Lay Your Hands On Me

〜異間人館夏休み特別企画〜

3


 月が南中しようとしていた。丁度、今、聖堂の上に差し掛かろうとしている。
 アンジェリークは僅かな月の光と、オイルランプの光だけで祈りを続ける。
 彼女には、明るさなど関係はないのだ。心が明るければそれでいい。アンジェリークはそれだけを思って、ロザリオを握りしめる。それは彼女の本能でもあった。
 祈りに集中し、彼女は聖なる力のヴェールを被っていたせいか、背後に迫る黒い力に気がついてはいなかった。そして、魑魅魍魎が蠢く時間が近付くのにつれて、その聖なる力が弱ってきていることも。
 彼女は、自分に加護を与えてくれたマリア像と、司教・マザーの言葉。そして。何よりも、魔剣士としてのアリオスを信じて、それらに支えられていた。
「もうすぐ、朕の力はこの身に集まる。あの処女の血を呑めば、朕はこの地帯を支配できるようになるのだ…! 差し出された哀れな生け贄よ…。今、楽にしてやる…」
 黒い手が、清らかなアンジェリークに少しずつ近付いていった   

   ●●●

(待っていろ、アンジェリーク!!)
 闇の森の中を疾走するアリオスに、本能の赴くままに、行く手を阻む魔物たち。
 だが、アリオスはそれらをもろともせずに、哀れみだけを込めて、次々に銃弾を撃ち込んでいった。
 先ほどよりもアリオスの感覚は、より悪魔に近い超人的なものになり、その力は研ぎ澄まされていた。
 森を抜けた瞬間、再び、アリオスは、あの黒騎士の姿を見た。
「待っていた。先ほどの者は、私の写し者!」
 騎士はそう宣言するなり、いきなりアリオスに斬り掛かってきた。
 彼はそれを巧みなジャンプによって回避し、宙にいる間に愛剣”リヴェリオン”を抜。
「おまえがやる気なら、こっちもお相手をしようじゃねえか。ショータイムだ!」
 アリオスは宙から、黒騎士に対して思い切り飛びかかっていく。
 それを巧みに回避した騎士は、アリオスと入れ替わるように宙に舞い上がる。
「逃がさねえ!」
 アリオスは地面を蹴り上げたかと思えば、黒騎士よりも更に高く舞い上がった。
 ふたりの太刀が重なり合い、剣光が闇に火花を散らす。
 一度太刀を交えば、黒騎士が先ほどにも増して力を蓄えていることが、アリオスには判った。
 彼の表情は次第に真摯なものになっていく。
 力と力が、今、月の光の元でぶつかり合った。
 心身の深遠なる場所から、アリオスは悪魔の血を滾らせる。それは正しき心を持った悪魔の血であった。
 翡翠と黄金の瞳には、ただ、黒騎士の姿のみを写し、アリオスは大剣リヴェリオンを振りかざす。
 その瞬間、剣に雷鳴が轟いた。
「うわあああっ…!!!!!」
 太刀は黒騎士の兜を割り、そこから稲妻の光を放出する。
「うののののっ!」
 黒騎士は、頭を抱えるようにして身じろぎ、身悶えて苦しんだ。
「ラ、ラガ様…」
 それは悪魔の呪いの呻き声であった。
「おまえの出る幕じゃねえんだよ…!」
 黒騎士が散りゆく姿を、アリオスは冷静に見つめていた。その眼差しには、哀れみなど一切存在しない、心底冷たいものである。
「…これで…、これで…、勝ったと…思うなよ…。もう…ラガ様が…、処女の血をたっぷりと…、頂いて…いるところだ…。我らが、魔族の復活…。
教会…すら…、あの娘を、生け贄にしたのだから…」
「何!?」
 アリオスは愕然とする。彼女があの場に残って祈っていたことには、こんな裏があったとは。
 清らかな乙女を、彼を初めて魂の奥底から感動させた美しき少女を、そんな毒刃にかけるわけにはいかなかった。
「そんなことは、俺がさせやしねえ!!!!!!」
 アリオスはとどめとばかりに、黒騎士に渾身の太刀を浴びせかける。
「もう…遅い…。…ラガ様…万歳…!!」
 今度こそ、黒騎士はその場に倒れ込み、朽ち果てた。
 後に残ったのは、遠い昔に使われていたであろう、錆び付いた鎧一式であった。
「待ってろ! アンジェリーク!!」
 アリオスは悪魔臭さを今までで一番に感じながら、聖堂に向かって更に疾走した。
 もう、目の前にそれは見えている。
 時間をロスしたことを呪いつつも、彼は聖少女を護るべく、宙に飛び上がった   

