天使様お手柔らかに!

8


 アリオスの低い声が、アンジェリークには頼もしく思える。
 きっと誰もがこの声を聴けば、震え上がるだろう。だが、少なくともアンジェリークだけはそう聞こえた。
「…おまえがやっていることは犯罪だ! それが自覚出来るねえのか!?」
 アリオスは男の後ろ手を捩り上げながら、鋭く響く声で男に言う。
「…アンジェを好きになるのがどこが犯罪なんだ! 僕はアンジェが好き、ただそれだけなんだ…!」
 男は、”そうだろう?”とばかりにアンジェリークに視線を向けるが、それを断固として拒否をする。目を逸らし、男の憐れ過ぎる視線から回避した。
「それはおまえの理屈だろう? おっさん…! おまえの理屈であって、アンジェリークの理論ではねえ!」
 アリオスの躰から搾り出される低く鋭い声は、男を震え上がらせるには充分だった。
 咎めるように、冷酷な視線で男を縫い止めると、アリオスはすかさずディアに合図を送る。
「ディア、弁護士と警察に連絡だ」
「解った」
 知らせに行ったディアに、男は切れる。
「僕は犯罪を犯しているんじゃないっ!」
「おまえが罪人じゃなけりゃ、そりゃ法への冒涜ってもんだろうが」
 アリオスはピシャリと言ってのけ、男を一瞬だけ怯ませた。
「違う! 皆、間違っている! 僕はアンジェリークが好きなだけだ! それが誰に迷惑をかけるんだ! 警察も弁護士も全く解っていないっ!」
 正に逆切れといったところだ。己のしていることの重大さを、男は全く理解してはいなかった。
 アンジェリークは余りに憐れ過ぎて、溜め息すら零れ落ちる。
 どうして、この男性はここまで自分を追い詰めたのだろうか。
 そう考えると、切なくすらなる。
 思う相手に狂うほど愛されたらどれほど幸せかと、昔は思ったこともある。
 だが、思われぬ相手に、狂信的に愛されるというのは、なんと切ないことだろうか。
「アンジェリーク、僕を見てくれるよね? そんな男じゃなくて、僕を見てくれるよね?」
 まるで何かに取り付かれたように、譫言を言う男に、アンジェリークは震え上がる。
 決して報われることのない愛に、自分を忘れて狂信する男が恐ろしい。
 アンジェリークは戦慄を覚える余り、後退りした。
「アンジェ、逃げるな!」
 止めたのは意外にもアリオスだった。
 冷たくて力のある彼の眼差しに捕らえられると、もう従うことしかできなくなる。
「アリオス…」
「ここで逃げるな。今がチャンスなんだぞ!? おまえがしっかりとここで自分の気持ちを言ってやれば、こんなことはもう起こらない。ちゃんと言ってやれ! おまえはこいつをどう思っているかをな!」
 アリオスにきっぱり言われて、アンジェリークは恐怖の余り喉を鳴らす。緊張は頂点に達し、不快な汗が、背中を流れ落ちていく。
「言え!」
 アリオスに再度促されて、アンジェリークは拳を握り締めながら、ぎこちなく頷いた。
「…嫌い…」
 最初は小さな呟きだったので、気づかれなかった。
「…好き…って、言ってくれたんだよね?」
 男はどこまでも利己主義だ。これにはアンジェリークも酷く気分が悪い。
「嫌いって言ったのよ! そう、大嫌いよ…っ!」
 アンジェリークは今までの様々なフラストレーションを吐き出すかのように、大きな声で叫んだ。そこには感情が凝縮されていた。
「アンジェリーク…?」
 男は半分涙目で、明らかにショックを受けている。ただ愕然として、アンジェリークを見つめているだけだ。
「大嫌いよ…! あなたのお陰で色々なものを失ったわよ! 私は…、ひとりで電車に乗れなくなったり、男の人が恐くなったり…! せっかく、好きなひとが出来ても、全然踏み込むことが出来なかったのよ! あなたが私をここまで追い詰めたのよ!!」
 とうとう言ってしまった。アンジェリークは大きく息を吐き出すと、感情の赴くままに全てを言い切った。
 好きな人-----アリオスにすら、ノーマルな恋愛表現が出来ない自分が、アンジェリークはひどく悔しい。
 総てはこの事件で深く傷ついたことが掘ったんだったのだから-----
 言い終わった後でも、まだ呼吸が速い。
 アンジェリークは何度も深呼吸をした。
「…そんな、僕は…」
 嫌われていたことが激しくショックだったらしく、男の力は抜けていく。アリオスに抵抗することも忘れ、ただ茫然としていた。
 後ろから物音がして、警備員がやってくる。警察が来るまでの間、身柄を確保してくれた。
 躰がふらつく。
 それをしっかりとさせてくれたのは、アリオスだった。
 アリオスの手が肩に食い込む重みが安堵をもたらしてくれる。
「よく言ったな。大丈夫だったか?」
 甘く響くテノールは、本当に心地が良く、総てを委ねることすら厭わない。
 力が抜けきった躰を、アリオスがしっかりと支えてくれるのがアンジェリークにとって、何よりも安心出来ることだった。
「…アリオス…!」
 安心が躰の隅々まで行き渡ると、アンジェリークは感情の赴くままに泣きじゃくった。感情がようやく吐露することが出来、恐怖とは裏腹に心は軽くなるのを感じた。
 まだ震え上がるアンジェリークを、アリオスがまるで子供のようにあやしてくれる。優しいリズムが心地よくさえ有る。。
「もう終わったんだ、アンジェリーク」
 アリオスが髪を撫でてくれる。それが何よりもアンジェリークに安らぎを与えてくれた。
 本当に先ほどの激情がどこかに行ってしまうような気がする。
 アリオスのくれる温もりは、本当に心地がよい。
 何だか、安心しすぎて眠い。
 アンジェリークは眠気に誘われてゆっくりと瞳を閉じる。
 今は、ただ眠りたかった。
 遠くででアリオスと男の声がぼんやりと聞こえる。
「あなたはアンジェリークの何なのですか?」
「生涯の伴侶だ。覚えておけ! 今後、こいつに近付いたら、いつでも俺がいることを覚えておくんだな?」
 アリオスが遠くでぴしりと言っている。
 甘い言葉は夢にも聞こえるし、現実にも聞こえる。
 ふわふわとした幸せに包まれて、目を深く閉じた。

