Beauty Or Beast

3


 知盛のKISSは硬質な金属みたいだった。
 甘さが全くない。
 想像とはかけ離れたKISSが何故か心に残っていた-----


 知盛のアシスタントに任命をされ、様々な女子社員から羨望の眼差しを受けているが、当の望美はと言えば、そんなことは堪らない気分だ。
 代われるものなら変わりたいとすら思っている。
 何せ、あんなに仕事をしない上司も珍しいのだ。はっきり言って興味のない雑用には、一切手を出さない。望美任せだ。
 今朝もまた出勤をするなり書類に目を通した後に、一眠りしている。平商事のゆくすえが心配な今日このごろである。
「……おい、望美……」
「春日です! それに名前を呼び捨てにしないで下さいっ!」
 知盛に押し付けられ処理が済んだ書類をたたき付けながら、望美は不機嫌にも眉間にシワを寄せた。
 全くこんな上司は見たことがない。
「…くちづけをした仲だろ…」
 唇を重ねた記憶が蘇り、望美は真っ赤になって睨むしかない。
 呆れた上司にほとほと困り果ててしまう。
「…今夜…商談がみなとみらいのホテルである…。ついて来い…」
 突然、言い渡されて、望美はうろたえる。同時に、どうして早く言わなかったのかと、悪態をつく代わりに、目の前にいる上司を睨みつけた。
 みなとみらいのホテルと言えば、最高級ホテルの代名詞だ。そんな場所に、普段着でしかも商談に同席するなんて出来ない。
「普通の恰好しかしてきていません。後、制服しかありません」
 望美はキッパリと言い切り、言外に、行けないことを匂わせていた。
 しかし知盛は鼻で笑う。
「……恰好なんて…どうにかなるだろう…。そんなことは気にするな…」
「だけどそれが商談に響くこともありますっ!」
 強い口調でいくら言っても、知盛は全く動じない。それどころか、冷たい笑みを浮かべて、楽しんでいるように思える。
「…少し早く出て…、ビジネスライクな…服装に着替えれば…良い…。…そうだろ?」
 知盛には執着など全く感じない。なのにこうもさらりと言われてしまうと、追い詰められる気分になる。
「…解りましたっ! その代わり、これは高くつきますよ」
「…ああ」
 望美は、すっかり知盛のペースにはまっている自分を悔しく思いながら、同意する矛盾に、少し苛立ちを覚えた。

 午後からはようやく調子が出て来たのか、知盛はようやく仕事を本腰を入れて始める。
 望美はと言えば、髪を振り乱しながら、知盛の仕事の言わば後始末をしている。
「……望美」
「春日です」
「……名前をどう呼ぼうと、関係は…ないだろう……。…お前は…お前なんだから…」
 確かにそう言われればそうかもしれないが、フォーマルな時に、しかもこの男に名前で言われたくはない。ビジネスマナーで学ばなかったのだろうか。仕事中には、ちゃんと苗字で呼ばなければならないことを。
 だが、この男には常識は通用しないだろう。総ての面に置いて、危な過ぎる男なのだから。
「……そろそろ、準備に行くぞ…。着替えて来い」
「商談は6時からです! 今は3時です。早過ぎます!」
 窘めるように言ったが、知盛には全く通用しない。
「……いいから用意して来い…。上司命令だ…」
 独特の間があく話し方をされた上に、切れるような厳しい視線を向けられる。その視線を抗えるはずなく、望美は立ち上がった。
「解りました」
 軽く睨みつけると、また知盛は楽しげに笑う。普通は、小娘に反抗的な態度を取られた上司は、みんな怒鳴り付けると言うのに。知盛にはそんな気はさらさらないようだった。
 最も知盛だって望美とそんなに年はかわらないのだから、おじさん族よりは頭は柔らかいだろうが。
「…早く…しろ」
「はいっ」
 望美が机を片付けている間、知盛は煙草を口にくわえて火をつける。
 ライターの点火音がオフィスに響き渡り、どこかけだるい雰囲気が漂っていた。
 美しき退廃に、望美は思わず見とれてしまう。本当に絵になる。きっとうっとりしていたに違いない。
 不意に知盛と視線が絡んだ。こちらを見下すような笑みを浮かべている。
 知盛に、見とれていたことを知られたくなくて、望美はわざとつっけんどんな態度を取った。
「オフィスでは禁煙です! 健康増進法をご存知ですか?」
「…俺が良ければ…いいだろう…? 健康に関する…法律なんて…俺には必要ない…」
 確かにその不健康なけだるさには、必要ないだろう。
 また頭が痛くなってきた。これ以上の議論は無断だろう。
「着替えてきます」
「…ああ」
 可笑しそうに煙草を吸う姿が憎らしくて、望美はぷりぷりしながら更衣室に向かった。

