*恋ときめき嵐*

4


 脳しんとうは軽く、望美はほどなく授業に出た。
「大丈夫かよ? ムリすんなよ」
 将臣は顔を合わせるなり、厳しい表情で望美を見た。
 顔色だけを確認し、直ぐに視線を逸らせる。
 気まずい視線には、カノジョの影がある。きっと責められたのだろう。
 それを思うだけで、こころがチクチクと針が刺さったように痛んだ。
「有り難う、すっかり大丈夫だから。もういつも通りだよ」
 わざと明るく微笑むと、望美はまるで男友達のように背中をドンと叩いた。
「大丈夫だから。平気だよ? 将臣くん、私ももう泣いてばかりいる小さなのんちゃんじゃないんだよ? だから大丈夫っ! ケアしなくて良いからね」
 将臣が深刻に考えないように、望美はわざと軽口を叩くように言った。
 将臣の表情が揺れる。
 険しさと何かを失ったような切なさを浮かべている将臣に、望美は泣きそうになる。
 本当はこんな顔をさせたくはなかった。
 だが、そうしなければ、将臣は世話を焼いて来る。それでカノジョと険悪になるのは切なかった。
 タイミングよくチャイムが鳴る。
 何かを言いたげな将臣を尻目に、望美はポンと肩を叩いた。
「さあ授業だよ、席に戻ろう」
「ああ」
 将臣のキツいまなざしを無視して、望美は席に戻った。
 前にいる将臣の背中がまた遠くなった気がする。
 もう何をしても追い付かないような気がして、望美は泣けてきた。

 まるで突き放されたような気分になり、将臣は腹の奥がムシャクシャしていた。
 それと同時に気付かされる。
 望美のケアをすると称して、結局は一番近い場所にいたかっただけなのだと。
 いつも一緒にいたかっただけなのだと。
 これでは中途半端だ。
 望美ともカノジョとも宙ぶらりんで。
 自分には望美をどうこうする資格なんて、幼馴染みだとはいえありはしないというのに、どうしても手を出さずにはいられない。
『有川ガード』などと揶揄をされても、望美を他の男に渡すなんてことは出来なかった。
 自分勝手だ。
 なのに止められない。
 将臣は溜め息を吐くと、焦点を合わせずに黒板を見つめる。
 誰かを傷つけたくないから、ずっとこうして嘘を吐いたように中途半端でいた。
 もうこんな状態は止めなければならない。
 答えなんてとうに決まっているのに。

 放課後になり、将臣は真っ直ぐとカノジョのクラスに向かった。
 決着をつけなければならない。
 これ以上、望美に変なきをつかわせたり、嫌な思いをさせるわけにはいかないから。
 ショートホームルームが終わるなり、待っていた将臣を見つけたカノジョの笑顔は、とても甘かった。
 この笑顔をこれから傷つけることになるかと思うだけで、胸は沈む。
 だが自分で撒いた種をしっかりと刈り取らなければ、望美のそばにはいられない。
「将臣!」
「話があるんだ」
 真摯な瞳でカノジョを見つめると、意図を汲んだのかすぐに陰った瞳になった。
「解った。校舎裏にでも行きましょう」
 溜め息を吐いた横顔は、明らかな失望を滲ませていた。
 ふたりで校舎裏に向かう。
 こんな湿っぽい話をするのにはおあつらえ向きだ。
「私と別れたいんだよね?」
 切り出したのはカノジョからだった。
 将臣は率直に認めると、しっかりと頷く。
「ごめんな」
 将臣の謝罪に堪えられないのか、カノジョは背中を向ける。僅かに震えた背中は、明らかな動揺と哀しみを表わしていた。
「解ってたよ、最初から将臣が誰を好きなことぐらい。付き合ってくれたら、私に向けさせる自信はあったけれど、時間には勝てなかったね」
 カノジョは振り返ると、唇を噛み締めた。
「別れよう。お互いにそのほうが良いよね。最後に思い切りひっぱたいて良い?」
 カノジョは泣き笑いの表情を浮かべて手のひらを上げる。
 将臣は薄く切ない笑みを浮かべながら頷いた。

