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この私が恋煩い!? アリオスに恋している? そう想うだけでドキドキした。アリオスは憎くからず想っている相手ではある。 だが、この間、見てしまったことが頭の片隅に過ぎり、アンジェリークは益々意気消沈した。 アリオスのことを深く想ったところで、この想いが受け入れられないのは解っている。だからこそ切ないのだ。 「…フランシス先生…、いくら私が想っても…報われないのは解っているんです…。だから、どうしたら、アリオスへの想いを断ち切れますか…?」 アンジェリークは半分涙で鼻声になりながら、フランシスに素直に訴える。サイコテラピストであるフランシスに、こんなに短い時間で心情を吐露したのは、初めてだった。 「…その…アリオスとおっしゃる方が他のレディに恋をされているのは確実だと?」 「…恐らく…」 「断定はいけませんよ、レディ」 フランシスは穏やかな微笑みの中で、きっぱりと言い切った。アンジェリークははっとして、目の前のカウンセラーを見る。 「ご本人に直接おききになったわけではないでしょう?」 アンジェリークは一度だけ、コクリと頷く。躰を小さくする様は、まるで仔犬のようだ。 「だったら解らないでしょう?」 「ですが、アリオスと綺麗な恋人っぽいひとがキスをしていたのを目撃したし…」 アンジェリークは何でも悲観する方へと思考を走らせ、溜め息をはく。これにはフランシスからも僅かながらに溜め息が漏れた。 「きちんとおききなさい。相手に一方的にされただけかもしれないし…、ここは思い切って、ぶつかってください。そして、それが真実かどうかをきちんと見極めて下さいね」 フランシスはあくまで冷静で前向きな答えを導き出してくる。 明るく前向きな回答に、アンジェリークは僅かに頷くしかなかった。 「やってごらんなさい。きっと素敵なことが起こりますよ?」 「…はい」 少しばかり力のない返事をすると、今度はフランシスが眉を寄せる。 「あなたは人間の心理を描くプロフェッショナルでしょう? そんなお顔はなさらないで。あなたは恋の悩みで周りが見えていないだけなのですよ…。ほら、周りを見てご覧なさい、キラキラとお花畑が見えるでしょう?」 時々メルヘン色に染まるカウンセラーを、アンジェリークは楽しく見つめる。きっとドクターのように”前向きメルヘン”でいられたらさぞかし楽しいだろう。アンジェリークはつくづく感じていた。 「ほら、笑って、アンジェリーク」 「はい…」 アンジェリークはしっかりと頷くと、フランシスに笑ってみせた。 まだアリオスとジュリアが恋人同士だとは決まったわけではないのだから。 「勇気をかき集めて、一度きいてみます」 「そうですね、レディ。それがあなたへの何よりもの処方箋です」 フランシスは満足するようにニッコリと微笑むと、何度も頷いてくれた。 クリニックを出て、少しは心が癒されたような気がする。 今日は…やっぱり出版社に立ち寄ってみようか。そんな気分に、アンジェリークはなっていた。 アリオスのことだから、きっと怒るだろう。マゾではないが、起こられてみたい心境だった。 まるで犯罪者のようにドキドキしながら、アンジェリークは編集部に向かう。ずっと渡そうと思っていたフロッピーを片手に。 結局、アンジェリークは精神的に太れなくて、どこか罪悪感と切ない恋心、アリオスに最初に読んでもらいたいという欲求が、せめぎあいになっていた。 アンジェリークが持つフロッピーは、勿論、初めて書いた男女の恋愛小説だった。 本当はずっとアリオスに見て貰いたくて、アンジェリークはずっと鞄に忍び持っていた。フロッピーには冒頭のいっしょうが収録されており、今はもう少しばかり原稿は進んでいた。 エレベーターを使う気にはなれなかったので、アンジェリークは階段で四階にあるいつもの編集部まで昇る。 もう少しだと思っていたところで、誰かの声が聞こえた。 「…近々、アリオスは私の担当に戻ってくれるようなの」 全身から血が引き、胃の底が冷え切ってしまうのを、アンジェリークは感じた。 アンジェリークは全身を震わせながら踊り場にいる女を見る。 やはりジュリアだった。 悔しさやら胸の傷みやらで、全身が硬直する。今のアンジェリークには、この先を進む勇気等は一切なく、ただ元来たところを、引き返すしかなかった。 