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アリオスを文章で表現したい。 年上の男性に背伸びをする、愛らしい少女と、ちゃらけているのに本当は真実の愛を探そうとしている男との。 アンジェリークはパソコンの前に向かうと、慎重に言葉を選びながら書き始める。この物語が最高のものになると予感しながら。 アリオスに読んで貰いたい。そして、その顔から満足な表情を引き出してみたい。 アンジェリークは目の前にいる多くの読者よりも、ただアリオスに読んで貰いたくて、無我夢中に書いていた。 いつもなら、言葉のディテールだとかにこだわって書くが、今回は気をてらってそんなものをこだわらなくても、すんなりと文章にすることが出来た。 アンジェリークにとっては、それが何よりも嬉しいことだ。 切なくて胸の奥がしめつけられるような瞬間を、美しい文章に表現することが出来ればと、心を込めて書いた。 少女が大人への階段を昇っていく過渡期に出会う、複雑な大人の男性。満たされないことを識りつつ、刹那の性愛に溺れる男。そして少女は、無垢で何も識らず、フェアリーテール宜しく、いつかは素敵な王子様が幸福を運んで来ると信じている女の子。 ふたりの糸が交差した所から物語は始まり、決してばら色ではないが、ふたりの糸が素敵な織物を形成する。そんな物語に出来ればと、アンジェリークは心の奥で熱く感じていた。 アリオスに呼ばれて、アンジェリークは編集部に向かう。 執筆している小説については、まだ何も話してはいなかった。きちんと初稿が出来た時点で、話をしたかった。 何時ものように編集部に入り、居眠りを決め込んでいるアリオスの席に行く。つかつかと歩いていく姿は、既に名物になりつつある。 「アリオスさん、起きてください!」 目隠し代わりの雑誌を取り上げて、アンジェリークはアリオスが面倒臭そうに瞳を緩やかに開けていくのを観察する。 「…なんだ、栗まんかよ」 「栗まんとは何ですか! ほら起きて下さい! 私を呼び出したのは、アリオスさんでしょう!」 「ああ…」 アリオスは億劫そうに体制を整えてから、アンジェリークをじっと見た。 「よくやったな。レオナードフランシスシリーズの最新刊が、ライトノベル売り上げの新記録達成だ」 思いもかけない言葉に、アンジェリークは目を丸くする。信じられない。そんな表情を読み取ったのか、アリオスはアンジェリークに売り上げ表を突き付けてきた。 「ほら、これを見たら信じられるだろうが」 アリオスに突き付けられたものを、アンジェリークはじっくりと見る。確かに言う通り、新記録と思わずにはいられない部数だった。 「ホントだ…」 喜びが全身にこだましてくる。末端細胞までが喜んでいるのが、アンジェリークにも理解出来た。 「…凄い」 「だろう? これだけの人間がおまえさんの新作を喜んでいるってことだ」 喜ぶあまりに膝までがガクガクと震え、アンジェリークは興奮の余りに喉の渇きすら感じる。 「次は意表を突いた文芸大作だ。嵐のような恋愛話を書けよ?」 「ど、努力します」 今書いているものは、”嵐のよう”だとは表現出来ないかもしれないが、アンジェリークにとっては、意欲的な恋愛小説であった。勿論、まだアリオスには内緒の域は出ていないのだが。 「多くの読者を魅了しろ。ライトノベルのそれもBLという幅の狭い世界から、おまえはもっと広い世界に羽ばたいて行けるんだからな。しっかりやれ」 背中をぽんと叩かれて、アンジェリークは勢いの余りに咳をした。それを見たアリオスが楽しそうに笑っていたけれども。 「この調子で頑張れよ。新しい小説の打合せだとか、またしていくからな。そのつもりで」 「はい!」 アリオスの話はそこで終息を迎え、彼は思い切り伸びをする。アンジェリークはその姿をじっと見つめずにはいられなかった。 「アリオスさん、お話はそれだけですか?」 「ああ」 アリオスの答えはあっさりとしたものだったが、アンジェリークはもう少しアリオスの側にいたかった。 「あの…」 「何だ?」 もう少し話していたいという、たった一言が、アンジェリークはどうしても言うことが出来ない。涙が滲んで辛かった。 「…何でもありません…。じゃあ…」 アンジェリークは結局、積極的にはまだまだ話すことは出来ずに、アリオスに一礼をし、編集部を出ることしか選択出来なかった。 編集部を出た後も、胸が甘酸っぱい感覚に包まれる。 「どうせお仕事の邪魔になるだけだものね…」 アンジェリークは自分にそう言い聞かせると、社員食堂に下りていった。 もう少しアリオスの傍にいたい。せめて同じビルにいたい。 