   ●●●

 悪魔の上級に位置し、願わくばその最高の地位を脅かさんとするラガが、アンジェリークに魔の触手を伸ばしていた。
 それには全く気づかないアンジェリークは、今やアリオスの為だけに祈っていた。
「娘よ…。もう祈らなくてもいいのだ…。おまえの聖なる結界は解けたのだ…」
 満月が妖しくも南中する。
 闇を支配する者たちの時間が、今始まり、その力が増していく。
 静まりかえり、何も生命に関する音を立てることのない時間。
 アンジェリークの命の灯火は、もはや消えようとしていた。
「聖なる者の血ほど、美味いものはないのだ…」
 清らかな汚れなき罪のない、彼女の白い首が犯されようとしたその時であった    
 大聖堂の天井の窓が勢いよく割られ、研ぎ澄まされた甲高いガラスが割れる音が響く中、まるで、雪のように、細かく砕かれた破片が宙を舞う。
 その音に、アンジェリークの祈りは破られ、ラガの手も止まる。
(アリオス様!)
 月夜に晒されて、銀の髪を輝かせふわりと揺らして降りてくるのは、一日千秋の想い待ちわびた、アリオス。
 彼女は直ぐに、悪魔が近くにいることに気がつき、その身を、汚れなきマリア像の下に隠す。
 それを冷静に確認をしたアリオスは、僅かに口角を上げる。
 ふわりと揺れる銀の髪を乱し、戦闘服の裾を優雅に横に回せて、彼は見事に着地をした。乱れた髪も元に戻り、その眼差しは不適にラガを捕らえた。
「あんたのゲームは楽しませて貰った。お遊びはこれまでだ。おっさん!!」
「…おのれ…、魔剣士の分際で!」
 アリオスは、ラガに隙を与えなかった。得意の銃を両手に出し、ラガに向かってトリガーを連続して引き始める。
 そこからは圧巻だった。
 アリオスは銀の髪を揺らし、ラガに向かって柔軟な体勢で、弾丸を容赦なく浴びせた。
 ラガの攻撃を避けるために、時には、床を蹴って一回転をしたりして、巧みによけ続ける。
 ラガにとって動きやすい時間は、同じ悪魔の血を引くアリオスにとっても同じことが言えた。
 彼は先ほどよりもよりシャープになった動きを武器に、ラガの攻撃を巧みに交わした。
「…おのれ…」
 黒の影の姿であったラガが、とうとうその実態を現した。
 それは異形と表現するのには、言葉が足りず、かといって、魑魅魍魎とも言えなかったのだ。
 どこか、人の姿にも似た、石像のような羽根を持った姿であったから。
 その姿になるなり、ラガはアリオスに烈しい攻撃を仕掛けてきた。
 勿論、彼はそれを賢明に避けるが、攻撃の早さには、正直目を見張るものがある。
 今まで、対決してきた悪魔の中では、最上級の力を出し切らなければならないと、アリオスはその表情を険しくさせる。
(俺は絶対におまえの思い通りには、させやしねえ!)
 床を蹴り、彼は再び宙に舞い上がる。
 そこから下にいるラガに向かって、連続的にトリガーを引き始めた。
 これで効かないのは、彼にも良く判っている。だが、こうすることによって、少しでも体力を奪おうとしていたのだ。
 彼は宙であっても、巧みにラガの容赦のない攻撃を避けながら、回転や捻りを加えつつ、弾丸を撃ち込む。
 床が見えた瞬間、またしても、戦闘服の裾を靡かせて優雅に降り立った。
(天使様   !!)
 傍らに見ていたアンジェリークには、降り立つアリオスこそが、本当の天使に思えた。悪魔の血を引く、彼こそが。
 ラガは、アリオスの攻撃に、少しその身をふらつかせる。
 一回だけでは威力の弱い攻撃でも、連続技で何度もされると、さすがに効いてくる。
 何発弾丸が撃ち込まれたのかは、もう判らない。
 ただ冷たい音を轟かせた薬莢が、床一面に落ちていた。
「うぉぉぉぉっ!」
