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アリオスの低い声が、アンジェリークには頼もしく思える。 きっと誰もがこの声を聴けば、震え上がるだろう。だが、少なくともアンジェリークだけはそう聞こえた。 「…おまえがやっていることは犯罪だ! それが自覚出来るねえのか!?」 アリオスは男の後ろ手を捩り上げながら、鋭く響く声で男に言う。 「…アンジェを好きになるのがどこが犯罪なんだ! 僕はアンジェが好き、ただそれだけなんだ…!」 男は、”そうだろう?”とばかりにアンジェリークに視線を向けるが、それを断固として拒否をする。目を逸らし、男の憐れ過ぎる視線から回避した。 「それはおまえの理屈だろう? おっさん…! おまえの理屈であって、アンジェリークの理論ではねえ!」 アリオスの躰から搾り出される低く鋭い声は、男を震え上がらせるには充分だった。 咎めるように、冷酷な視線で男を縫い止めると、アリオスはすかさずディアに合図を送る。 「ディア、弁護士と警察に連絡だ」 「解った」 知らせに行ったディアに、男は切れる。 「僕は犯罪を犯しているんじゃないっ!」 「おまえが罪人じゃなけりゃ、そりゃ法への冒涜ってもんだろうが」 アリオスはピシャリと言ってのけ、男を一瞬だけ怯ませた。 「違う! 皆、間違っている! 僕はアンジェリークが好きなだけだ! それが誰に迷惑をかけるんだ! 警察も弁護士も全く解っていないっ!」 正に逆切れといったところだ。己のしていることの重大さを、男は全く理解してはいなかった。 アンジェリークは余りに憐れ過ぎて、溜め息すら零れ落ちる。 どうして、この男性はここまで自分を追い詰めたのだろうか。 そう考えると、切なくすらなる。 思う相手に狂うほど愛されたらどれほど幸せかと、昔は思ったこともある。 だが、思われぬ相手に、狂信的に愛されるというのは、なんと切ないことだろうか。 「アンジェリーク、僕を見てくれるよね? そんな男じゃなくて、僕を見てくれるよね?」 まるで何かに取り付かれたように、譫言を言う男に、アンジェリークは震え上がる。 決して報われることのない愛に、自分を忘れて狂信する男が恐ろしい。 アンジェリークは戦慄を覚える余り、後退りした。 「アンジェ、逃げるな!」 止めたのは意外にもアリオスだった。 冷たくて力のある彼の眼差しに捕らえられると、もう従うことしかできなくなる。 「アリオス…」 「ここで逃げるな。今がチャンスなんだぞ!? おまえがしっかりとここで自分の気持ちを言ってやれば、こんなことはもう起こらない。ちゃんと言ってやれ! おまえはこいつをどう思っているかをな!」 アリオスにきっぱり言われて、アンジェリークは恐怖の余り喉を鳴らす。緊張は頂点に達し、不快な汗が、背中を流れ落ちていく。 「言え!」 アリオスに再度促されて、アンジェリークは拳を握り締めながら、ぎこちなく頷いた。 「…嫌い…」 最初は小さな呟きだったので、気づかれなかった。 「…好き…って、言ってくれたんだよね?」 男はどこまでも利己主義だ。これにはアンジェリークも酷く気分が悪い。 「嫌いって言ったのよ! そう、大嫌いよ…っ!」 アンジェリークは今までの様々なフラストレーションを吐き出すかのように、大きな声で叫んだ。そこには感情が凝縮されていた。 「アンジェリーク…?」 男は半分涙目で、明らかにショックを受けている。ただ愕然として、アンジェリークを見つめているだけだ。 「大嫌いよ…! あなたのお陰で色々なものを失ったわよ! 私は…、ひとりで電車に乗れなくなったり、男の人が恐くなったり…! せっかく、好きなひとが出来ても、全然踏み込むことが出来なかったのよ! あなたが私をここまで追い詰めたのよ!!」 とうとう言ってしまった。アンジェリークは大きく息を吐き出すと、感情の赴くままに全てを言い切った。 好きな人-----アリオスにすら、ノーマルな恋愛表現が出来ない自分が、アンジェリークはひどく悔しい。 総てはこの事件で深く傷ついたことが掘ったんだったのだから----- 言い終わった後でも、まだ呼吸が速い。 アンジェリークは何度も深呼吸をした。 「…そんな、僕は…」 嫌われていたことが激しくショックだったらしく、男の力は抜けていく。アリオスに抵抗することも忘れ、ただ茫然としていた。 後ろから物音がして、警備員がやってくる。警察が来るまでの間、身柄を確保してくれた。 躰がふらつく。 それをしっかりとさせてくれたのは、アリオスだった。 アリオスの手が肩に食い込む重みが安堵をもたらしてくれる。 「よく言ったな。大丈夫だったか?」 