〜Rightthings Where You Left It.〜
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犬がエンジュに反応をし、激しく吠える。 それを聞いてか、ドアが開く音が聞こえた。 「すまねェな! そいつは吠えるが、噛んだりしねェから安心しな」 聞き慣れた粗野な声に、エンジュは胸の奥が甘酸っぱい感覚に支配される。 懐かしくて、憎らしい。 それはこちらの一方的な想いだったが、レオナードもそう思って憚らないだろう。 出て来た! エンジュは長身でがたいの良いシルエットに目をすっと細める。 「……!」 レオナードもエンジュの姿を発見するなり、目を神経質に細めた。 「何の用だ?」 「これ!」 エンジュは弁護士から貰ってきた離婚届けを、レオナードに突き付ける。 「何ァ!」 「決着を着けようかと思って。これは私達の離婚届けよ!」 突き付けるなり、レオナードの表情は凶暴に歪む。だがそんなことぐらいでは、エンジュ様は怯まなかった。 「何だァ、イキナリ出て行ったと想ったら、イキナリ帰ってきやがって! その揚げ句になんだァ、紙切れ一枚ぺらぺらと持ってきやがって! それ以外に何か言うことがあるだろォがっ! 『こんにちはハニィ、帰ってきたわ!』とか『こんにちはあなたの妻よ、久し振り』とかな!」 「あんたとはもうとぉぉくに終わったんだから! 離婚してっ!」 エンジュはしつこいと思われても構わなかったが、もう一度鼻先で離婚届けを突き付けてやった。 「別れて!」 レオナードは、離婚届けに一瞥を投げると、だらだらと家に戻っていく。話にもならないといった顔つきで。 「どこに行くのよっ!」 「どこに? んなもんは決まってる、お前とおんなじ、トンヅラをこくんだよっ!」 エンジュは大変だとばかりに、レオナードを追い掛けて行くが、やはり奴は一歩素早い。 足早に家の中に入り、鍵をかけてしまう。 「ちょっと! 開けてよ!!」 「ちゃんと親に挨拶をしてから来い! いいかァ、俺様は非常識な奴と相手しねェんだよ!」 「あんたがサインすれば、八方丸く治まるんだから!」 「おまえが治まっても、俺様の腹の虫は治まらねェんだよっ!」 レオナードはブラインドまで下ろし、エンジュが侵入してくるのを阻止している。 ふたりでばたばた追い掛けっこ。その動きは、滑稽なコントのようだった。 エンジュは埒があかないことに苛立ち、何度となくじたんだを踏む。 こうなると奥の手だ。 妻を、いや元妻をなめるんじゃないわよ! エンジュはニンマリ笑い、イタズラばかりをしていた子供の頃の表情に戻ると、バッグの奥底から、とっておきのものを取り出した。 レオナードはと言えば、むしゃくしゃしているのか、冷蔵庫の中にある冷たく冷やしたビールを、おもむろに飲み干していた。 ブツブツ言って、終いには冷蔵庫を蹴る。 「新婚の時に、折角買った冷蔵庫なのに、随分な扱いね、ダーリン」 レオナードの顔色がみるみるうちに変わり、飲んでいたビールでむせ返る。 「っ…! テメエ、何処から入ってきやがった!」 レオナードは大きな音を立ててビール瓶を置くと、エンジュを睨みつけてきた。 「合い鍵を私が持っていることを知らなかった? お利口さん? 鍵をあんたが変えていなかったから、助かったわよ」 レオナードの顔色が更に怒りで血色ばむ。完全に怒ってはいるが、そんなことエンジュにとっては、関係ちょかちょのぷっぷくぷーだった。 「女房が合い鍵を持ち逃げをしたんでね!」 「この家には女房なんていないわよ!」 エンジュは些かヒステリックな声で、キツク言った。傷ついた瞳をして。 「わ、私は…、あなたを初体験の相手に選んだだけよ…」 エンジュは声をトーンダウンさせて、苦しげに呟いた。 「お前、今、服を縫っているんだってな」 「縫っているんじゃないわよ。デザインをしているだけなの! 私はデザイナーなのっ!」 エンジュは自分の仕事に強いプライドを持っているせいか、きっぱりと言い放った。 「まあ、どっちも変わらねェ」 「変わるわよっ!」 レオナードは皮肉げに鼻を鳴らすと、奥の狭い部屋に入る。 「ちゃんと、おふくろさんやおやじさんに、挨拶をしてこなきゃ、サインはしねェからな!」 「私はここに留まるわよっ! あんたがサインしてくれるまではね!」 エンジュはどかりとソファに腰を下ろすと、脚を組んで溜め息を吐いた。 「弁護士には莫大な費用を払っているの! だから、早くサインしなさいよっ!」 「そいつはお前の都合だろうがァ」 レオナードは再びエンジュの前に現れると、向かいのソファに腰をかけて、煙草を吸い始めた。 「煙たいからヤメテ」 エンジュは明らかに不満そうに辺りを手で扇いでいる。 