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将臣の心が離れたのなら、これ以上は、一緒にいないほうがいい。 冷却期間を置くために、望美は家を出ることにした。 どうしてこんなに沈んだ気分でいる時は、料理がしたくなるのだろうか。 望美は、将臣が好きな野菜たっぷりのみそ汁、にくじゃが、コンニャクと蓮根のぴり辛煮を作ってやる。 これなら温めるだけで食べられるからだ。 未練がましく見られたくないから、何も書かずに家を出ようとした。 そんなときに限って、携帯電話が鳴り、望美は直ぐにディスプレイを見る。将臣だ。 「はい?」 「望美か? 俺だ」 将臣の声を聞くと、今更ながら決心が鈍る。 「どうしたの? 今夜は帰りが遅くなるの?」 「いや…。今日はかなり早く帰られる。久し振りに外で飯でも食おうと思ってな」 将臣がこうしていつもより優しいのは、どこか後ろ暗いことがあるのではないかと、望美は穿った考えをしてしまう。 「嬉しいよ。お家で待っているから」 心にもないことを暗い気持ちで言いながら、望美は必死に電話の前で声の芝居をした。 「ああ。5時には帰れるはずだから」 「うん。じゃあね、ぱいばい」 望美はなるべく軽く言うと、静かに携帯電話を切る。 涙が零れてしまう。 きっと決定的な何かを突き付けられてしまうかもしれない。 ならばいなくなりたい…。 望美は簡単にまとめた荷物を持つと家を出る。 戸締まりをすると、鍵を新聞受けから、中に投函した。 駅までとろとろと歩き、電車に乗る。 やはり行くあてと言えば、鎌倉しかない。 想い出が多く詰まった故郷。 江ノ電に乗る頃には、夕日が差し込む時間になっていた。 その頃、将臣は、家に戻るところだった。 今日は早く帰れたので、自然と口元も緩む。 今夜は望美を独り占めにして、今までの埋め合わせと、そして何よりも自分にとって、最もストレスを発散する時間を設けるつもりだ。 望美といるときは、将臣にとっては最も安らぎ、力を蓄えられる幸せな時間だから。 いつものように、鍵を開け、ドアを開く。 望美の歓迎を心躍らせながら待ちかまえた。 だが----- 「ただいま…」 声をかけても、部屋は寒々しくて、返事すらない。いつもなら望美が駆けてきてくれるというのに。 「望美?」 今までこんなことはなかった。 不意に足元で何かを踏んだような感触がした。 なじみの鈴の音がする。 ふと下を見ると、望美の鍵が鈴と共に玄関先に転がっていた。 将臣の背筋に冷たいものが伝う。 慌てて部屋に入り、部屋の様子を見ると、望美の大切にしているものがなくなっている。 ガスレンジの上には、炊いたのだろう今晩のおかずが置いてある。 温めるだけにしてあった。 その優しい心遣いと、寒々しい部屋の雰囲気が、将臣に後悔のブリザードをもたらす。 ここのところ忙しく、望美を構ってやれるような暇は全くなかった。 だからだろうか。 確かにここ数日は、冷たかったかもしれない…。 そう思うだけで、胸がつぶれそうに痛かった。 望美は大丈夫だと思っていたが、普通の状態ではないのだ。ひょっとしてマタニティブルーなのかもしれない。 将臣は踵を返すと、戸締まりをして、望美を捜しに出ることにした。 駅に向かうまでの間、直ぐに望美の実家に電話をかける。 「…望美、そちらに行ってませんか?」 「いいえ。何かあったの?」 「いいえ、大丈夫です」 将臣は電話を切り溜め息をつく。 実家にはいない。 望美が隠れていなくなりそうな場所は、そこしか思いつかないというのに。 将臣もまたふらりと電車に乗り込む。 やはり行く先は鎌倉。 底しか考えられない。 江ノ電に乗り込み、考えこみながら揺られた。 望美に何かが起こったのだろうか。 ただでさえ、望美へのウェイトが大きいというのに、尚更高くなる。 