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パソコンの前で、アンジェリークはまた深い溜め息を吐いた。 全く原稿が手につかない。 今までは、ボーイズラブだったので、男同士の恋愛を想像するのは楽しかったが、男女になると、リアルで生々しいような気がして、アンジェリークは上手く表現することが出来ない。 今までなら、プロットを書いて提出するまでは、そんなにかからなかったと言うのに、今回は”ハードカバー”ということもあって、余計に神経を使ってしまう。 本当にプロットの段階で、全く何も書けない。話のテーマすらも思いつかないほどだ。 「…こんなんじゃダメなんだけれどなあ! 全く思いつかないっ!」 余りにイライラするので、アンジェリークはパソコンを立ちさげてしまう。 折角、試験休みに入ったというのに、楽しむどころか、息抜きも出来ず、かえってストレスを溜め込んでしまっている。 大きく溜め息を吐くと、アンジェリークはごろりと寝転がった。 全く、恋愛の機微すらも解らない。 男性恐怖症もあいまって、デートすらしたことのないアンジェリークは、袋小路に追い詰められていた。 ボーイズラブは一種のファンタジーだから、想像することなんてたやすい。だが、男女については生々しいような気がして、想像が出来ない。リアルな表現をつい求めてしまい、それが出来ない自分が悔しくてしょうがなかった。 「レイチェルに相談しようかなあ…」 アンジェリークは視線の先に見えた携帯を手に取ろうとしたが、突然音が鳴り出して、驚いてしまった。 着信元を見れば、アリオスだ。 「はい、アンジェリークです」 「ああ、俺だ。その声だと、相当参っているみたいだな」 アリオスの声が携帯を伝わって、優しく躰に染み込んでくる。 声を聴くだけでも安心し、ときめいてくる。 「…そうです。ボーイズラブなら、何の抵抗もなくお話を考えられるんですが、男女ものだとリアル過ぎて考えがつかないです…。経験にたよろうにも、恋愛経験ゼロだし…。男女はリアルだから、リアルでだけどロマンティックなお話を考えようとすると、全く思いつかないんですよね…。リアル過ぎないのもダメだし…」 アリオスの前なら、仕事については素直なところを言える。それだけ信頼している証だ。 「なあ、アンジェリーク。気負い過ぎていねえか?」 「そうかもしれません…」 アンジェリークは素直に認める。アリオスの前では、素直になれてしまう。事に仕事のことだけだが。 「少し休んでみろよ。肩の力を抜いて、充分リラックスして…。リアルさにこだわり過ぎているかもしれねえし、そのあたりは余り深く考えないことだ…。イマジネーションを働かせて、自分がこんな恋愛をしたらどうなるとか…、そんなことを想像していたら、きっと上手く書けるようになる」 アリオスが言ってくれると、本当にそう思えてくるから不思議だ。 「アンジェリーク、息抜きをしている間に、引き出しは思わぬところから出てくるはずだぜ?」 アリオスの声を聴いていると、アンジェリークはすっかりと落ち着きを取り戻していた。かなり気分が楽だ。 「あんまり頑張り過ぎないことだ。適当に息を抜くのが一番だぜ?」 喉を鳴らすアリオスの声を聴くだけでも、躰と心から無駄な力が抜けてくる。アンジェリークにとっては最高のリラックス方法だと言っても、過言ではなかった。 「じゃあもう今日はゆっくりします。こんを詰めて考えても。良いものは浮かびませんから」 「その通りだ。試しに外を見てみろよ」 「外?」 「良いものが見える」 きっと虹か何かだろうと思いながら、アンジェリークが窓の外を見ると、そこにはアリオスの車があり、アンジェリークに気付いたように、クラクションを一度鳴らした。 「どうしてここに!?」 「外に行こうぜ。作家の息抜きに付き合うのも、担当編集者の仕事だからな」 アリオスは視線をアンジェリークに向けてくる。 ラフなノースリーブの花柄ワンピースを身につけていたので、アンジェリークは恥ずかしくて躰をカーテンに隠す。 「何やってるんだよ」 アリオスが苦笑する声が携帯ごしに聞こえる。でも、恥ずかしいのは変わりがない。 