「この家は俺様の家だ。何をしようが勝手だろっ!」 「あんたの煙草の伏流煙で私は死にたくないのっ! そんなに煙草ばかりをばかすか吸っていたら、肺ガンで死ぬわよ!」 「五十年後にはな!」 レオナードは苦々しい声で言うと、わざとエンジュに向かって煙を吐き捨てた。 「ごほっ! げほっ! あんたって全く変わっていないのね! 全く変化も成長もなしっ!」 「成長しなくて悪かったなァ。そうやってお高く止まってねェから、俺はお前なんかより、よっぽどマシな人生を送っているぜェ! 北東部がどんなに都会で洗練されていても、南部の良さはそれに勝るものがある! お前はんなことも気付かずにいるなんて、全く可哀相な女だぜェ」 レオナードはしみじみとチクりとエンジュを攻撃してくる。 そんなことには、絶対に負けはしない。 「あのね! あんたこそ、南部のガチガチに凝り固まった価値観に左右されている頑固野郎よ! クマみたいなくせに! ってクマそのものだったっけ!」 エンジュが早口でまくし立てるのを、レオナードは不機嫌極まりない表情でじっと聞いている。 こめかみがひどくひくついていた。 「お前は北東部にいっちまってから、余計に下品になっちまったみてェだな」 レオナードはチクりチクりと攻撃してくる。それが余りにも重たい攻撃だったせいか、エンジュは言葉を詰まらせたりしていた。 「南部よりも北東部が野蛮だったら世話ねェよな」 「あんたはね、いつまでもここで腐っていればいいのよっ! 北東部のがよほど建設的よ!」 「ああ、そうだろうな! いっぱいビルが建っているからな!」 「そっちの建設じゃあないわよっ!」 全くレオナードと話せば、売り言葉に買い言葉だ。ポンポン言葉の応酬が続く。 北東部にいた時には、こんなことは起こらなかった。 だがこうして起こっていると、なんて愉しいし、ストレスを発散出来るのだろうか。 愉しい。 その言葉にうろたえていると、エンジュには馴染みの保安官パトカーが家の前にやって来ているのが見えた。 ヤバイ。 子供の頃から、散々イタズラをし、お世話になっていた保安官。 苦手というものじゃない。 エンジュが情けない表情を浮かべると、逆にレオナードは勝ち誇った顔をした。 「保安官を呼んだのね!」 「ああ。この家は、もうお前の家じゃねェからな! 住居不法侵入だ! バカタレ!」 「私、保安官は苦手なのよ!」 まさに、レオナードには歓迎されずままに、中に入ったのだから、そう思われるのは当然かもしれない。 ただし、ドアはピッキングしたのではなく、合い鍵で入ったのだが。 「こんちは、不法侵入だって!?」 保安官制服を着ているのは、エンジュも顔見知りの男だった。 「ユーイ! あなた、保安官になったの!?」 「似合っているだろ? ジィちゃんの跡を継いだんだ」 「保安官にお世話になってたあなたが、保安官になるなんて」 懐かしい友人と再会する嬉しさと、感慨深さにエンジュはすっかり感動していた。 「久し振りだなあ、エンジュ。で、レオナード、不法侵入者はどこだ?」 ユーイはキョロキョロと探している。 「アイツだ!」 レオナードは憎々しいとばかりに、ピシリとエンジュを指差す。 「エンジュ、もうおまえたちは別れたんだろう? 元亭主の家とはいえ、犯罪だぜ?」 ユーイは困ったとばかりに眉を下げ、エンジュに諦めろとばかりの視線を送る。 「だって不法侵入じゃないわよ。ちゃんと鍵で入ったもの。それに法的には、私はまだレオナードの女房だから」 ユーイは興味深げに、ふたりを交互に見てくる。その眼差しはどこか皮肉げだ。 「だったら罪にはならないな。夫婦喧嘩にイチイチ保安官を余分じゃない。狭くて田舎町でも、保安官はパトロールに忙しいからなあ」 ユーイはお話にならないとばかりに、とっとと行ってしまう。それをレオナードは必死に引き止めた。 「おい、ユーイ!」 レオナードは長身でユーイの前に立ちはだかる。 「駄目だ。夫婦間の争いはふたりで解決してくれ。サラバだっ!」 ユーイは全く取り合わず、とっとと家から出ていってしまった。 「くそっ!」 「保安官なんか呼ぶからよ。じゃあレオナード、また明日も来るからね!」 ごみ箱を蹴飛ばすレオナードの横を、エンジュは爽やかな顔をして通り抜ける。 「もう来るな!」 「いいえ、私はしつこいから何度でも来るからね!」 エンジュは気位の高い猫のようにレオナードにつんとすると、部屋から勢いよく出ていく。 「亡霊め! 二度と来るな!」 エンジュはそんなことは取り合わず、元気いっぱいにレオナードの家を後にした。 エンジュは気付かなかった。 久し振りにとても心が開放されていたことを。 |
| コメント レオエン単独の初パラレルです。 愉しんで下さると嬉しいです〜。 コメディで〜す。 |