竜田姫

2


 将臣の心が離れたのなら、これ以上は、一緒にいないほうがいい。
 冷却期間を置くために、望美は家を出ることにした。
 どうしてこんなに沈んだ気分でいる時は、料理がしたくなるのだろうか。
 望美は、将臣が好きな野菜たっぷりのみそ汁、にくじゃが、コンニャクと蓮根のぴり辛煮を作ってやる。
 これなら温めるだけで食べられるからだ。
 未練がましく見られたくないから、何も書かずに家を出ようとした。
 そんなときに限って、携帯電話が鳴り、望美は直ぐにディスプレイを見る。将臣だ。
「はい?」
「望美か? 俺だ」
 将臣の声を聞くと、今更ながら決心が鈍る。
「どうしたの? 今夜は帰りが遅くなるの?」
「いや…。今日はかなり早く帰られる。久し振りに外で飯でも食おうと思ってな」
 将臣がこうしていつもより優しいのは、どこか後ろ暗いことがあるのではないかと、望美は穿った考えをしてしまう。
「嬉しいよ。お家で待っているから」
 心にもないことを暗い気持ちで言いながら、望美は必死に電話の前で声の芝居をした。
「ああ。5時には帰れるはずだから」
「うん。じゃあね、ぱいばい」
 望美はなるべく軽く言うと、静かに携帯電話を切る。
 涙が零れてしまう。
 きっと決定的な何かを突き付けられてしまうかもしれない。
 ならばいなくなりたい…。
 望美は簡単にまとめた荷物を持つと家を出る。
 戸締まりをすると、鍵を新聞受けから、中に投函した。
 駅までとろとろと歩き、電車に乗る。
 やはり行くあてと言えば、鎌倉しかない。
 想い出が多く詰まった故郷。
 江ノ電に乗る頃には、夕日が差し込む時間になっていた。

 その頃、将臣は、家に戻るところだった。
 今日は早く帰れたので、自然と口元も緩む。
 今夜は望美を独り占めにして、今までの埋め合わせと、そして何よりも自分にとって、最もストレスを発散する時間を設けるつもりだ。
 望美といるときは、将臣にとっては最も安らぎ、力を蓄えられる幸せな時間だから。
 いつものように、鍵を開け、ドアを開く。
 望美の歓迎を心躍らせながら待ちかまえた。
 だが-----
「ただいま…」
 声をかけても、部屋は寒々しくて、返事すらない。いつもなら望美が駆けてきてくれるというのに。
「望美?」
 今までこんなことはなかった。
 不意に足元で何かを踏んだような感触がした。
 なじみの鈴の音がする。
 ふと下を見ると、望美の鍵が鈴と共に玄関先に転がっていた。
 将臣の背筋に冷たいものが伝う。
 慌てて部屋に入り、部屋の様子を見ると、望美の大切にしているものがなくなっている。
 ガスレンジの上には、炊いたのだろう今晩のおかずが置いてある。
 温めるだけにしてあった。
 その優しい心遣いと、寒々しい部屋の雰囲気が、将臣に後悔のブリザードをもたらす。
 ここのところ忙しく、望美を構ってやれるような暇は全くなかった。
 だからだろうか。
 確かにここ数日は、冷たかったかもしれない…。
 そう思うだけで、胸がつぶれそうに痛かった。
 望美は大丈夫だと思っていたが、普通の状態ではないのだ。ひょっとしてマタニティブルーなのかもしれない。
 将臣は踵を返すと、戸締まりをして、望美を捜しに出ることにした。
 駅に向かうまでの間、直ぐに望美の実家に電話をかける。
「…望美、そちらに行ってませんか?」
「いいえ。何かあったの?」
「いいえ、大丈夫です」
 将臣は電話を切り溜め息をつく。
 実家にはいない。
 望美が隠れていなくなりそうな場所は、そこしか思いつかないというのに。
 将臣もまたふらりと電車に乗り込む。
 やはり行く先は鎌倉。
 底しか考えられない。
 江ノ電に乗り込み、考えこみながら揺られた。
 望美に何かが起こったのだろうか。
 ただでさえ、望美へのウェイトが大きいというのに、尚更高くなる。
 将臣は懐かしい車窓を眺め、ふと、ひとつの場所を思い出す。
 -----七里が浜だ。
 ふたりのとっておきの場所。

