8th Lesson
誕生日なんて、何をどうして良いのかが解らない。 望美は、貯金箱を叩き割り、じっと所持金を眺めた。 「…これだと…こ洒落たものなんて買えないしな…」 お金を数えると、思わず溜め息がこぼれ落ちた。 何を贈れば、知盛は喜んでくれるのだろうか。 望美はそれを考えて、うんうん唸っていた。 「…ちもちゃんって、さりげなく着ているものも良いし、何だかこ洒落てるもんねえ…。余程、インパクトのあるものじゃないと…」 また溜め息がこぼれ落ちる。 どうすれば気にいってくれるのだろうか。 今まで、男のひとにプレゼントなんて贈ったのは、せいぜい父親と幼なじみぐらいだ。 「…煙草を吸うからジッポかなあ、ベタだけれど。だけどそれ以外に、これっていうのはないしなあ…。ありきたりだし」 望美はとりあえずお小遣をかき集めて、藤沢まで出掛けることにした。 ジッポが売っている店に入り、色々と物色をする。 知盛に似合いそうな、綺麗でシンプルなものを探し、見つけたものの、思わず生唾を呑まずにはいられない。 所持金を殆どはたかなければならない。後はアイスクリームを食べられるぐらいしか残らない。 有り金の殆どをはたいて、それこそ清水の舞台から飛び込むような気分で、買い求めた。 プレゼント用に包装をして貰うと、まるで自分が貰ったように嬉しくなる。 望美は鼻歌交じりになりながら、所持金がすっからかんになったことなど忘れてしまえる勢いだった。 プレゼントを買い求めた後だと、バースデーまでそわそわしてしまう。 ピアノレッスンを受けに行くにも、何だか落ち着かない。 レッスン室に入ると、相変わらず知盛は眠っていた。 「ちもちゃん、名前を”三年寝太郎”に変えたら」 知盛は望美を睨みつけると、椅子から立ち上がる。 「無駄口をたたけるなら…、さぞ…ピアノが上手く…弾けるんだろうな…」 意地悪に微笑まれると、身が竦み上がる気分になる。 「それとこれとは別だよ」 「…御託を並べる前に弾け…」 知盛はピアノカバーを取り払うと、鍵盤を軽く叩いた。 「…お嬢さん、弾け…」 「うー!」 凶暴な犬のように吠えても、少しも迫力はないらしく、知盛はくつくつと笑っていた。 望美は唇を軽く尖らせながら、鍵盤を叩く。 「…もっと優美に、華麗に弾けないのか…お前は…。力強さは…らしいけれどな…」 「らしくないです! ねぇ、ちもちゃん先生、お誕生日会をしない?」 さりげなくきくと、知盛は僅かに眉を上げる。 「…お前は幼稚園か…」 「ねぇ、お誕生日会をしようよ、プレゼントもあるし…」 ドキドキする余りに、望美の声は上擦る。呼吸が出来ない程のドキドキと興奮に包まれていた。 どうか否定されませんように。 心臓ごと祈りを捧げる。 「…誕生日会よりは…、お前がピアノをうまくなることのほうが…俺は嬉しい…」 「ちもちゃん、何だか先生みたいだよね」 「…俺はお前のピアノの先生だ…。そうだろう?」 三年寝太郎で、いつもピアノレッスンをだらだらとする、望美の大好きなピアノ教師。 らしくないがらしいことを言われて、望美はその顔を見る。 「ピアノも、口と同じぐらいに…達者だったらいいんだがな…。お嬢さん…」 嫌味をさらりと言われ、望美は眉間にシワを寄せる。 気に食わない。 大いに気に食わない。 「…だが…、お前が…俺のために…、”HAPPY BIRTHDAY”を弾いてくれたら…、考えてやっても良い…。お誕生日会…」 「だったら、今すぐ弾くよ!」 望美が曲を変えようとすると、知盛に手首を掴まれた。 「…今は良い…。…そうだな…。誕生日には…、お前のピアノリサイタルをして貰おうか…」 「ピ、ピアノリサイタル!?」 唐突に言われたとんでもないことに、望美の声はひっくり返ってしまう。 レパートリーなんてないのに、そんなことは出来ない。 「な、何曲弾くのよ」 声も表情も引き攣らせながら、望美は知盛を見上げる。 知盛は望美が追い詰められるのを見るのが、かなり面白いらしく、笑いを堪えている。 「”HAPPY BIRTHDAY”は、一番有名なやつと、スティービー・ワンダーのやつ。後はお前の好きな”カノン”だな…」 「そ、そんなにっ!」 望美はわたわたとしながら、知盛を切なく見つめる。まるで出来ない量の宿題を押し付けられたような気分だった。 「マジ…?」 「マジだ…」 知盛は平然と言い放つ。 クールな瞳が面白そうに、煌めいて映っている。 「…じゃあ…、俺の為に…、お前はピアノリサイタルを開くことで決定だな…。会場は俺の家…。防音はきいているし…、ピアノはスタンウェイだ…。せいぜい楽しむんだな…」 目の前でくつくつと笑う知盛の頭とお尻に、悪魔の印が付いているように見える。 背中がゾクリとして凍りついた。 「…うちの家は…、北鎌倉にあるからな…」 知盛は簡単に駅からの地図と、住所、そして携帯番号をメモ用紙に書いてくれる。 「…ほら、これならお前にも来れるだろう…? 解らなかったら…、電話をしてくれば…いい…」 無造作に知盛に渡されたメモは、とても貴重なものではないかと思いつつ、受け取った。 「有り難う」 「当日は…2時ぐらいに着けるように来い…」 「はい」 メモを受け取ってしまった以上は、ピアノリサイタルを開くしかない。 望美は溜め息をつくと、大切に財布の中に直した。 「…じゃあ…レッスンの続きを始める…」 レッスンが始まったものの、そこからは上の空になってしまい、望美は全くレッスンに身が入らなくなってしまった。 何度も知盛に怒られたが、そんなことも気にならないぐらいに、リサイタルのことで頭がいっぱいで、ブルーだった。 レッスンの後、重い気分で楽器店へ行き、知盛が言っていた楽譜を買い求めた。 お小遣は使い切ってしまったので、とうとう”お年玉へそくり”を投入した。 何とか楽譜は買ったものの、お手本にするCDは買えなかった。 自分で音を拾うしかないのが、何とも憂鬱だ。 知盛のバースデーまでは、後少ししかない。 練習しても身につくことなんてとても出来ない。 それでもやるしかなく、望美はピアノの前に腰を下ろした。 何度か弾いていくと、次第にメロディが指に馴染んでくる。 本当にこんなにも真剣にピアノを弾いたことなんて、今までなかったかもしれない。 母親も呆れるほどに、望美は鍵盤を叩いた。 恋は不思議だ。 どんな難題をふりかけられても、こうしてやろうとするのだから。 たとえ日にちが限られていたとしても、こうして果敢にチャレンジが出来るのも、大好きなひとの願いだからだ。 望美はカレンダーとにらめっこをしながら、必死に努力をした。 好きでいてもらえるために。 |