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ストーカー事件も、一件落着し、アンジェリークも執筆に専念出来る。 フランシスレオナードシリーズの最新作も完成し、少しばかりほっとした。 今日もいつもの元気なアンジェリークで、アリオスに完成原稿を渡しに行く。この後には、打ち合わせも控えているので、気が抜けない。 「…こんにちは」 そっと編集部を覗きこむと、相変わらずやる気がなさそうに、アリオスが脚を机の上に出して寝ている。 「あ、アンジェリーク、こんにちは」 相変わらずのんびり屋のルヴァが声をかけてきてくれる。アンジェリークはにっこりと笑顔を返す。 「アリオスなら適当に揺すって下さい。そのうち起きるでしょうから」 「有り難うございます」 アンジェリークは苦笑しながら、アリオスの机にそって近付いていく。 「…アリオスさん、朝ですよ…」 小さな声で囁くと、イキナリ手首を掴まれた。 「あっ、アリオスさんっ!?」 「そんな起こし方だったら、中々目が覚めねえぜ?」 あたふたしているアンジェリークの姿を楽しむかのように、アリオスはウィンクをして笑う。そのイタズラに輝く瞳に、アンジェリークは騙されたことを知り、憤慨した。 「もうっ! 起きているならちゃんと仕事をして下さいっ!」 「おまえのお仕事をする前の休息だ。気にするな」 「気にします!」 アリオスは相変わらずからかうような眼差しを浮かべてきている。 わざと拗ねても、ただアリオスは太く笑うだけだ。 「アンジェリーク、さて、仕事に行くか」 アリオスは起き上がると、威圧的な長身をアンジェリークに誇るかのように目の前に立つ。 「ほら行くぜ?」 「あっ! 待って下さい!」 アリオスが余りにもスタスタと先を行くものだから、アンジェリークは一生懸命その後に着いていく。 「今日はフランシスレオナードシリーズの最新刊と、今後の打ち合わせだ」 「はい」 アリオスがどんなプランをぶちまけて来るのか。アンジェリークは正直緊張してしまった。 会議室に入ると、いつものようにアリオスがミルクティを買って渡してくれる。温かくて、ほんわかとした気持ちになるのは、アリオスの気持ちがしっかりと詰まっているからだろう。 「さてと、原稿を貰おうか」 「はい」 アンジェリークはフロッピーと打ち出しをした原稿をアリオスに差し出す。 彼はそれを受け取ってくれると、煙草を口に突っ込んで、じっと見つめる。 「読ませて貰う」 「はい」 アリオスが担当になって初めての原稿だ。いやがおうでも緊張は高まる。 少し萎縮しながらアリオスを見ると、彼は真摯な眼差しでずっと原稿を追っていた。 そこには隙などあろうはずもない。 アリオスの眼差しはあくまで冷たく、氷のように思えた。 じっと真剣に仕事をする男を見るというのは、最高に思える。 いつものからかってくるアリオスも良いが、アンジェリークにとっては、やはり仕事をしているアリオスが好きだった。 ドキドキしてアリオスを見る。 ネクタイをルーズにしている首から鎖骨にかけてが、ひどく艶やかに見える。肩のラインは程よく筋肉が付いており、とても精悍に映る。 煙草を挟み込む指は、長くて綺麗だ。 アンジェリークは、こんなに男性をじっくりと観察したことは今までになかった。 特に異なった性をじっと観察をするのは、初めてだ。 アリオスだから観察が出来るのだと、アンジェリークはつくづく思った。 アリオスが原稿を読んでくれている間は、アンジェリークにとっては完全に、”アリオスウォッチング”の時間となってしまった。 髪を揃える音がして、アンジェリークははっとする。 「よし、かなり良くなったな。文章の校正したゲラは、また渡すからな」 アリオスはひと呼吸を置くと、アンジェリークをじっと見てくる。 「最高の”ノンストップ・エンターテイメント”の完成だな。良くなった。作家アンジェリーク・コレットの最高傑作になることは、先ずは間違いないだろう」 「有り難うございます」 冷静なアリオスの賛辞は、アンジェリークにとっては嬉しかった。 アリオスはアンジェリークが、”ヤングアダルト小説界のホープ”と呼ばれている事を知っているが、決して媚びる事のない、きっぱりとした態度が、アンジェリークには好ましかった。 「ただ」 アリオスの厳しい声に、アンジェリークは思わずびくりとする。