 知盛の横を歩きながら、こんなに早く会社を出てきて良かったのかと思ってしまう。
「…昼寝に最適な時間だな…」
「この時間は、昼寝をするためにあるんじゃありません! お仕事をするための時間です!」
「…そうか?」
「…そうです」
 望美が余りにも反抗的な態度を取っても、知盛は動じない。それどころかアミューズメントパークにいるような顔をしている。
「…フン、随分と…真面目な答えだな…」
 知盛は望美の真意を覗きこむように、じっと見つめてくる。感情を湛えないような眼差しが、凶器のように望美に突き刺さった。
「…だって本当のことだわ…」
 このままでは視線に殺されてしまう。望美はそれを避けたくて、わざとあさっての方向を見た。
「…フン…、お前の本音など…引き出してやるさ…」
「引き出してなんか、いらないですっ!」
 ぷいっと背中を向けたが、知盛が小憎らしい笑みを浮かべているのは、直ぐに感じられた。
 知盛は望美の少し前を怠そうに歩きながら、高級店が立ち並ぶショッピングセンターに入っていく。
 そこにあるヘアサロンに、知盛は入っていった。
「か、髪でも切るんですか!?」
「…俺の髪なんか…どうでもいい…」
 望美もどさくさに紛れるように、ヘアサロンに入ってしまった。
 知盛の姿を見るなり、サロンのオーナーらしい男がやってくる。
「お待ちしておりました、平様! こちらへ」
 知盛は流石は名門の御曹司のせいか、臆することなくスマートに振る舞う。望美はどうしていいかが解らずに、少し動揺していた。
「…おい、望美…。着いて来い…」
 言われるままに着いていくと、サロンの特別室に案内された。
 そこは女優やモデルといった、セレブリティが利用する場所なのだという。
「……こいつを……、俺に…相応しい女に…しろ……」
 知盛のオーダーに、望美は目をむいてしまう。こんなことをしていったい何になるというのだろうか。
「ちょ、ちょっと! 私はあなたの女じゃないわよっ!!」
 いくら抵抗をしてもダメなのは解っている。だが、この勝手で横柄な男に、何でも自由にされるのは、全くしゃくにさわった。
「どうぞ、春日様。全身をコーディネートされるように、申しつかっておりますから」
 サロンの椅子に強引に座らされても、望美は攻撃的な野良猫みたいに知盛を睨んだ。
「何のつもりよっ!」
「…ただ…、俺に…相応しい…女に…してもらて…」
 知盛は愉快そうに薄い笑みを浮かべながら、煙草を燻らす。それがまた映画のワンシーンみたいによく映えて、望美は面白くなかった。
 椅子に座り、手のマッサージと、シャンプーが同時に始まる。こんなにお姫様のように扱われてしまうと、怒りが沈んでいった。
 こんな経験をするのは本当に滅多にないことではあるので、望美は素直にその恩恵を受けようと思った。
 パラフィンパックをした後、ハンドマッサージを受け、その間に、マッサージつきのシャンプーが施される。どちらも気持ちが良くて、眠ってしまいそうだ。
 それが終わると、痛んだ髪だけをカットし、ヘアスタイリングが始まる。同時に、ネイルケアが始まった。
 鏡に映し出される自分がどんどん綺麗になっていく。これは最高級マジックだと、望美は思う。
 髪とネイルが終わると、メイク直しが始まった。メイク直しと言っても、基礎化粧からのやり直し。
 まるで陶器みたいな肌が作られた後、念入りに色が乗せられた。
 ここまでの所要時間は1時間半。
 商談に行くには、良い頃合いになってきた。
「さて、このスーツを着て、完成です」
 何時もだととても着られないようなブランドの、上品なスーツを着て完成だった。うっすらとピンク色のスーツは、望美を知的に見せてくれる。
「完成です」
 美容師の合図で、知盛がいる控室に入る。
 綺麗な冷酷さを持つ知盛の眼差しが、望美を値踏みするように見つめた。
「…悪くは…ない。…とりあえず…横にいて…も…、可笑しくはないが…。相応しいとまでは…いかない…」
 低い声でとことんまで冷静に言われてしまい、望美は知盛を思い切り殴ってやりたい衝動にかられた。
 一発殴ろうと、握り拳を知盛に向けると、簡単に片手で受け止められる。
 そのままま手を繋がれてしまった。
 呆気に取られていると、知盛は望美の手を引っ張る。
「…商談だから…温和しくな…」
 楽しげに口角を上げられて、望美は悔しくてたまらない。
 ふたりは夕焼けのみなとみらいをまるで恋人達のように歩いた。
コメント

パラレルな知望です。
書いていて楽しいです(笑)




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