「いつまでも、ライトノベルなんか書いている女子高生に、アリオスを独占させないわよ」 冷たく憎々しく言い放つジュリアの言葉が、アンジェリークの胸を深くえぐった。 編集部なんて当分来たくなんかない。今までもメールや電話で十二分にコミュニケーションが計れたのだから、絶対に大丈夫だ。地方に住んでいる作家は、そうやってやり過ごしているのだから。 フロッピーを手に取ると涙が出てくる、アリオスにずっと渡したかったフロッピーは、結局無駄になるだろう。 早晩、アンジェリークの担当がアリオスから別の編集者になることは、もう解りきったことなのだから。だったら次は、女性編集が良いと、アンジェリークはぼんやりと思っていた。若くて素敵な男性編集は、もう懲り懲りだし、スモルニィ賞なんかいらない。ずっと楽しくライトノベルを書いていければいい。ボーイズラブ万歳だ。 アンジェリークは考えながら俯き、階段を下りる。2階踊り場付近に差し掛かったところだった。 「……!!!」 躰に力強いものにぶつかる衝撃を感じる。同時に、躰のバランスが崩れてしまい、アンジェリークはそのままよろける。 気付いた時には、見事にこけてしまい、手にしたフロッピーがころころと先に飛んだ。 「大丈夫か!?」 心配そうに躰の奥から染み出る低い声は、アンジェリークにとっては馴染みで、心を揺るがす声。声の主が誰か解ると、背中に冷たいものが流れた。すぐに躰に手が置かれようとする。アンジェリークはそれを巧みに避けると、自分で何とか立ち上がった。 「アンジェ!」 名前を呼ばれても、アンジェリークはわざと無視をして、上手く避ける。 これ以上、アリオスに関わりたくはない。 アンジェリークはあたふたとしながらも、直ぐに階段を駆け降りる。 「アンジェ!」 三呼吸ぐらい遅れて、アリオスが階段を駆け降りてきた。 追い付かれたくない。アンジェリークは必死になって階段を駆け降りた。 直ぐに、一階まで下りきったが、アリオスの手にそこで捕まってしまった。 「捕まえたぜ、不良作家!」 「どっちが! 不良編集!」 アンジェリークは悔しかった。自分はこんなに息が乱れているのに、アリオスは全く通常の呼吸であることが。 「…どうして、俺を無視して逃げる!」 アンジェリークは言葉を詰まらせる。 あなたが大好きだから逃げるのだとは言えない。言葉が喉に詰まってひっかかり、アンジェリークは完全に困ってしまった。 目を合わせたくなくて伏し目がちにしていると、アリオスに顎を掴まれ、上を上げられた。 「…どうして逃げる?」 アリオスは眉間に皺を寄せて、それこそ不機嫌の極みのような顔をしている。眼差しは冷たく、だが真摯だ。 「…アリオスが、アリオスが一番解っているはずよ」 目を合わせたくないのに、合わせずにはいられなくなる。心臓の鼓動が激しくなる。 「…俺がどうして解るんだよ。解るぐらいなら、おまえを追い掛けてなんか来ねえよ!」 アリオスは本当に苛々していた。アンジェリークはオロオロするわけにはいかない。 「…胸に手をしっかりと宛てて考えれば、アリオスにも解るはずよ!」 アンジェリークはきっぱりと言い放ったが、それはかえってアリオスを怒らせるだけの結果になった。 「ったく! 頑固な女だな!」 「…えっ、あっ…!」 アリオスは荒々しく顔を近づけてくると、強引に唇を奪ってくる。 今まではソフトだったアリオスのキスが、嵐のように烈しい。 アンジェリークは一瞬恐ろしくなった。忌ま忌ましい記憶が蘇り、躰が強張りを覚える。 アリオスがそれに直ぐ気付いてくれたようで、柔らかい優しいキスになった。 唇を離されてお互いに見つめ合う。 先程まで気付かなかったことが見えてきた。 ここが会社のエレベーターホール前だということを。しかも何人も、ふたりの様子を興味深そうに見ているではないか。 アンジェリークは全身に羞恥が込み上げ、顔から脚まで真っ赤になる。 「アリオスのバカっ!」 「アンジェ!」 アリオスの隙をついて、アンジェリークは脱兎のごとく逃げ出す。 アリオスがしてきた深いキスで唇が痛い。舌でそこを撫でると、血の味がした。 このまま、アリオスに会えなくなるかもしれない。そう思うと切なくて辛かった。 |
| コメント アリコレ、新しいシリーズの開幕です。 BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。 楽しんでくださると幸いです。 恋愛編です。 |