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脳しんとうは軽く、望美はほどなく授業に出た。 「大丈夫かよ? ムリすんなよ」 将臣は顔を合わせるなり、厳しい表情で望美を見た。 顔色だけを確認し、直ぐに視線を逸らせる。 気まずい視線には、カノジョの影がある。きっと責められたのだろう。 それを思うだけで、こころがチクチクと針が刺さったように痛んだ。 「有り難う、すっかり大丈夫だから。もういつも通りだよ」 わざと明るく微笑むと、望美はまるで男友達のように背中をドンと叩いた。 「大丈夫だから。平気だよ? 将臣くん、私ももう泣いてばかりいる小さなのんちゃんじゃないんだよ? だから大丈夫っ! ケアしなくて良いからね」 将臣が深刻に考えないように、望美はわざと軽口を叩くように言った。 将臣の表情が揺れる。 険しさと何かを失ったような切なさを浮かべている将臣に、望美は泣きそうになる。 本当はこんな顔をさせたくはなかった。 だが、そうしなければ、将臣は世話を焼いて来る。それでカノジョと険悪になるのは切なかった。 タイミングよくチャイムが鳴る。 何かを言いたげな将臣を尻目に、望美はポンと肩を叩いた。 「さあ授業だよ、席に戻ろう」 「ああ」 将臣のキツいまなざしを無視して、望美は席に戻った。 前にいる将臣の背中がまた遠くなった気がする。 もう何をしても追い付かないような気がして、望美は泣けてきた。 まるで突き放されたような気分になり、将臣は腹の奥がムシャクシャしていた。 それと同時に気付かされる。 望美のケアをすると称して、結局は一番近い場所にいたかっただけなのだと。 いつも一緒にいたかっただけなのだと。 これでは中途半端だ。 望美ともカノジョとも宙ぶらりんで。 自分には望美をどうこうする資格なんて、幼馴染みだとはいえありはしないというのに、どうしても手を出さずにはいられない。 『有川ガード』などと揶揄をされても、望美を他の男に渡すなんてことは出来なかった。 自分勝手だ。 なのに止められない。 将臣は溜め息を吐くと、焦点を合わせずに黒板を見つめる。 誰かを傷つけたくないから、ずっとこうして嘘を吐いたように中途半端でいた。 もうこんな状態は止めなければならない。 答えなんてとうに決まっているのに。 放課後になり、将臣は真っ直ぐとカノジョのクラスに向かった。 決着をつけなければならない。 これ以上、望美に変なきをつかわせたり、嫌な思いをさせるわけにはいかないから。 ショートホームルームが終わるなり、待っていた将臣を見つけたカノジョの笑顔は、とても甘かった。 この笑顔をこれから傷つけることになるかと思うだけで、胸は沈む。 だが自分で撒いた種をしっかりと刈り取らなければ、望美のそばにはいられない。 「将臣!」 「話があるんだ」 真摯な瞳でカノジョを見つめると、意図を汲んだのかすぐに陰った瞳になった。 「解った。校舎裏にでも行きましょう」 溜め息を吐いた横顔は、明らかな失望を滲ませていた。 ふたりで校舎裏に向かう。 こんな湿っぽい話をするのにはおあつらえ向きだ。 「私と別れたいんだよね?」 切り出したのはカノジョからだった。 将臣は率直に認めると、しっかりと頷く。 「ごめんな」 将臣の謝罪に堪えられないのか、カノジョは背中を向ける。僅かに震えた背中は、明らかな動揺と哀しみを表わしていた。 「解ってたよ、最初から将臣が誰を好きなことぐらい。付き合ってくれたら、私に向けさせる自信はあったけれど、時間には勝てなかったね」 カノジョは振り返ると、唇を噛み締めた。 「別れよう。お互いにそのほうが良いよね。最後に思い切りひっぱたいて良い?」 カノジョは泣き笑いの表情を浮かべて手のひらを上げる。 