アンジェリークはアリオスのことを想いながら、食堂で携帯しているノートパソコンを広げて、創作の続きを打ち込む。 ここなら集中出来るような気がするからだ。しかも昼食のピークも済んでいるので、ちょうど良かった。 呼吸を整えてから、少しずつ文章を綴っていく。今のアンジェリークには、文芸賞など興味はなく、ただアリオスに褒めて貰いたいだけだった。そちらのほうが余程難関のような気がする。 アリオスだけを心の稜線に描き、アンジェリークはミルクティだけで執筆に勤しんだ。 夕方過ぎの夕食で混み合うまでの間、かなり集中が出来たせいか、アンジェリークにとっては満足が得られる結果となった。 全く、自分がいつも書く小説よりも進み具合が早く、表現も沢山出てくるから、アンジェリークには不思議だった。 「…これでよし!」 集中できたお陰で、短時間で30枚もの原稿を上げることが出来た。 これもこの環境とアリオスのお陰かもしれないと、アンジェリークはつくづく感じる。 ノートパソコンを片付けて、そそくさと食堂から出ていく。 出版社のビル出口まで階段で行くと、踊り場付近でひとの話し声を聞いた。 甘いテノールは聞いたことのある声だ。アンジェリークは直ぐに誰がいるかを感じ取った。 一緒にいるのは、スモルニィ賞受賞作家ジュリアだ。 「…アリオス! どうして私の担当に戻ってはくれないのよ…! あんな子供じみた女子高生なんかじゃなくて、どうして私の担当に戻ってはくれないの…! 確かに売り上げ部数は凄いかもしれないけれど、それが何よ! たかがライトノベルじゃない! しかも同棲愛を扱った、勢いだけで書かれた作品…! 余程私の方が良い作品が書けるのに…!」 苦しい心情を吐露すジュリアに、アンジェリークの胸は軋んだ音を建て、痛みを感じる。 ライトノベルかもしれないが、自分はそんなことなど関係なく、全力を注いだし、ベストを尽くした。ライトノベルであっても、スモルニィ賞並の筆力は必要とする。更にはエンターテイメントを追求するので、難しいのである。 アンジェリークは自尊心が傷つけられたと思った。きっとライトノベルを書く小説を書く者は総てそうだ。 「…ねぇ、アリオス、お願いよ…。あなたが担当じゃないと、私はこれ以上書けないのよ…!」 ジュリアはアリオスに抱き着くと、思い切りしがみついている。アリオスと言えば、全く冷静だ。 「…アリオスと肌を合わせながらじゃないと書けないの…! してよ! して、私を無茶苦茶にしてよ! あなたが担当する作家殆どに手を出しているのは見てきたし知っているけれど、それでもいいから私にして! あの…女子高生に出来ることなら、私にも出来るでしょう!」 ジュリアはかなりの剣幕で言い放ち、それはマシンガンのようであった。 アンジェリークは切なくて哀しくて、涙が出る。 「…アリオス、何とか言ってよ…?」 ジュリアは搾り出すような悲痛な声を出すと、アリオスに強引に抱き着き、唇を奪う。アリオスが女を抱き留めるように、肩に手を置く。 見ていられなかった。 アンジェリークは唇をわなわなと震わせると、そこから立ち去る。 頭の中が混乱し、先程まであった小説のセンテンスなどが総て飛んで行ってしまった。 あれからアリオスから連絡は来るが、きまじめなアンジェリークには珍しく総てを拒んでいた。 その間も、ひどく憔悴しきっているのが自分でも解る。ご飯は全く食べられず、ダイエットなどしていないのにダイエットをしているような食事内容だ。 精神的なものであることは、アンジェリークには充分に解っていたので、かかりつけのカウンセラーである精神科医フランシスに相談することにした。 少し個性的ではあるが、アンジェリークにとっては最高のカウンセラーだと言える。 「…では、レディのお悩みをお聞き致しましょうか?」 「…胸が痛くて切なくて、あのひとの顔を思い出すだけで胸が痛くて…。食欲もありません…」 アンジェリークはフランシスに荒いざらいを話したが、また泣き出してしまう。 「あのひととは?」 「…私が唯一心を赦しているアリオスという、担当編集です…」 するとフランシスは納得したかのように頷くと、アンジェリークを微笑みながら見つめる。 「レディ、それは恋煩いですよ」 「恋煩い!?」 意外過ぎた答えに、アンジェリークは驚かずにはいられない。 アリオスに恋をしている…。 はっきりと自覚をしてしまった瞬間、アンジェリークは鼓動が速くなるのを感じた。 |
| コメント アリコレ、新しいシリーズの開幕です。 BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。 楽しんでくださると幸いです。 恋愛編です。 |