「降りてこい」 「ちょっと、支度を…」 アンジェリークは言葉をごにょごにょと濁すと、カーテンを更にぐるぐるに巻き付ける。 「このままでおまえは充分だ。用意はしなくていい。降りてこい」 アリオスはきっぱりと言い切ると、アンジェリークを鋭い視線で捕らえてくる。従うしかないような気がした。 「解りました、直ぐに下に行きます」 アンジェリークは素直に返事をすると、とりあえずはピンクのお気に入りの鞄を持って下りていくことにした。 ぱたぱたと玄関を出ていくと、自然に助手席の扉が開けられる。 「有り難うございます…」 少しくすぐったいけれど、心地が良い席に腰をかけて、アンジェリークは頬を染めた。 「シートベルト!」 「あ、はいっ!」 慌ててシートベルトをしようとするが、指が震えてぎこちなく、上手く出来ない。 「しょうがねえな」 アリオスは苦笑気味に手を伸ばしてくると、アンジェリークにシートベルトをしてくれる。 意識してアリオスとこんなに密着したことがないので、沸き上がる熱に息が上がる。 ドキドキして、音ががアリオスに聞こえてしまうのではないかと心配し、更に鼓動を早くしてしまう。 「出来た」 アリオスが離れる時、目が合ってしまい、笑われたような気がした。 深呼吸をすると、ふと肌に鳥肌が立ってしまう。 どんな男性にも、反応してしまう自分が少し恨めしい。 「アレルギーがまだ治ってねえみてえだな…」 「これでもかなり良くなったんです」 アリオスは眉根を寄せたが、アンジェリークには本当のことだった。 「大丈夫です。以前なら、卒倒していたでしょうから。今は鳥肌だけなので、可愛いもんです」 アンジェリークは腕を摩りながら、鳥肌を鎮めていると、アリオスは複雑な表情をする。 「なあ、その鳥肌、治す気はねえか?」 「治したいです…。まだまだ、時間がかかりそうだけれど、まだ、アリオスさんとお父さん、ルヴァ編集長ぐらいしか、男のひとはダメだけれど…」 アンジェリークは段々小さな声になりながらも、何とかアリオスに話す。こういう宇話が出来るのはあり押すぐらいだが、まだなかなか言葉にするのは心苦しい。それを解ってか、アリオスは僅かに笑ってくれた。 「おまえが大丈夫な男に入れてもらえて光栄だぜ? だが、メンバーを見ていると、喜んでいいのかしょんぼりしていいのか、よくは解らないけれどな…」 「少なくとも…、アリオスさんは一番大丈夫な男性です…。お父さんとルヴァ編集長は同じ感じですよ」 「違うってことか?」 「そうですね」 アンジェリークは正直に話し、心が軽くなるような気がした。 アリオスとこうして車に乗っている。それだけでも、男性恐怖症であるアンジェリークにとっては凄いことだ。 だが不思議と心地が良くて、つい鼻歌が出てしまった。 「ドライブは好きか?」 「はい、好きです」 「だったら、今度は、夜にドライブに行くか? 良い夜景を知っているぜ?」 「ホント! 有り難うございます。楽しみです」 アリオスとドライブの約束をしただけで、本当に嬉しくてしょうがない。アンジェリークはにんまりと笑い、次の約束が出来たことだけでも嬉しかった。 車は高級ホテルの駐車場に止まり、アンジェリークは降ろされる。 「今日はここでデートしようぜ?」 「はい…」 ”デート” そんな言葉がくすぐったくてしょうがない。アンジェリークはアリオスと一緒に、デートに飛び出した。 アリオスとふたりで、先ずはホテルの裏の公園に行く。 「こうやって、何もなくても、手を繋いで歩くだけでも楽しいだろ?」 「アリオス…」 指が絡み合って、アンジェリークはドキリとする。不思議と鳥肌は立たない。 甘い痺れだけが躰を走って、震えが起こる。鳥肌よりも甘く震えた。 「最初にカフェでも行くかよ」 「はいっ!」 アンジェリークが明るく返事をすると、アリオスも柔らかに微笑んでくれる。 楽しい一日が始まりそうな気がした。 |
| コメント アリコレ、新しいシリーズの開幕です。 BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。 楽しんでくださると幸いです。 恋愛編です。 |