側に腰を掛けた。
 将臣も腰を掛けようとしたが、タイミング悪く携帯電話が鳴り響く。
「…あ、お前か…。ああ、鎌倉まで来てるのか。解った駅まで行く」
 将臣は落ち着いた声で話すと、携帯を切る。
 話している間の横顔も、その声も、総てが望美を泣きそうな気分にさせる。
 どうしてそんなに甘くて切ない声を出せるのだろうか。
 甘くてとても美味しい和菓子の筈なのに、望美は食べることが出来なかった。
 お茶を持ったままぼんやりとしてしまう。
「悪い、俺ちょっと出て来るから。望美、俺の分の和菓子を食べて良いからな」
「うん、有り難う。いってらっしゃい」
 どうしてだろう。
 ちゃんと笑って将臣を送り出すことが出来ない。
 なのに条件反射のようにつくり笑いを浮かべるなんて、全く馬鹿げている。
 将臣が行ってしまった後、望美は更にぼんやりとした。
「…先輩、お茶、飲まないんですか?」
 譲の心配そうな声に、望美は思わず焦ってしまう。
「あ、うんっ! そ、そうだよねっ! 折角淹れて貰ったんだもんっ! 美味しく頂こうかなあ…」
 声からにしてかなりの不審人物にしか見えない。
 望美はへらへらとした気のない笑顔を浮かべながら、お茶を口にした。
「あっ…、あつっ!」
 焦って慌ててしまったせいで、望美は火傷をしてしまった。
「大丈夫ですかっ! 先輩っ!」
「うん、大丈夫だよ。譲くん、どうも有り難う。大丈夫だからさ、本当にマジで」
「だったら良いですが…」
 譲も困ったように眉を寄せる。
 将臣のことを考えると、本当に気分が散漫としてしまう。
「…私、帰るや。あ、お菓子残してごめんね」
「持って帰って下さい。直ぐに包みますから」
「有り難う」
 譲は和菓子が入っていた箱に、将臣が食べる筈だった分と望美の分を綺麗に詰めると、それを渡してくれる。
「どうぞ。お土産ですよ」
「有り難う、譲くん…」
 望美は手渡された和菓子の重みを感じながら、泣きそうな気分になる。
 こころと同じような重さに感じられた。

 部屋に戻っても、将臣が誰に呼び出されたのかばかりを考えてしまう。
 溜め息が何度も出る割には、何の解決策も思い付かなかった。
「…きっとあの綺麗なひとだよね…」
 自分が一番欲しい位置にいる女性。
 何度羨ましいと思ったかは、恐らく数えられないほどだ。
 望美の恋は、ずっと碧い色をした紫陽花のように思えた。

 翌日も気分は晴れなかった。
 望美はこころの機微にも似た紫陽花色の着物を着ると、ひとりで長谷界隈の寺を見て回ることにした。
 六月になると、雨の降らない日でもかなり蒸し暑くて、気分が悪くなるぐらいになる。
 望美は汗を額に滲ませながら、単衣とは言え、着物を着て歩くことを後悔した。
「あの、ひとりですか?」
 甘くて素敵な声の響きに振り返ると、その声にぴったりと馴染んだ養子の若い青年が、望美を見つめて微 笑み掛けてきた。
「…ひ、ひとりですけれど…」
 望美は声をうわずらせながら、素直に答えてしまう。
「だったら…」
 男性がその先を言おうとして、押し黙ってしまった。
「待たせたな、望美」
 急に手を取られて、望美は言葉を失ってしまう。
「嘘を吐くなよ。俺と一緒だろ?」
 将臣はわざと望美を引き寄せると、その存在感があるまなざしで男を睨み付けた。
「というわけなので、お引き取り願おうか」
 将臣がキッパリと言い切ると、男は甘い顔立ちに苦笑いを浮かべた。
「しょうがない…とでも言っておいたほうが良いんですよね……」
 男は苦々しく呟くと、潔くふたりの前から立ち去った。
 男の姿が見えなくなったあとで、将臣は深い溜め息を吐く。
「お前も素直にひとりだって言うなよ、バカ…!」
 将臣は望美を叱責すると、先ほどよりもキツいまなざしで睨んでくる。
 恐ろしさに、望美は思わずおののいてしまった。
「だ、だって」
「だってはねぇの。お前は本当に始末に負えない女だな」
 将臣は溜め息を吐くと、望美の腕を掴む力を更に強くする。
 そのままするりと手を握られて、望美の鼓動は幸せ色に高まっていった。
「こうしてたら、お前は誰にも声を掛けられねぇだろ?」
「…うん」
「それにこけたり、迷子になったりもしねぇよな」
「将臣くん、私は小さな子供じゃないよ」
 笑いながら拗ねると、将臣は明らかに叱るような視線で望美を睨んでくる。
「さっき見ず知らずの男に着いて行こうとしたのはどこのどいつなんだよ?」
 将臣は険悪な声で言い切ると、望美の手を更に強く握る。
「別に着いて行こうとしたわけじゃないよ」
 反論をしたところで、将臣に通じるとは思えないが、言わないよりはましのように思った。
「お前は昔から危っかしいからな。ひとを直ぐに信じるくせがあるから。こうやって俺が手を繋いでやるぐらいがちょうど良いんだよ」
 将臣は望美には有無も言わせないとばかりに言うと、触れるほど近くに肩を寄せてきた。
「将臣くん」
「お茶したかったら、俺が一緒にしてやるから、変な奴には着いて行くな」
「う、うん…」
 まるで小さい子供と同じような扱いだ。
 小さく溜め息を吐くと、将臣はくしゃりと髪を撫でてきた。
 同じ年であるはずなのに、いつも将臣は年上のように振る舞ってくる。
 自分がこんなにも子供じみているからだろうと思うが、対等に見て欲しいと思うこともある。
 将臣はまるで自分の子供の手でも引っ張るかのように、望美の手を引いて甘味処へと連れていく。
「あっさりとしたトコロテンでも食うか。お前は甘いもん食ったら良いし」
「うん…、黒蜜たっぷりのクリームあんみつにでもしようかな」
 望美は将臣にゆったりとした歩幅で歩きながら、よたよたと着いて行った。
 入った甘味処は、ふたりが常々美味しいと思っている長谷の名店だ。
 ここ以上に美味しい黒蜜菓子を出してくれるのはないと、望美は思っている。
 店に入り、直ぐに目当ての甘味を注文したあと、望美はゆったりと一息ついた。
「ここはいつも変わらないから好きだな。色々な甘味を食べても、やっぱりここの甘味に返ってきちゃうんだよね。一生愛情を注いでいけるような感じだし…」
「そうだよな。結局は、いつも戻るんだよな」
 将臣は不意に真摯な表情になると、望美を真っ直ぐと見つめてきた。
 心臓がしっかりと射抜かれる。
「…俺にとってのお前みたいに…」
 将臣の言葉に、望美は時間を止めるように固まっていた。





Back Top Next