*家族ごっこ*


 大好きなひとと一緒にいたいと思わない女の子はいない。
 一緒に暮らし始めたらどうなるかだとか想像しては、くすぐったい気分になる。
 甘くて熱い夢想。
 それが現実になると、ドキドキし過ぎてどうして良いかが解らなくなる。
 将臣とふたりだけで週末を過ごす。春以降の同棲生活のリハーサルだが、官能的な緊張が全身を覆い尽くし、望美はどうして良いかが解らなかった。
 泊まる用意をしている間も、望美は緊張と期待で何度も溜め息を吐く。
 将臣とふたりだけで過ごす時間の楽しさと、官能的な部分への怯えが余計に望美を緊張させた。
 忘れ物があれば取りに来れば良いと思いながら、望美はバックを持って勇気をかき集めて隣りへと乗り込んだ。
 何時もなら呼鈴を一度慣らしたら、そのまま勝手に家のなかに入るというのに、今日に限ってはかしこまって将臣が開けてくれるのを待った。
 将臣が格子戸を開けて現れると、望美は生唾を飲み込んでしまった。
「来たんだな」
「…うん」
「荷物寄越せよ。ばあさんの部屋に置くから」
「うん」
「何時もみたいに勝手に入って来ても良かったんだぜ?」
「うん」
 望美が最低限の返事しかしないのを、将臣は苦笑いをする。
「お前、さっきから変だぜ?」
「そ、そうかな」
 引きつった笑みを浮かべると、将臣はしょうがないとばかりの笑顔を浮かべる。そこには優しさが滲んでいた。
「…緊張しなくて良いから。いつも通りにしておけば良いんだよ」
 将臣に背中を軽く叩かれて、望美はようやく笑みを零す。
 意識せずに、いつも通りに。
 望美は肩から力を抜くと、大きく深呼吸をした。
 懐かしいスミレの部屋に荷物を置かせて貰い、有川家のリビングに向かう。快適なエアコンディションが整った部屋だから、一気に汗が引く。
 いつもならこの部屋でだらだらするのは平気なのに、今日に限ってはお尻がむずむずとするぐらいに落ち着かない。
「おい、リラックスって言っただろ? ま、勉強は何時でも出来るから、ゲームでもするか」
「そうだね」
「昼飯食ったら、鎌倉まで出て買い出しに行ったら良いし」
 ふたりでスーパーに行くなんて、何だか甘い生活を送っているようで、望美は思わず微笑んでしまった。
 ふたりでテレビの前に座り込んで、格闘系のゲームに興じる。
 お互いに格闘ゲームは好きなので、なりふり構わず夢中になった。
「これで5勝5敗で五分の星だよね。午後からは絶対に負けないから」
「夕飯後にでもやろうぜ。俺だって負けねぇから。そろそろ昼飯食おうぜ? 素麺茹でて来るから、お前はテーブルを片付けてセッティングしておいてくれ」
「うん。素麺ぐらいは茹でられるよ。手伝おうか?」
 将臣はほんの一瞬だけ望美を見つめると、「いい」とキッパリ断ってきた。
 全く失礼だと思う。
 素麺なら、煮えたお湯に麺を入れるだけではないかと思うが、将臣はそれすらも信用してくれていないようだった。
 最も、失敗したケーキ、チョコレート、サンドウィッチ、グラタン…。散々壮絶な代物を食べさせてきたのだから、信用されていないのは当然と言えば当然なのだが。
 望美は仕方がなく、テーブルをセッティングしたが、恨めしい気分で将臣を見る。
 素麺を茹でるだけではなく、ネギ、しょうが、ミョウガ、のりと言った薬味を充実させるのは勿論のこと、鰻の細切り、キュウリ、錦糸卵など、サイドに食べる具材も充実させてくれた。
 きっと望美がやれば、市販のだしつゆに、せいぜいネギが乗っかるぐらいだろう。
 料理名人の譲とはまた違って、将臣は簡単料理の達人でもあった。
 将臣の包丁捌きを横目で見つめながら、あんなに細くは千切りなんて出来ないと、こころのなかで考えたりもした。
「よし、出来たから食おうぜ」
「凄いね! 具もたっぷりだけれど、つゆが三種類もあるんだ!」
「これはサッパリ梅だれ、これは豆乳、これはごま」
「美味しそうだねー」
「後はしらすもつけねぇとな」
 素麺と言っても、されど素麺。たかが素麺。
 こんなに豪華で立派なものになるとは思わなかった。
「将臣くんはパパッと料理の天才だね」
「お前もこれぐらいはやりやがれ」
 将臣はぱふりと大きな手を望美の頭に乗せると、髪をクシャクシャにした。
「だって料理って、ちょっと間違ったら大変なことになるじゃない? それが怖いんだよね」
「お前の場合はちょっとばかりじゃねぇだろ」
 望美クッキングの最大の被害者将臣の言葉は、やはり重かった。
「夕食は特訓するからな。簡単なもんぐれぇは作れるようになれ」
「はあい」
 一緒に暮らすとなると、家事の負担は平等にしなくてはならない。そうなると望美が料理を覚えなければならないのは、必須事項になってしまう。
「が、頑張るよ」
「ああ。俺並に出来たら構わねぇから。譲レベルは誰も期待しちゃいねぇから」
「無理だよ」
 望美は眉をへの字に曲げると、溜め息を吐いた。
「将臣くんのレベルでも、私にはかなりハイレベルだよ」
「自慢するように言うな。しっかりと扱いてやるから覚悟しろよ」
「か、勘弁してくらさい」
「せめて素麺ぐらいはちゃんと作れるようになれよっ! 今のお前なら火傷がおち」
 将臣の的確な指摘に、望美は何も言えなくなってしまった。