 目が覚めると、すっかり馴染みの医務室に寝かされていた。
「…気付いたか?」
 アリオスが顔を覗き込んでくる。深い眼差しがアンジェリークに安堵を与えてくれ、それがとても心地良い。
「どうなったの?」
 アンジェリークは真っ先に、知らなければならないことをアリオスに訊いた。恥ずかしくも気絶をしてしまったが、事の次第は真っ先に知りたかった。
「警察と弁護士が来て、捕まえていった。おまえのご両親とあちら側の両親とで話し合うようだ。弁護士を通じて、二度と近付かないと一筆を書かせることになるだろうけれどな」
 忌まわしい記憶が絡んだ男の話も、アリオスからなら、今は冷静に聞くことが出来る。これもアリオがくれる安堵感のお陰だろう。
「有り難う、本当に…」
 安らぎが躰の隅々を覆ってアンジェリークは涙を零した。これで少しは安心に暮らすことが出来るだろう。ひとつの杞憂がなくなり、本当に嬉しかった。
「これで安心して執筆が出来るぜ。良かったな?」
「うん…。本当に有り難う…」
 笑って挨拶をしようとしたが、上手く出来ない。アンジェリークは泣き笑いの表情を浮かべていた。
「良かったな、ホントに。あいつが今度何かを言って来たら、ぶっ飛ばしてやるからな」
 アリオスのその心遣いは嬉しい。だが、アンジェリークの担当を外れても、同じ事をしてくれるだろうか。
 先ほどの食堂で盗み聞きされた話を想い出し、なんだか切ない気分になった。
「…アリオス、私の担当じゃなくなっても、こうやって助けてくれる?」
 アリオスの本当の気持ちが知りたくて、アンジェリークはストレートに聞いてみた。思い詰めすぎているのか、表情はどうしても強張ってしまう。
「勿論な。だからおまえは安心していい。もう誰もおまえに手出しは出来ないようにしてやる」
「有り難う…。アリオス」
「気にするな」
 礼を言うと、アリオスは微笑みながら栗色の髪を撫でてくれる。それがとても嬉しくて、アンジェリークは微笑んだ。
「約束ね…、ゆびきりしよう」
「ああ」
 アリオスと約束の小指を絡め合わせるだけで、アンジェリークは幸せな気分になる。
 子供臭い仕草だけ、アリオスとなら永遠の約束を結べるような気がする。
「何かあったら、いつでもどこでも俺を呼べ」
「うん、有り難う」
 アリオスが駆けてきてくれたら、最高に頼もしい存在として、もう勝ったも同然の気持ちになるだろうと、アンジェリークは考えた。
 アリオスの気持ちを探るように、アンジェリークはじっとその顔を見つめる。
「アリオス…、私が”生涯の伴侶”って言ってくれなかった?」
 アンジェリークは恥ずかしそうに、アリオスを上目遣いで見上げた。
 一瞬、アリオスは沈黙するが、アンジェリークを見るなり薄く笑う。
「夢なんじゃねえか? それよりも、フランシス・レオナードの小説を良い物に仕上げろよ?」
 アリオスにさらりと交わされる。それがまた悔しい。
「また! そうやって誤魔化すんだから…」
 アンジェリークは甘くすねると、答えの代わりにアリオスのデザートのように極上なキスが下りてきた----
コメント

アリコレ、新しいシリーズの開幕です。
BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。
楽しんでくださると幸いです。

ストーカー解決!




back top next