Limited Lovers

8月6日


 確かに恋人同士のふりをしている。だが、普通の恋人たち以上に、ふたりは顔を合わせ、唇を重ねている。
 恋人のふりを始めてからちょうど六日目を迎える。
 この六日間で、ふたりの仲は急速に近づいた。
 これが恋と呼べるものであるのならば、それこそ電光石火だ。
 少なくとも望美にとっては恋だ。
 ずっと、将臣だけに恋をしていた。悔しい想いをしながら、他の女の子との仲を見てきたのだ。
 朝から庭の掃除をしていると、将臣が家から出て来た。
「おはよう、将臣くん。今日もバイト?」
「ああ。バイト」
 さらりと将臣は言うと、望美のボディラインをなぞるような視線を向けて来た。
 指先でなぞられているようで、肌が切なく熱くなる。頬を蒸気させて見つめると、将臣は眉間に深いシワを寄せた。
「おはよう」
 低い声で愛撫をされるように囁かれ、箒を持ったまま立ちすくんでしまう。
「も、もう一度おはよう」
「明日、ヒマか?」
「うん、ヒマだよっ!」
 もし忙しかったとしても、きっと時間を作るだろう。だがそれは特に必要はないが。
「だったら、明日、海に遊びに行こうぜ?」
「それってデートか…な」
 望美は上目使いをしながら、探るように将臣を見る。
 将臣は何も言わなかったが、静かに笑い、望美の首筋に冷たい指先を這わせた。
「や…」
 思わず甘い吐息を漏らし、躰を竦めた。
 ドキドキし過ぎて、脚まで震える。将臣は愉しむように笑うと、指を首筋から離した。
「じゃあな」
「いってらっしゃい」
 将臣の後ろ姿を見送りながら、望美は飛び上がって喜びたい衝動に駆られた。
 将臣に触れられた首筋を、指でなぞる。そこだけが熱く、将臣に肌を沸騰させられた気分になった。
「…デート、デート、デート」
 まるで呪文を唱えるように、何度も同じ言葉を呟けば、リアルに言葉が動き出す。
 明日のデートの準備をしなければならないと、望美は掃除もそこそこに家の中に入っていった。
「望美! 掃除は済んだの?」
「終わった!」
 母親に適当に答えた後、部屋にこもって、デートの服を物色し始めた。
 何時ものように突然ではなく、将臣に誘われたのだから、気合いを入れて準備をしたかった。
 鏡の前で、ファッションショーのモデル宜しく、幾つも服を充ててみる。
「イマイチだよね、どれも…。もっとこう、可愛い感じにならないかな。セクシィだけれど可愛い感じに」
 望美はいつも参考にしている雑誌を広げ、コーディネートを捜す。
「ノースリーブのワンピースとかだと、可愛くて清楚に見えるし、良い感じだと思うんだけれどなあ」
 望美はクローゼットを引っ掻きまわし、イメージに合うワンピースを探すが、見つからない。
「やっぱり、買いに行こうかなあ」
 望美はすくりと立ち上がると、おこずかい帳と睨めっこをする。
「安くなってるだろうし、藤沢に出掛けても良いかな?」
 望美は自分の考えを自ら肯定するように言うと、直ぐに出掛ける支度をした。
「お母さん、藤沢まで出掛けてくるね!」
「いってらっしゃい! 今日はデートじゃないの?」
「あっちもアルバイトで忙しいよ!」
 明日のデートの為だけに服を買いに行くと言ったら、母親は笑うだろう。
 望美は余計な詮索をされずにするので、何も言わずに出掛けた。

 何時ものように電車に乗り込み、藤沢に向かう。
 ガタゴトとのんびりとした音を立てる江ノ電の車窓からは、夏らしい空と夏休みらしい風景が広がる。
 人でごった返している海岸、綺麗過ぎて写メールしたくなるような青い空。
 賑やかな夏の最高潮を表すと共に、その向こう側には僅かな秋の気配が忍び寄っている。
 夏の色が濃くて、その影には誰も気付かない。
 あの向こう側のレストランで、将臣は働いているのだろうか。
 海に面したレストランは、海の家のようになっている。
 帰りに少しだけ寄り道をしようか。まるで手招きをされているような気分になった。

 藤沢に行き、いつもよく買うセレクトショップに向かう。
 やはりバーゲン後の売れ残りに赤札がかかって売られていた。
「可愛いな…」
 白いノースリーブのワンピースが、望美の気を引こうとしているかのように、ゆらゆらと揺れている。
「それ、可愛いでしょ? 余りに清楚で可愛い過ぎて、逆に売れ残ってしまったんですよ。なかなかこれを似合う娘っていないから…。あ、あなたなら合うかもしれないわ。試着したらいかがかしら?」
「有り難うございます」
 望美は勧められるままに試着室に入り、白いワンピースに腕を通す。
 ノースリーブワンピースを着ると、まるで全身がピュアになった気分だ。
 自分でないようなそんな雰囲気に、望美は茫然と鏡を見た。
「いかがかしら?」
 覗きに来た店員が、一瞬、絶句してしまう。
「へ、変ですか?」
「ううん! 凄く綺麗よ! あ、ヘアスタイルいじらせてもらって良い? 後、リップグロスも…」
 店員は興奮するように言うと、手際良く望美を綺麗にしてくれる。
「はい、おしまい! これでカレシも悩殺出来るかもよ」
 鏡に映る自分は、自分ではなく別の誰かさんのような気がした。
「じゃあこれを頂きます」
「有り難うございます。値札をこのまま取るから、着て帰ったら? 髪も涼しげにアップにしたし…」
 確かにこれで帰るのは勿体ない。
 望美ははにかんだ笑いを浮かべながら、コクリと頷いた。

 折角、お洒落をしたのだから、やはり将臣に見せたい。
 望美はどきどきと唸る心臓を押さえる勇気をかき集めて、将臣が働いているレストランに向かった。
 これならランチをしても大丈夫だろう。
 カランと涼しい音を立てるドアを開けると、望美は恐る恐る中に入っていく。
「いらっしゃい…」
 そこまで言ったところで将臣が黙り込む。
「ひとりです。ランチをお願いします」
 普通の客のようにニッコリと笑うと、将臣は不機嫌な顔でカウンター席に案内してくれた。
 望美の心は沈む。
 喜んで貰えると思っていたのに、将臣の態度は北極の氷よりも冷ややかだ。
「パスタランチですね。かしこまりました」
 将臣はわざと大きな音を立ててメニューを閉じると、小さな声で囁く。
「何でそんな恰好で来たんだよ…」
 心臓をナイフでひと突きされたように、心から大量の血液が流れ出した。
「…ごめん」
 望美はそのままうなだれると、味のなくなったパスタを頬張った。
 手早く食べ終わり、会計を済ませると、将臣が入口にやってくる。望美の腕を取り、強引に外に出る。
「ひとりのときにそんなカッコするんじゃねぇよ」
 将臣は声に憤りを滲ませると、唇を首筋に近づけてくる。
「あっ…!」
 首筋を強く吸い上げられて、全身の血液が熱くて、濃くなった。
「男よけ。んな恰好でひとりでいてみろ。ナンパされるのがオチ」
 驚いて顔を上げると、将臣は目の回りを真っ赤にしている。
「じゃあな」
 踵を返して店に入っていく将臣に、思わず笑みが零れた。
 望美は嬉しくて小躍りしたくなる。
 これってヤキモチ?




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