 美味しく昼食を食べた後は、鎌倉まで出て、買い出しをすることになった。
 手を繋いで、極楽寺の駅まで向かう。
「こういうの良いね。一緒に夕飯の買い出しに行くの」
「一緒に暮らしたら、時々はこうやって手を繋ぐチャンスもあるはずだぜ」
「そうだね」
 こうやってふたりで手を繋いで、何気なく歩くのがとても気持ち良い。
 一緒に暮らせば、これを頻繁に経験出来る。
 甘くて素敵な誘惑に、望美の表情も綻んでいた。
「その気になったか?」
「まだリハーサルは終わってません」
 わざと厳しい口調で言うと、将臣は豪快な笑みを浮かべる。
「本番までにはちゃんと料理は上手くなって貰うからな」
「それが一番難しいと思うがんだけれど…」
 望美の複雑で困った言葉に、将臣は苦笑いを浮かべた。

 将臣とただスーパーに行くだけでも、いつもと違った新鮮さを感じる。
 将臣以外の男と一緒に住むなんてもう考えられない。
 だが、どこか恥ずかしさもあり、なかなか勇気が出なかった。
 このリハーサルで勇気が生まれるだろうか。勇気が出たら、これ程嬉しいことはないのに。
 ふたりでスーパーに入ると、さり気なく将臣が買い物カゴを持ってくれる。
「何だかこういうの、良いね」
「一緒に暮らせばいくらでも出来るぜ」
「そ、そうだね」
 一緒に暮らすという言葉だけで、究極にドキドキしてしまう。
 望美は耳たぶまで真っ赤にすると、わざと一歩先を歩いた。
「今日は何を食う?」
「カレーライス」
「お前はキャンプの飯盒炊爨レベルかよ」
「だって明確に作り方が解るのはこれぐらいだもん。将臣くんだってカレーライス好きじゃない」
 料理の本なんて、グルメ雑誌以外は読んだことなんてない。だから家庭科やキャンプでやった料理以外は、全くちんぷんかんぷんだ。
「カレーライスでも良いけど、肉はウシだぜ。解ってるだろうな」
「ウシさんは高いじゃん」
「高くてもやっぱりウシだ」
「はあい」
 望美はカレーライスの材料である、人参、玉葱、ジャガイモといった野菜をカゴに入れて、肉売り場に向かう。
 吟味もせずに適当に入れると、将臣に止められてしまった。
「お前、もっとしっかり吟味しろよ」
「どれも一緒じゃない」
「ったく、お前は買い物の仕方から教えねぇとダメだな」
 将臣は溜め息を吐きながら、肉や野菜の選び方を教えてくれる。
 女の子としては恥ずかしいかもしれないが、望美は楽しさを感じていた。
 こうしてレッスンしていけば、いつか将臣と一緒に暮らせるだけのスキルが出来るだろうかと、望美は考えていた。





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