甘く響くテノールは、本当に心地が良く、総てを委ねることすら厭わない。 力が抜けきった躰を、アリオスがしっかりと支えてくれるのがアンジェリークにとって、何よりも安心出来ることだった。 「…アリオス…!」 安心が躰の隅々まで行き渡ると、アンジェリークは感情の赴くままに泣きじゃくった。感情がようやく吐露することが出来、恐怖とは裏腹に心は軽くなるのを感じた。 まだ震え上がるアンジェリークを、アリオスがまるで子供のようにあやしてくれる。優しいリズムが心地よくさえ有る。。 「もう終わったんだ、アンジェリーク」 アリオスが髪を撫でてくれる。それが何よりもアンジェリークに安らぎを与えてくれた。 本当に先ほどの激情がどこかに行ってしまうような気がする。 アリオスのくれる温もりは、本当に心地がよい。 何だか、安心しすぎて眠い。 アンジェリークは眠気に誘われてゆっくりと瞳を閉じる。 今は、ただ眠りたかった。 遠くででアリオスと男の声がぼんやりと聞こえる。 「あなたはアンジェリークの何なのですか?」 「生涯の伴侶だ。覚えておけ! 今後、こいつに近付いたら、いつでも俺がいることを覚えておくんだな?」 アリオスが遠くでぴしりと言っている。 甘い言葉は夢にも聞こえるし、現実にも聞こえる。 ふわふわとした幸せに包まれて、目を深く閉じた。 目が覚めると、すっかり馴染みの医務室に寝かされていた。 「…気付いたか?」 アリオスが顔を覗き込んでくる。深い眼差しがアンジェリークに安堵を与えてくれ、それがとても心地良い。 「どうなったの?」 アンジェリークは真っ先に、知らなければならないことをアリオスに訊いた。恥ずかしくも気絶をしてしまったが、事の次第は真っ先に知りたかった。 「警察と弁護士が来て、捕まえていった。おまえのご両親とあちら側の両親とで話し合うようだ。弁護士を通じて、二度と近付かないと一筆を書かせることになるだろうけれどな」 忌まわしい記憶が絡んだ男の話も、アリオスからなら、今は冷静に聞くことが出来る。これもアリオがくれる安堵感のお陰だろう。 「有り難う、本当に…」 安らぎが躰の隅々を覆ってアンジェリークは涙を零した。これで少しは安心に暮らすことが出来るだろう。ひとつの杞憂がなくなり、本当に嬉しかった。 「これで安心して執筆が出来るぜ。良かったな?」 「うん…。本当に有り難う…」 笑って挨拶をしようとしたが、上手く出来ない。アンジェリークは泣き笑いの表情を浮かべていた。 「良かったな、ホントに。あいつが今度何かを言って来たら、ぶっ飛ばしてやるからな」 アリオスのその心遣いは嬉しい。だが、アンジェリークの担当を外れても、同じ事をしてくれるだろうか。 先ほどの食堂で盗み聞きされた話を想い出し、なんだか切ない気分になった。 「…アリオス、私の担当じゃなくなっても、こうやって助けてくれる?」 アリオスの本当の気持ちが知りたくて、アンジェリークはストレートに聞いてみた。思い詰めすぎているのか、表情はどうしても強張ってしまう。 「勿論な。だからおまえは安心していい。もう誰もおまえに手出しは出来ないようにしてやる」 「有り難う…。アリオス」 「気にするな」 礼を言うと、アリオスは微笑みながら栗色の髪を撫でてくれる。それがとても嬉しくて、アンジェリークは微笑んだ。 「約束ね…、ゆびきりしよう」 「ああ」 アリオスと約束の小指を絡め合わせるだけで、アンジェリークは幸せな気分になる。 子供臭い仕草だけ、アリオスとなら永遠の約束を結べるような気がする。 「何かあったら、いつでもどこでも俺を呼べ」 「うん、有り難う」 アリオスが駆けてきてくれたら、最高に頼もしい存在として、もう勝ったも同然の気持ちになるだろうと、アンジェリークは考えた。 アリオスの気持ちを探るように、アンジェリークはじっとその顔を見つめる。 「アリオス…、私が”生涯の伴侶”って言ってくれなかった?」 アンジェリークは恥ずかしそうに、アリオスを上目遣いで見上げた。 一瞬、アリオスは沈黙するが、アンジェリークを見るなり薄く笑う。 「夢なんじゃねえか? それよりも、フランシス・レオナードの小説を良い物に仕上げろよ?」 アリオスにさらりと交わされる。それがまた悔しい。 「また! そうやって誤魔化すんだから…」 アンジェリークは甘くすねると、答えの代わりにアリオスのデザートのように極上なキスが下りてきた---- |
| コメント アリコレ、新しいシリーズの開幕です。 BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。 楽しんでくださると幸いです。 ストーカー解決! |