天使様お手柔らかに!


 そのまま意識がぼんやりしているまま、出版社の医務室に連れていかれた。
 白い医務室のベッドに横たわり、呼吸を整える。
 アリオスが傍にいてくれるのが、とても頼もしく感じた。
 彼に護られている。そう思うと、とても安心するのが不思議た。
 浅かった呼吸が徐々に調ってくる。アリオスがいるというだけで、いつもよりも冷静になる時間が早く感じられた。
「アリオス…、私…」
「少し眠れ…。落ち着いたら家まで送ってやる」
「何も聞かないの?」
 アンジェリークが潤んだ瞳で見つめると、アリオスは深みのあるどこか切ない眼差しを向けて来た。
「落ち着いたら話してくれたらいい。ここには俺がいるから心配するな。少し寝て、落ち着いて話す気になったら、話してくれ」
「うん…。有り難う…」
 アンジェリークは安心して、力が躰から抜けるのを感じながら、目を閉じる。傍に男性がいるのに、目を閉じることが出来るのは、本当に久し振りのことだった。

 余りに安心したのか、想像以上に深く眠っていたらしい。目を開けると、既に外は暗くなっていた。
「起きたか? 落ち着いたら、家まで送ってやる」
「有り難う…」
 アンジェリークの頭がすっきりとするまでアリオスは待ってくれたお陰で、ゆっくりと帰る支度をすることが出来た。
 支度が出来たことを告げると、アリオスは駐車場まで連れていってくれた。
 アリオスの運転をする車だけなら、乗ることが出来るので、アンジェリークは車で送って貰えることをほっとしていた。
 車に乗り込んでぎこちなくシートベルトをすると出発をする。
 緩やかなドライブはまるで揺り篭に揺られている気分になる。アンジェリークは何故だかひどく落ち着いている自分を感じていた。
 勇気が出てくる。
 今なら、アリオスになら総てを話せるように気がする。
「…アリオス…、面倒臭いことをさせてごめんなさい…」
「俺はおまえの担当だからな。当然のことをしたまでだぜ」
 担当だから。
 その言葉が胸の奥をチクリと刺して来た。
 こんなことを言われてももう止めることは出来ない。
 …好き。
 今ならどうして彼に話したいかが判る。
 話して知って欲しかった。
「…私以外の担当作家にも、こうしていた?」
「さあな」
 アリオスは曖昧に答えるだけだったので、アンジェリークは重い気分になった。
「…私ってホントに面倒臭いね…」
 アンジェリークは大きく深呼吸をすると、持っていたハンカチを神経質げに握り締める。そこに総ての動揺が集約されていた。
「…今日ね…、私がここで倒れたのは…、昔、私をストーカーしていた男の顔を見てしまったから…」
 アンジェリークは声を震わせながら、小さく言う。それが酷く心もとなかった。
「…二年前…、高校受験の為に塾に通っていて、そこの講師があの男だったんだ…。最初は優しいと思ってたけど…、そのうちにストーキングをされるようになってしまって、何処にも着いてくるようになって…」
 自分から話し始めたことなのに、どんどん動揺は深くなる。アンジェリークは涙混じりに唇を噛んだ。
「…無理するなよ」
 アリオスの何気なく出された言葉が心に染み通る。アンジェリークは大丈夫と言いたくて、なんとか微笑んだ。
「…それで、気持ち悪くなって、両親と警察に相談しても何もしてもらえなくて、それでとうとう…」
 アンジェリークはあの瞬間を思い出して、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「襲われそうになって、何とか突き飛ばして…、未遂に終わったけど…」
 アンジェリークはそこまで言って、更に深呼吸をする。
「私は男性が怖くなって、受験も女子校に変えて、電車も乗れなくなってしまったの…。何もなかったけど…、タイミングが悪かったらどうなっていたかって…」
 そう口にするだけで、アンジェリークは恐怖に震える。
「ヤツはそれからどうなったんだ?」
「準強制猥褻罪で逮捕されて、弁護士さんが間に入ってくれてご両親とうちの間で示談が成立したんだけど…、私の心は元には戻らない…。何をしたって傷なんか癒えやしないのに…!!」
 アンジェリークは血が滲むほど唇を噛み締め、俯く。
 アリオスに総てを話してしまった。
 男性にこんな話しをしたのは、アリオスが初めてだった。永遠にそう出来ないだろうと思っていたことが、今、出来たのがアンジェリークにはとても画期的な出来事になる。
「よく、話してくれたな」
 アリオスの低い声は、今までに増して、深さと慈しみが感じられる。
 アリオスの手が髪をくしゃりと撫でる。
 こんな話の後で嫌な筈なのに、指先を感じると安心できた。