 ホームルームが終わってから直ぐに、将臣はカノジョのクラスに行ってしまった。
 一緒に帰るのが余程待遠しかったのだろう。
 そう思うと、また深く沈んでしまう。
 当たり前のことなのに。
 将臣はカノジョのものなのに。
 ちゃんと解っているつもりなのに、こころの奥には学習機能のかけらもないようだ。
「望美、帰らないの?」
 友人に声を掛けられて、望美はふわりと力なく笑う。
「もう少ししてから帰るよ。今だとまだ江ノ電混んでいるから」
「そうだね。じゃあ私はカレシが待っているから。またね望美」
「またね」
 望美は友人に軽く手を振って見送った後、溜め息を深く吐いた。
 今帰ると、確実に将臣とカノジョの姿を見てしまう。
 ふたりを見ながら帰るなんて自虐的な行為は出来そうにないから、望美は時間を潰すために、図書室へと向かった。
 窓からふたりが校門を出て行くことすらも見たくはなかったから。
 図書室に入り、望美は宿題を始める。本を読む気にもなれなくて、数学の宿題に取り掛かったが少しも進まない。
 数学は元々苦手なうえ、いつも将臣に手伝って貰っていた。
 いざひとりでやろうとしたら、何も出来ない。解らない。
「…授業はちゃんと聴いていたんだけれどな…」
 望美は苦笑いをしながら、いかに将臣に甘えていたか、頼っていたかを思い知らされたような気がした。
「…将臣くん…、やっぱり解らないや…」
 誰にも聞こえないような小さな声でひとりごちると、涙が出た。
 こんなにも『将臣依存症』だとは思ってもみなかった。

 ひとりで日坂を下りて駅に向かっていると、見慣れたシルエットを捕らえた。
 一瞬、ドキリとしたが、将臣はひとりだった。横には他に誰もいない。
 ドキドキしながら足を速めると、だらだらと歩く将臣に直ぐに追い付いた。
「将臣くん」
「お前も今が帰りかよ」
 ふと緩んだ将臣の頬がほんのりと紅くなっているのに気付いた。
「どうしたの頬? とても痛そうだよ」
「大丈夫だ。冷やしたら治る」
 将臣は大きな手には似合わない繊細な指先で、顎のラインを撫で付けた。
「駅に着いたらハンカチで冷やそうか?」
「いい。そのうち腫れも引くだろうから、あまり気にするな」
 将臣が立ち入られたくはなさそうだったので、望美はそれ以上は訊かなかった。
 駅に着くと、電車が来るまではまだ時間があったので、望美は自動販売機で冷たいお茶を買う。
「喉渇いていたんだ」
 望美はにっこりと笑いながら一口飲んだあとで、将臣の頬に缶を宛てた。
「冷たい?」
 まるで子供のような望美の行為にも、将臣は笑ってくれる。
 小さな頃から知っているあどけない笑みに、望美も思わず笑った。
「寄こせよ、俺も喉が渇いた」
 将臣はお茶の缶を奪いとると、そのまま呷るように飲む。
 間接キスだ。
 そう思うだけで、心臓が大きく高鳴ってくる。
 耳朶まで熱くしながら、望美は将臣を見つめた。
「ほら、返してやるよ」
 将臣はいたずら好きな子供のような顔をしながら、望美に缶を押しつける。
 お茶の缶は軽くて、一滴もなくなっていた。
「将臣くん! 全部飲まないでよー」
「美味かったぜ、有り難うな」
 将臣が艶のある笑みを浮かべるものだから、望美は文句なんて言えなくなってしまった。
「こ、今度、奢ってよ」
「へい、へい。電車が来たぜ、乗ろうぜ」
 将臣は望美の手をさり気なく握り締めると、そのまま立ち上がって電車に乗り込む。
 これでは恋人同士みたいだ。
 嬉しいくせに、ドキドキするくせに、望美はどこか胸がチクチクする。
 これがかりそめのものであることを、解っているからかもしれない。
「ダ、ダメだよっ! ふざけたらカノジョが嫌がるよ」
 わざと明るい口調で言うと、将臣の表情が陰った。
「別れた」
 将臣の事務的な声に、望美は息を飲み込んだ。





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