将臣は薄く切ない笑みを浮かべながら頷いた。 ホームルームが終わってから直ぐに、将臣はカノジョのクラスに行ってしまった。 一緒に帰るのが余程待遠しかったのだろう。 そう思うと、また深く沈んでしまう。 当たり前のことなのに。 将臣はカノジョのものなのに。 ちゃんと解っているつもりなのに、こころの奥には学習機能のかけらもないようだ。 「望美、帰らないの?」 友人に声を掛けられて、望美はふわりと力なく笑う。 「もう少ししてから帰るよ。今だとまだ江ノ電混んでいるから」 「そうだね。じゃあ私はカレシが待っているから。またね望美」 「またね」 望美は友人に軽く手を振って見送った後、溜め息を深く吐いた。 今帰ると、確実に将臣とカノジョの姿を見てしまう。 ふたりを見ながら帰るなんて自虐的な行為は出来そうにないから、望美は時間を潰すために、図書室へと向かった。 窓からふたりが校門を出て行くことすらも見たくはなかったから。 図書室に入り、望美は宿題を始める。本を読む気にもなれなくて、数学の宿題に取り掛かったが少しも進まない。 数学は元々苦手なうえ、いつも将臣に手伝って貰っていた。 いざひとりでやろうとしたら、何も出来ない。解らない。 「…授業はちゃんと聴いていたんだけれどな…」 望美は苦笑いをしながら、いかに将臣に甘えていたか、頼っていたかを思い知らされたような気がした。 「…将臣くん…、やっぱり解らないや…」 誰にも聞こえないような小さな声でひとりごちると、涙が出た。 こんなにも『将臣依存症』だとは思ってもみなかった。 ひとりで日坂を下りて駅に向かっていると、見慣れたシルエットを捕らえた。 一瞬、ドキリとしたが、将臣はひとりだった。横には他に誰もいない。 ドキドキしながら足を速めると、だらだらと歩く将臣に直ぐに追い付いた。 「将臣くん」 「お前も今が帰りかよ」 ふと緩んだ将臣の頬がほんのりと紅くなっているのに気付いた。 「どうしたの頬? とても痛そうだよ」 「大丈夫だ。冷やしたら治る」 将臣は大きな手には似合わない繊細な指先で、顎のラインを撫で付けた。 「駅に着いたらハンカチで冷やそうか?」 「いい。そのうち腫れも引くだろうから、あまり気にするな」 将臣が立ち入られたくはなさそうだったので、望美はそれ以上は訊かなかった。 駅に着くと、電車が来るまではまだ時間があったので、望美は自動販売機で冷たいお茶を買う。 「喉渇いていたんだ」 望美はにっこりと笑いながら一口飲んだあとで、将臣の頬に缶を宛てた。 「冷たい?」 まるで子供のような望美の行為にも、将臣は笑ってくれる。 小さな頃から知っているあどけない笑みに、望美も思わず笑った。 「寄こせよ、俺も喉が渇いた」 将臣はお茶の缶を奪いとると、そのまま呷るように飲む。 間接キスだ。 そう思うだけで、心臓が大きく高鳴ってくる。 耳朶まで熱くしながら、望美は将臣を見つめた。 「ほら、返してやるよ」 将臣はいたずら好きな子供のような顔をしながら、望美に缶を押しつける。 お茶の缶は軽くて、一滴もなくなっていた。 「将臣くん! 全部飲まないでよー」 「美味かったぜ、有り難うな」 将臣が艶のある笑みを浮かべるものだから、望美は文句なんて言えなくなってしまった。 「こ、今度、奢ってよ」 「へい、へい。電車が来たぜ、乗ろうぜ」 将臣は望美の手をさり気なく握り締めると、そのまま立ち上がって電車に乗り込む。 これでは恋人同士みたいだ。 嬉しいくせに、ドキドキするくせに、望美はどこか胸がチクチクする。 これがかりそめのものであることを、解っているからかもしれない。 「ダ、ダメだよっ! ふざけたらカノジョが嫌がるよ」 わざと明るい口調で言うと、将臣の表情が陰った。 「別れた」 将臣の事務的な声に、望美は息を飲み込んだ。 |