将臣は懐かしい車窓を眺め、ふと、ひとつの場所を思い出す。 -----七里が浜だ。 ふたりのとっておきの場所。 その頃、望美は七里が浜に来ていた。 ひとり砂浜に腰を下ろし、悶々とした気分になっている。 海が心を包んでくれていると思うだけで、泣けて来た。 将臣と幼い頃から数多くの想い出を刻んだ場所に来てしまうのは、どうしようもないぐらいに好きだからだろう。 「…やっぱり私が子供を持つのは、嫌だったのかな…」 膝を抱えて泣いていると、優しい風が背中から吹いてくるような気がした。 「やっぱりここにいたんだな。人騒がせにもほどがあるぜ。俺の奥さんは」 低い将臣の声は、怒っているようにも、慰めてくれているようにも聞こえた。 望美は何も言えなくて、ただ黙っている。 すると将臣が、背中から包みこむように抱きしめてきた。 「捕まえたぜ。俺達の家に帰ろう」 望美が首を横に振ると、将臣は余計に抱きしめてくる。 「もうお前を離す気はねぇんだけれどな。たとえ嫌がったとしても」 「…将臣くんは…、私のことが嫌になったんでしょう? 最近、ずっと避けていたじゃない…」 望美は静かに、淡々と話す。まるで人ごとのように。 「避けてなんかいねぇ」 将臣はキッパリと言い切ったが、望美は寂しそうな表情を浮かべた。 「…避けているよ…。私、気付いてたよ。コロンの香りも、綺麗な女のひとも…。みんな…」 「確かに綺麗だな、あのひとは」 将臣は素直に認めたが、別段感慨等ない様子だった。 「だよね。将臣くんにはぴったりだよ。この子は私がひとりで育てるし、もう…、いいよ」 なるべく冷静になろうと努めたが、声が裏返ってしまう。 「ったく! どこまでバカなんだよ!」 将臣は強い調子で唸るように怒り、望美を強く抱きしめる。 このまま離さないで欲しい。 そう思うぐらいに、強くて熱い抱擁だった。 「…将臣くん…」 「俺がお前をどれぐらい好きか解ってるのかよ!? ナマでして、中に俺を出してしまいたいぐらいに好きなんだよ! んなこと、お前にしか出来ねぇよ! お前を完全に俺のものにしたかった…! だから、子供が出来たのは凄く嬉しかった」 将臣が深くキスをしてくる。 舌を絡めて、唾液を交換する、ふたりにとって愛の儀式のようなキス。 そのキスから、将臣の想いを、望美は深く感じることが出来た。 熱と想いで、将臣を深い部分で感じる。 将臣の言葉は、どこにも偽りがないと感じられた。 唇を離された後、将臣は望美を真っ直ぐと見つめてくる。 「…将臣くん…、綺麗な女の人とどうして一緒だったかだけを、教えて欲しいんだ…。あの香りも…」 望美の切ない言葉に、将臣は苦笑いをする。 「言わないとな。ありゃウェディングプランナーだ」 「ウェディングプランナー?」 「式を上げてねぇから、ちゃんと上げようと思ったんだよ…」 将臣は照れたように笑うと、望美の顔を覗きこむ。 「今度の日曜に式を上げるぞ。家族と友達だけのあったかいやつをな」 その為の準備で、将臣はずっと遅くて、ぐだぐたに疲れていたのだ。 理由が知れれば、今度は嬉し過ぎて泣けてくる。 「ったくしょうがねぇな」 将臣は優しく笑うと、望美の頭を抱えるように抱いてくれる。 「そろそろ、限界だからな…俺…」 深刻な声に、望美は将臣が強く怒っているのかと思い、覚悟をした。 「…お前を抱きたくて、抱きたくてしょうがねぇんだよ」 将臣はもうたまらないとばかりに呟くと、望美の手を取り立ち上がる。 「俺達の家に帰ろうぜ。たっぷりお前を抱きたい」 抵抗する理由なんてない。むしろ、抵抗しない理由ならいくらでも思い浮かぶ。 「うん、帰ろう」 「ああ」 ふたりはしっかりと手を取り合うと、駅に向かって歩き出す。 甘いふたりだけの場所へと向かった。 |
| コメント キリ番で書いた「筒姫」の続編です。 四季のお姫様の名前で、シリーズにしたいと想っています。 |