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知盛の素朴な部分に触れて、少しだけ親しい気分になった。 いなり寿司。知盛が出身の京都では、おいなりさんと呼ばれている。京風のものを作ろうと、望美は料理テキストを読みながら奮闘した。 元々あまり料理は得意ではないせいか、母親に聞きながら、悪戦苦闘で仕上げる。 「関西風のいなり寿司をお弁当に持って行きたいだなんて、どういう風の吹き回しかしら。まあ、あなたが料理に興味を持つのは、悪くないけれどね」 「進歩かなあ」 たまにこうして母親とコミュニケーションを取るのは大切だと思う。 母親のお陰で美味しいものが出来たような気がした。 関西風いなり寿司の再現とはいかないかもしれないが、母親の協力のおかげでなかなかの出来になった。望美は折詰にそれを入れてみる。 いつもぐうたらでセクハラ憎たらしい上司だが、良いところもある。と思う。 きっとホームシックもあるのだろう。 ふとそこまで考えたところで、望美は真っ赤になった。 どうしてあんなに不遜な男にこんなに心を砕かなければならないのか。望美は眉間にシワを寄せながら、理不尽な想いに困惑していた。 「おはようございます」 オフィスに恐る恐る入ると、そこには知盛が野放図状態でソファに凭れかかり眠っていた。 「…また、こんな格好で寝ているんだ…」 望美は苦笑すると、ロッカーから毛布を取って来た。それをかけてやりながら、知盛の寝顔を眺める。 「寝ている姿は憎たらしくないんだけれどね…」 どこか神秘的な部分と、子供のように我が儘な部分が混在する。 野放図なのに綺麗だ。 ジャケットと、ネクタイを脱ぎ捨て、カッターシャツを乱して眠る姿は、かなり艶やかだ。 その姿が、澄んだ朝陽に照らされて輝き、どうしようもないぐらいに美しかった。 知盛が可愛くも美しくも思えてしまう自分に、望美は腹を立ててムッとした。 「どうして私がこんな気分にならなくっちゃならないのよ…」 ぶつぐさとひとりごちていると、知盛がゆっくりと目を開けた。 「…ブツブツ言って、起こすな…。うるさい…」 何時ものようにけだるく呟く知盛に、望美はプツリと切れる。こんなに気を遣っているのに煩いとはどういう了見か。そう思うと、益々腹が立った。 「もう始業時間ですっ! 居眠りしててもいいから、せめてデスクにちゃあんと座って下さい!」 「…先ほどまで…一仕事していたから…今日はごろごろする…」 頭からすっぽりと毛布を被る知盛がどうしようもないぐらいに腹が立つ。 望美は仁王立ちをすると、折角かけてやった毛布を思い切りひっぺがした。 知盛は簡単にころころとソファから転がり落ち、滑稽な映画の主人公のように、床に落ちた。 「…っ! 何をする…!」 知盛な明らかに視線に悪意を感じるが、望美は怯まない。それどころか、睨みかえした。 「ひと仕事が何だかは知らないですけれど、ちゃあんと始業時間には仕事を始めて下さい!」 「…うちの会社はフレックスだ…」 「だったらいつから仕事をするんですかっ? マネージャーは放っておくと、終業時間まで寝ているでしょう!」 「…今日は5時まで寝る予定だ…」 いけしゃあしゃあと言ってのける知盛に、望美は開いた口が塞がらない。唖然となりながら知盛を見ると、悠然とソファに座り直し、煙草をくわえている。 「それだったら仕事は終わっちゃうじゃないですか!?」 「…そうだな…。仕事時間どころか、残業時間もなくなっちまうな…」 鼻で笑うような仕草をすると、知盛は宙に紫煙を吐き出す。 5時は5時でも午前5時なのだ。これには望美も呆れ返ってしまう。 「ったく! 何を考えているんですか!! 仕事してください!」 望美がいくらきつく言い聞かせたとしても、知盛には全く効果はない。それどころか、一服をした後、また眠ろうとする始末だ。 「…また寝るんですか…」 「ああ…」 ニヤリと人を喰ったような笑みを向けられ、望美は腹にストレスをため込む。。 全く目の前の男は信じられないことをする。余りに酷くて目も宛てられないほどだ。 ふと、知盛のカッターシャツの襟ぐりが目に入った。昨日見たときはピシリとしていたのに、今日は少しよれよれしている。 望美はそこに疲れを見出だしていた。 もしかしたら…。自分の考えが本当ならば、随分と酷いことを言ってしまったと思わずにはいられない。 「ひょっとして…夜に仕事をしていたんですか?」 望美は不安になりながら、自分の考えを口にした。もしそうだとしたらと考えるだけで、罪悪感と羞恥が滲み出てくる。 「…ああ…。海外のマーケットは夜中に開くからな…。色々と夜しか…出来ない仕事をしていた…」 望美は自分の浅はかな考えに、唇を噛み締めた。何故だか胸が痛い。 「…ごはん、食べましたか?」 気まずい気分になりながら、おずおずと望美は折詰を差し出した。そうすることでしか、謝罪の思いを表せない。 「…いいや…まだだ…」 「だったら、いなり寿司を作ったので、食べて下さい…」 「…有り難う…」 望美はお詫びにと、かいがいしく朝食の準備をする。支度をしながら、ひょっとして自分は知盛のことを勘違いしていたのではないかと思う。 いつもぐうたらなのは、夜中に仕事をしていたからだろうか。ならば確かに昼間は眠い。 しゅんと肩を落としながらも、望美はどこか華やいだ気分になっていた。知盛にこのいなり寿司を食べて貰えるのが嬉しい。 お茶をいれて、いなり寿司を出すと、知盛は僅かに眉を上げた。 「…いなり寿司か…」 箸を持った知盛をドキドキしながら見つめる。望美は胸が押し潰されてしまうのではないかと思うぐらいに、知盛の味判定が気になった。 知盛は特に表情を変えることはなく、黙々と食事をする。唇の動きを見ていると、官能的過ぎてくらくらしてしまう。 知盛はほんの数分でいなり寿司をぺろりと平らげる。そのスピードに、望美は呆気に取られていた。 「…あ、あの、味は…」 「…腹が減っていれば…どんなものでも…美味く感じるさ…」 知盛はまたからかうような笑みを浮かべて、望美を刺激してくる。それが気に入らない。 なのに笑みを浮かべてくれるのが嬉しいだなんて、どうかしていると思う。 「こ、これでも一生懸命作ったんですけれど!?」 少し険悪気味に言えば、知盛はまた笑う。 「…解っている…」 知盛は艶めいた声で呟くと、望美の手を取り、多数の絆創膏で彩られた指にくちづけを落とした。 「……!」 心臓が止まるかと思うほどに、刺激的だった。細胞の総てに知盛が刻み込まれ、望美は呼吸困難になるほどの衝撃を感じた。 「…ご褒美を…やろうか…?」 「あっ…!」 知盛に指を強く吸い上げられて、望美は思わず甘い声を上げる。 「…と、知盛…」 「…今夜…夢を見せてやる…。お前には…その価値があるからな…」 答える前に唇を塞がれる。 この先に待ち受けるシャングリラに、望美は無意識に胸を焦がしていた。 |
| コメント パラレルな知望です。 書いていて楽しいです(笑) 関西風おいなりさん。 この間、品川駅に、新地の豆狸があってびっくりしました |