 アリオスから浴びた弾丸を総て体内から捨て去り、ラガは立ち上がる。
「何!?」
 何発も弾丸を入れたのにもかかわらず、ラガには全くと言っていいほど効かなかった。
「…今度はおまえの番だ、魔剣士!」
 ラガの指から不思議な光が出され、アリオスはそれを避ける。
 だが、避けるだけで精一杯で、とてもではないが、それに反撃する余裕がなかなかこない。
「Sit!!」
 アリオスの窮地に、アンジェリークは胸が苦しくなる。自分には祈ることしか出来はしない。
(マリア様!!)
 彼女は自分を加護してくれるマリア像に、大いなる力で祈りを捧げた   
 その瞬間。
 アンジェリークの祈りが通じたのか、アリオスの大剣が、聖なる力によって光り始めたのだ。
その溢れんばかりの眩しい光に、ラガは一瞬目を眇める。
 そこに隙と時間が生まれる。
 アリオスはそのチャンスを敏感に察知し、リヴェリオンを抜く。
 彼は大剣を振りかざすと、渾身の力を込めて、ラガに振り下ろした   
「うが…うがががががっ!!」
 聖なる輝きを放つ光は、ラガの躰を引き裂いていく。
「うわああああっ!!!」
 今までに聞いたことのない大きな臨終の声を聞きながら、アリオスは、マリア像の下に隠れていたアンジェリークを、飛び込んで片手で救出をする。
「あ、有り難うございます…」
 彼女は、彼の精悍な腕にしっかりと収まったまま、ラガの最後を見届けた。
 アリオスと共に、この地を苦しめた悪魔を   
 この地を巣くった悪魔の魂を癒すために、アンジェリークはロザリオを握りしめて、心を込めた祈りを捧げた。
「うぁああっ!!」
 その瞬間、ラガは灰燼となり、アリオスの割った窓から、風に乗って飛び去っていってしまった   
「終わったか…」
 アリオスの低い声に反応するかのように、彼女はその腕をぎゅっと握りしめる。
 そこから、アンジェリークがいかに不安に耐えていたか、彼はようやく気がついたのだった。
 ラガがいなくなって直ぐ、空が白み始め、光が清々しく広がっていく。
「美しい夜明けです…。心が澄み渡っていくようです…」
「ああ。誰にだって平等に朝は来るもんだからな」
 アリオスも、こんなに清々しく心地よい朝は久しぶりとばかりに目を細めた。
「帰って来て下さって、有り難うございます。私、信じてましたから」
「ああ。おまえが俺をここに帰してくれたんだ」
 アリオスはほっとしたようにわずかに微笑みながら、アンジェリークを見つめた。
「おまえ、不思議だな…。こうしていると、本当に癒される。そばにいるだけで、躰の汚れが癒されるような気がする」
 彼は、彼女の、相変わらず澄んだ瞳を覗き込み、深い表情をした。
「いつでも、あなたを癒します。あなたが望むなら」
「今でも?」
「ええ」
 穏やかな平穏を讃えた笑みをアンジェリークが送れば、アリオスもそれに応える用に僅かに微笑む。
「癒してくれ   」
 彼女はゆっくりと静かに頷くと、椅子に座り、彼をその膝に導く。
「少し、お休みになって下さい…。あなたの汚れが取り払われるまで…」
 アリオスは安心したように頷くと、アンジェリークの膝に頭を預け、瞳を閉じた。
「ゆっくりとお休みになって下さい…」
 アンジェリークは、今までにない幸せな気分で、柔らかなアリオスの髪を指で優しく梳いてやる。
 アリオスの唇にも、かつてない幸福が宿っている。
 二人の姿は、まるでピエタ像の用に神々しく、光がいっぱいに降り注ぐ。
 ふたりは、朝陽に祝福をされ、この世のものとは思えないほどの神々しさを持ち、神々から祝福を受けていた   


 




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