 その頃、望美は七里が浜に来ていた。
 ひとり砂浜に腰を下ろし、悶々とした気分になっている。
 海が心を包んでくれていると思うだけで、泣けて来た。
 将臣と幼い頃から数多くの想い出を刻んだ場所に来てしまうのは、どうしようもないぐらいに好きだからだろう。
「…やっぱり私が子供を持つのは、嫌だったのかな…」
 膝を抱えて泣いていると、優しい風が背中から吹いてくるような気がした。
「やっぱりここにいたんだな。人騒がせにもほどがあるぜ。俺の奥さんは」
 低い将臣の声は、怒っているようにも、慰めてくれているようにも聞こえた。
 望美は何も言えなくて、ただ黙っている。
 すると将臣が、背中から包みこむように抱きしめてきた。
「捕まえたぜ。俺達の家に帰ろう」
 望美が首を横に振ると、将臣は余計に抱きしめてくる。
「もうお前を離す気はねぇんだけれどな。たとえ嫌がったとしても」
「…将臣くんは…、私のことが嫌になったんでしょう? 最近、ずっと避けていたじゃない…」
 望美は静かに、淡々と話す。まるで人ごとのように。
「避けてなんかいねぇ」
 将臣はキッパリと言い切ったが、望美は寂しそうな表情を浮かべた。
「…避けているよ…。私、気付いてたよ。コロンの香りも、綺麗な女のひとも…。みんな…」
「確かに綺麗だな、あのひとは」
 将臣は素直に認めたが、別段感慨等ない様子だった。
「だよね。将臣くんにはぴったりだよ。この子は私がひとりで育てるし、もう…、いいよ」
 なるべく冷静になろうと努めたが、声が裏返ってしまう。
「ったく! どこまでバカなんだよ!」
 将臣は強い調子で唸るように怒り、望美を強く抱きしめる。
 このまま離さないで欲しい。
 そう思うぐらいに、強くて熱い抱擁だった。
「…将臣くん…」
「俺がお前をどれぐらい好きか解ってるのかよ!? ナマでして、中に俺を出してしまいたいぐらいに好きなんだよ! んなこと、お前にしか出来ねぇよ! お前を完全に俺のものにしたかった…! だから、子供が出来たのは凄く嬉しかった」
 将臣が深くキスをしてくる。
 舌を絡めて、唾液を交換する、ふたりにとって愛の儀式のようなキス。
 そのキスから、将臣の想いを、望美は深く感じることが出来た。
 熱と想いで、将臣を深い部分で感じる。
 将臣の言葉は、どこにも偽りがないと感じられた。
 唇を離された後、将臣は望美を真っ直ぐと見つめてくる。
「…将臣くん…、綺麗な女の人とどうして一緒だったかだけを、教えて欲しいんだ…。あの香りも…」
 望美の切ない言葉に、将臣は苦笑いをする。
「言わないとな。ありゃウェディングプランナーだ」
「ウェディングプランナー?」
「式を上げてねぇから、ちゃんと上げようと思ったんだよ…」
 将臣は照れたように笑うと、望美の顔を覗きこむ。
「今度の日曜に式を上げるぞ。家族と友達だけのあったかいやつをな」
 その為の準備で、将臣はずっと遅くて、ぐだぐたに疲れていたのだ。
 理由が知れれば、今度は嬉し過ぎて泣けてくる。
「ったくしょうがねぇな」
 将臣は優しく笑うと、望美の頭を抱えるように抱いてくれる。
「そろそろ、限界だからな…俺…」
 深刻な声に、望美は将臣が強く怒っているのかと思い、覚悟をした。
「…お前を抱きたくて、抱きたくてしょうがねぇんだよ」
 将臣はもうたまらないとばかりに呟くと、望美の手を取り立ち上がる。
「俺達の家に帰ろうぜ。たっぷりお前を抱きたい」
 抵抗する理由なんてない。むしろ、抵抗しない理由ならいくらでも思い浮かぶ。
「うん、帰ろう」
「ああ」
 ふたりはしっかりと手を取り合うと、駅に向かって歩き出す。
 甘いふたりだけの場所へと向かった。
コメント

キリ番で書いた「筒姫」の続編です。
四季のお姫様の名前で、シリーズにしたいと想っています。



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