*旅の甘い香り*


 ホテルの部屋に着き、将臣は望美を部屋の中央に下ろしてくれた。
 将臣と目が合う。
 濡れた髪はいつもよりも色濃く輝き、色香を放っている。
 見つめてくる将臣の瞳は、こちらの呼吸がおかしくなるぐらいに、艶やかな光を帯びていた。
 瞳を逸らすことが出来ない。
 頭もこころもぼんやりとして、動くことが出来なかった。
 熱い。
 熱すぎて、躰が震え上がった。
 寒くも無いのに、こんなに切ない熱を抱えているのに、どうして震えているのは何故だろうか。
「寒いのか?」
「…大丈夫だよ…」
 追い詰められたように声が掠れた。
「早く髪や躰を拭いて着替えろよ」
 将臣はバスルームからバスタオルを出すと、望美にそれを投げて来た。
「有り難う」
 望美はバスタオルを受け取ると、ギュッとそれを握り締めた。
 将臣は、どこか苛々しながら、バスタオルで髪をガシガシと拭いている。
 無言で髪を拭いている姿は、怒っているようにしか見えなかった。
 怒っているのは当然だと思う。
 あんなふざけたことをした挙げ句に、プールに落ちてしまったのだから。
 罰の悪い思いをしながら、ちらりと鏡に映る自分を見た。
 水に濡れた自分は酷く無防備に見えるうえに、白いワンピースは透けている。
 望美は自分の姿に溜め息を吐きながら、将臣をちらりと見た。
 将臣は髪を拭いた後、おもむろに濡れたシャツを脱ぎ捨てる。
 露わになった、磨き上げられたブロンズの肌に、望美は心臓が大きく高鳴るのを感じた。
 まるで名高い芸術家の手のもののように、凛とした美しさを秘めた彫刻のような胸は、思わず触れたくなる。
 芸術観賞でもするかのように、望美はじっくりと魅入ってしまっていた。
「おい、何、赤くなってるんだよ」
 将臣に不審げに指摘をされて、望美は視線を外してしまう。
「…な、何でもないよ」
「んなことねぇだろう? ひょっとして熱でもあるんじゃねぇか?」
「…あ…」
 上半身に何も纏わないままで、将臣が近付いてきた。
 こんなにドキドキしてしまうのを、知られたくない。
 耳の下のパルスが痛いほどに激しく波打っていた。
「…熱は…」
 将臣は望美の肩に手をがっしりと置くと、腰を屈めて、自分の額を望美のそれにくっつけてきた。
 無邪気だった幼馴染みの習慣なのか。それとも恋人としての甘い行為なのかは、望美にはよく解らなかった。
 ピッタリと額を付けられて、呼吸がおかしくなるぐらいに速くなる。
 将臣に何度も熱い吐息を吹き掛けていた。
 どんどん全身の熱は上がる。
 だがそれは、躰の不調を訴える熱ではない。
 むしろ恋の病が、どうしようもないところまで来ていることを、示しているかのようだった。
「…熱はなさそうだな。なのにどうしてそんなに顔が赤いんだよ?」
 顔を両手で包み込まれて、じっと瞳を見つめられる。
 どうして良いか解らないほどに、緊張とときめきのボルテージが上がってきた。
「…風呂入れ…。入って躰をしっかりと温めろ」
 将臣は、望美の瞳からわざと視線を外すと、ゆっくりと望美から離れた。
「将臣くんは?」
「俺はあとで良い」
「…だけど…」
 こんなにも熱いから、風邪なんて引かないと、望美は自信を持って言える。むしろ、プールに落としてしまった将臣のほうが心配だ。
「…私は平気だよ。後でも大丈夫だから、将臣くんが先に入って。将臣くんこそ、風邪を引くと心配だよ」
 望美が泣きそうになりながら呟くと、将臣は甘い笑みをフッと浮かべる。
「俺の心配はいいから、とっとと入って温めろ。それとも、一緒に入るか?」
「……!」
 望美をからかうように見つめる将臣が悔しくて、望美は唇を尖らせる。
「ひ、ひとりで入るから良いっ!」
「じゃあゆっくりな」
 将臣にパウダールームに押し込められて、望美は思わず大きな溜め息を吐いた。
 将臣と一緒にお風呂に入るなんて、ある意味、セックスをするよりも恥ずかしい。
 望美は溜め息をもう一度派手に吐くと、濡れた衣服を脱ぎ捨てた。