「…それで、またあの男が出て来て、おまえを追い回し始めているんだな」
「多分…そうだと思う…。あの男が現れたらどうしようって、ずっとびくびくしながら暮らしてたから…、またなのかって思うと、凄く辛くて…」
 アンジェリークは涙が流れ落ちるのを、止めることが出来なかった。
 それをアリオスが指で拭ってくれる。
 男の人に触られたら恐ろしい筈なのに、アリオスだけは特例だった。全く、怖さすら感じやしない。それがアンジェリークには不思議でならなかった。
「何とかしねえとな」
「え!?」
 アンジェリークは驚いてアリオスを見る。彼の眼差しは怜悧に光っていた。
「そんな不届きものは成敗するのに越したことはねえだろう?」
「でも、どうやって?」
 アリオスを危険な目に遭わせるわけにはいかないと、アンジェリークの瞳が曇る。
「そんな顔をするな。おまえにとって、一番楽な方法でやるから心配するな。警察は何かされないと動いてはくれねえが、この俺が何とかしてやる。おまえを苦しめることがないようにな」
「アリオス…」
 アリオスが言ってくれると、本当に上手く解決が出来るような気がするから不思議だ。
 アンジェリークはしっかりとアリオスに向かって頭を下げる。
「宜しくお願いします!」
「ああ。一緒に頑張って行こう」
「はい」
 本当に不思議なことはあるもので、こんなに男性を信じることが出来るようになるとは、思ってもみなかった。
 しかもアリオスのような大人の男性は特にである。ストーキングをされたあの男とは、年格好が近いのだから。
「明日から、おまえの学校の送り迎えは俺がしてやる。小説の執筆や息抜きは、うちの小会議室を貸してやるから、放課後はそこで過ごせ。帰りはちゃんと車で送ってやる」
 アリオスはさらりと何でもないことのように言ったが、アンジェリークには逞しい騎士のように映った。
「親御さんには、俺から話しておく」
「有り難う…」
 アリオスの心遣いは本当に嬉しい。アンジェリークはプリンセスにでもなった気分になる。
「気にするなよ。担当としては、ちゃんと執筆出来るベストな状態に持って行くのが勤めだからな」
「うん…」
 担当としての務め…。
 アンジェリークはその言葉がひっかかる。アリオスの言うことは、最もだとばかりに理解できるところもあるが、とても切ない。
 任務だから護られることが、こんなに辛い響きを持つとは思わなかった。
 胸が軋んで痛い。
 アンジェリークはそんな複雑な想いを隠すために、アリオスにわざと笑顔を向けた。
「何かあったら…、そんな男は俺がぶん殴ってやる」
「有り難う…」
 アリオスの傍に少しでも永くいることが出来る。そう想うと、嬉しさが込み上げてくるのを感じた。
 本当にアリオスは救いの神に見えてしまうのが不思議だ。
 ずっとどん底な気分だったのが、アリオスと出会うことで、かなり前向きに思えるようになった。
「素直に言ってくれて、サンキュな。おまえがちゃんと話してくれたことで、事態は打開されると思うぜ」
「うん、そう思う」
 アリオスの前なら素直に言える。急にアンジェリークは涙が込み上げるのを感じた。
 今まで、涙は意地をはって流さないように心掛けてきた。だが、今なら素直に泣くことが出来るような気がする。
 急に涙が溢れて、止めることが出来なくなる。アンジェリークは鼻を啜りながら必死に止めようとするが、出来なかった。
「ほら、泣くな」
「…うん」
 アリオスの指先が優しく涙を拭ってくれる。
 アンジェリークには魔法のかかった指先のように思えた。
 車が静かに止まる。
 もう、家に着いてしまった。
 もっともっとアリオスの傍にいたい。
 アンジェリークはなかなか車から降りることが出来なかった。
「アンジェ、おまじないをしてやろうか?」
「おまじない?」
 突然のアリオスのもう井出に、アンジェリークは小首を傾げて彼を見る。
「男が怖くなくなるおまじない…」
 アリオス甘さを滲ませた声で呟くと、そっと唇を重ねてくる。
 鳥肌が出ない。
 それどころか、もっとして欲しいと思う。
 アンジェリークはこんなおまじないなら大歓迎だと思っていた-----
コメント

アリコレ、新しいシリーズの開幕です。
BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。
楽しんでくださると幸いです。

今回発覚コレットさんの過去ですが、びみょ〜にちんくまんの過去とクロス。
わしの場合はセクハラだったけどね。




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