厳しい注文を言われぬかと、ひやひやした。 「いつまでも、ボーイズラブの人気作家ではなく、もっと普遍的な愛を捉らえた作品を書いていくことが必要となってくる。解るよな?」 アリオスの言葉に、アンジェリークも神妙に頷いた。 「だから、おまえの次の作品は、幅を広げる為に、男女もの! ハードカバーだ」 「嘘っ!?」 男女ものは今までのアリオスの言動から、ある程度の予測は出来たが、まさかそれがイキナリ来るとは思わなかった。しかもハードカバーだとは。 「…そんなの、売れないかもしれないですよ?」 アンジェリークがおずおずと言った瞬間、アリオスの鋭い眼差しが飛んでくる。切れるようなそれは本当に恐ろしかった。 「やって見なくっちゃ、んなことは解らないはずだ。後悔っちゅうのはな、やったことよりも、やらなかったことのほうが大きいんだよ」 アリオスの言葉は、一々重みがある。アンジェリークは頷いて、聴かずにはいられなかった。 「…確かにそうかもしれませんが…、物語を書くのには、多くの引き出しが必要です。残念ながら…、今の私にはそれが少ない。だから、余りしっかりとした引き出しを用意する余裕が…」 ハードカバーの前で怖じけづく自分が嫌だったが、やはり恐怖が先行する。アンジェリークは思わず俯いてしまった。 「引き出しは今から造ればいいんだ。おまえが今までの人生で人を好きになったことはあるだろう」 アリオスの声に、アンジェリークは顔を上げる。 人を好きになったことなら有る。 目の前の男性がアンジェリークはとても好きだ。 「何だったら、俺が引き出しを加えるのを手伝ってやってもいいぜ?」 不敵な笑みに、アンジェリークは真っ赤になってドキドキする。そうなったら嬉しいような、恥ずかしいような。 だがきちんとした返答を、アンジェリークが出来ないでいると、アリオスは顔を近づけてくる。 「…まあ、考えておいてくれ。目指せ”スモルニィ賞”だからな?」 アリオスがもっと顔を近づけてくる。キスをする寸前かと思うぐらいに顔を近づけられて、アンジェリークは唇を僅かに震わせて目をキツク閉じた。 だがアリオスはキスをしては来ない。ただ、目を閉じているだけで息がかかり、アリオスが僅かに笑ったのだけは解った。 「さてと、新しい作品をまた作っていくか」 椅子が引かれる音がして目を開ければ、アリオスが窓際で煙草を吸っているのが見えた。 肩透かし。まさにその言葉がピッタリとはまり過ぎて、アンジェリークは苦笑する。同時に恥ずかしくてしょうがなかった。 「フランシスレオナードシリーズは、大ヒット間違いないだろうな。それを受けての次回作は、同じシリーズに行くように見えて、男女の純愛路線だ。それだけでも、かなり目を引くだろう?」 アリオスは自信ありげに言うが、アンジェリークにはそこまでの自信がないので、返事をすることが出来ない。 「…もし、フランシスレオナードシリーズの宛が外れてしまったら?」 「それはない。初稿であれだけのものを書いて来たのを直させたんだ。実際に、素晴らしいものに仕上がっていると、俺は思うぜ。何よりもこの俺が自信を持った作品だ。間違いはねえ。おまえは自分の実力を信じてやっていく。それだけだろ。編集者として、自分がきちんとプロデュースした作品に自信を持って、何が悪い? おまえももっと自信を持て。いいな」 「アリオス…」 アリオスの堂々とした言いいっぷりがアンジェリークは羨ましくてしょうがない。 「更に良い小説を作ろうな」 「”スモルニィ賞”を取れる作品を書くため?」 「そうだな…。それは通過点に過ぎない。おまえはもっと凄い作家になれるはずだ」 凄い作家。 確かにそうなれば嬉しいとは少し思う。 だが、そこまで行くまではアリオスに付いていて欲しいと思う。 「…ねぇ、アリオスは私の担当で居てくれる?」 アンジェリークは懇願するような眼差しをアリオスに向ける。瞳には切なさが溢れている。 「ああ、側にいてやる。おまえの担当は俺だ」 アリオスの声は、アンジェリークを落ち着かせる響きがある。 「もし”スモルニィ賞”を取れたとして、その後も?」 アンジェリークは接に願うような眼差しを向ける。 アリオスは何も言わなかった代わりに、唇を重ねてくる。 切ない味がした。 |
| コメント アリコレ、新しいシリーズの開幕です。 BL作家アンジェと切れ者(?)編集アリオスの物語です。 楽しんでくださると幸いです。 恋愛編です。 |