 軽くシャワーを浴びたあとで、バスタブへとつかる。
 ほわほわとした気持ち良さにリラックスする一方で、全身から緊張が抜けない。
 今日一日は、本当に夜の心配ばかりをしていた。
 結ばれることに喜びを感じながらも、本当は同時に恐怖を感じている。
 それは何も初めての痛みのせいかばかりではなく、将臣ががっかりしてしまったらどうしようだとか、期待外れだと思われて今後のスキンシップが減ってしまったらどうしようだとか、そんなことばかりを考えてしまう。
 バスタブに入ってもそればかりを思い悩み、望美は勇気を掻き集めるように、湯船を掻き回していた。
 将臣との夜の秘め事ばかりに神経がいくというのは、相当意識をしてしまっているからだろう。
 将臣が欲しくてたまらない。
 将臣のものになりたいと、こころの底から思っている。
 なのにその上にあるハードルをなかなか超えることが出来なかった。
「…大好きなのに…。大好きでたまらないのにな…」
 望美は、次第にのぼせてぼんやりとしていくのを感じながら、じっと考え込んでいた。
 湯船の附近がもやもやと霞んで来る。
 かすみはやがて、望美の思考を総て奪っていった。

 次に意識が繋がったのは、お約束通りにベッドの中だった。
 目を開けた当時に歪んで見えていた将臣の顔が、しっかりはっきり見える。
「…ったく、どうしてお前は、マンガにあるようなお約束な行為ばっかりするんだよ」
 将臣は、望美が目を開けるのを確認するなり、呆れ果てるように呟いた。
「ごめんなさい…」
「ったく。どうせ、風呂のなかで、あることないこと、妄想に励んでいたんじゃないのかよ」
 全くの図星に、望美は将臣の視線をわざとらしく避けた。
「そ、そんなんじゃないもん」
「ったく、バカな心配ばかりさせるな…」
 将臣は声をかすれさせると、シーツでくるまった望美を抱き締めてきた。
「…将臣くん…」
「…お前が本当に嫌がるようなことはしないって、前に言っただろ? だから無理をしなくても良いんだよ。お前がちゃんと準備が出来るまで、待てねぇ男じゃねぇからな」
 将臣はわざと望美の額を指先で弾くと、少しばかり複雑な顔をした。
「だから、心配すんな。ちゃんと待ってやれるから。待つことが出来るんだよ。お前ならな」
 将臣の大きくて優しい気持ちが嬉しくて、望美は思わず涙ぐむ。
「…私…将臣くんを好きになって良かったよ」
「当然。俺がお前にとことん惚れてるから、お前をとことんまで惚れさせねぇとな」
 将臣が照れ笑いを浮かべながら言うものだから、望美も思わずつられて笑う。
 本当に素敵なひとを愛して良かった。
 だから大丈夫。
 このひとが欲しい。
 ひとつになりたい。
 望美はたったひとつの熱い想いを胸に、将臣にしっかりとしがみついた。
「おい、そんなに密着されると、幾らなんでも俺だってブレーキきかねぇぞ」
 将臣は焦りながら望美を放そうとするが、更にしがみつく。
「…将臣くんだけの望美にして下さい…」
 心臓が破裂しそうになるほどに緊張したひとことに、将臣は応えるように唇を激しく重ねて来る。
「…もう止められねぇからな…」





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